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ブックマーク / novel18.syosetu.com (485)

  • 遍愛日記 - 4

    今さらご機嫌をとられたような気がして振り返り、疑わしいと目をむけると、彼はまっすぐに絵だけに集中していた。 「ゴヤは好きじゃないんだよ。でも、ビアズリーと抱き合わせで売られてきて」 大好きな画家の名前に声をあげると、やっぱり姫香ちゃんも好きだと思った、と返された。十代のころは恥ずかしながら不健康で妖艶な絵が大変好みだったのだ。 「それと並べたかったんだけど、そっちは姉にとられた」 こんなにショックを受けたくせに、並べて欲しいとすぐに思った。あの大胆な画面構成の横にあったらさぞかし見劣りするだろう。でも、見てみたい。 「……ありがと」 「どういたしまして」 彼は目じりをさげてうなずくと、さ、見るもの見たからご飯にしよう、と口にした。 「で、姫香ちゃん、べたいものは決まった?」 首をかしげると、自分のことなのにわからないの、という顔をされた。よほど情けない顔をしたのか、ミズキさんはすこしだけ

    遍愛日記 - 4
    florentine
    florentine 2015/09/19
    「で、姫香ちゃん、食べたいものは決まった?」  首をかしげると、自分のことなのにわからないの、という顔をされた。よほど情けない顔をしたのか、ミズキさんはすこしだけ困ったようだ。
  • 遍愛日記 - 3

    「酷くないよ」 三枚並んだ白黒の絵を見て素っ頓狂な声をあげた私を見下ろして、彼は素知らぬ顔で微笑み、ピクチャーレールにかかっている額のしたの部分を指先で押して、ほんの一ミリ程度のズレをなおした。 「だって、これ、物のゴヤ、だよね?」 「もちろん。鑑定書あるよ」 ひどい、と言いたくなるのは自分の絵がいかに粗雑なのか、どうしようもないのかわかったからだった。 先週、ミズキさんのお店のHPやポップ、フリーペーパーのために絵を渡していた。もっていったのは十五枚で、女性ファッション誌風のイラストだ。それらは最初からR&Bの女性アーティストやオシャレ系カリプソシンガーとか、ある程度イメージを指示されていた。五枚選んでもらってしめて一万円にもなって、こんなことでお金を頂戴していいのだろうかと煩悶した。 その他に十五枚、自分の好きにかいていったもののなかから自宅用で取ってもらったのが二枚、その分は三千円

    遍愛日記 - 3
    florentine
    florentine 2015/09/19
    まさか、自分の絵が、本物のゴヤの版画の隣に並ぶなんてことがあるなんて。 「……これ、意地悪じゃないよね?」 「愛の鞭」  ちょっと頤をそらして、彼が笑った。
  • 遍愛日記 - 2

    「なんでそうなるわけ?」 「銀座まですぐだもん」 「だもん、ってそんな」 男のくせにやたら可愛い口調に、反論しようとして挫ける。彼のごく整った容貌はこういうとき、私に対して全面的に有利に働くのだ。 「真面目な話し、福利厚生だと思ってどう? 前も言ったけど、水道光熱費込み三万円でいいから」 「そんな、だって、福利厚生って」 「築地だから歩いて職場に通える。お風呂は優先的に姫香ちゃんが使うようにするよ。どうせ僕と浅倉はちかくのジムですましてきちゃうしね。社宅か学生寮みたいなものだと思って」 「ミズキさん?」 絶句すると、たたみかけるように言われた。 「料理は浅倉が適当にこなしてるし僕も作るし、掃除は家政婦さんいれてるから」 「そういうことじゃなくって」 ミズキさんがゲイだってことは知っている。でも、浅倉くんは違う。口にするのがためらわれていた内容をそれとなく示すと、 「あそこには艶ごとめいたこ

    遍愛日記 - 2
    florentine
    florentine 2015/09/17
    今ならわかる。優しくされたかったのだと。こういうのはみっともなさすぎて消えたくなる。優しくされたいなら、自分からそう言わないと。先回りされるのは好きじゃない。
  • 遍愛日記 - 1

    「婚約、破棄された……」 何かあったと尋ねられて、私は素直にそう返した。用意してきた言葉はいくつもある。けれど、ここはいちばん正確なものを吐き出すべきと覚悟を決めた。いつも超然としたひとがうろたえる様を見てみたいという欲求もあった。それなのに。 「姫香ちゃん、セレクトショップで働いてみない?」 ミズキさんはほとんど間をあけることなく、ましてや寸毫も動じることなく訊いてきた。同情されるか励まされるかと期待していたところを見事に裏切られ、眉をひそめて相手を見た。 桂瑞樹(かつらみずき)という、意味かぶってんじゃないの、と言いたくなる名前の持ち主はロイヤルネイビーの極上スーツのストイックさに合わせたのか、今日はチタンフレームの伊達眼鏡だ。その硝子のむこうの瞳をやわらかに細めながら、さも当たり前のように続けた。 「仕事の話で来たんでしょ?」 言われてみればその通りだった。自分の勤めている会社の社長

    遍愛日記 - 1
    florentine
    florentine 2015/09/17
    「婚約、破棄された……」  何かあったと尋ねられて、私は素直にそう返した。用意してきた言葉はいくつもある。けれど、ここはいちばん正確なものを吐き出すべきと覚悟を決めた。
  • 遍愛日記 - 序言――あるいは、削除されるかもしれない書き出し

    浅倉くんの第一印象は、こわいから、なるべく近づかない、近づけないようにしよう、だった。 出会ったのは学園祭実行委員の初顔合わせのときのこと。私は当時、大学の学生会の役員で、施設管理局長という役についていた。彼は新入生で学年では二つ、年齢ではいっこ違い。一年留学組のせいか物慣れていて、それなのに触れると肌が削れそうな粗さがあった。 普段はへらへらしていたけれど、それは、紙やすりに無理やりコーティング材をかぶせて修正しときましたから安心ですと言われているようなもので、鋭利ではないぶん厄介で、何かの拍子でかかわると傷が痕に残りそうだと用心した。私の勘は、あたるのだ。 実行委員の割りふりでくじ引きの順番を待つあいだ、たいていの新入生は見知った顔を見分けてひとと話し、または頭を巡らして様子をうかがうなか、彼が黒板を見たのは一度だけ。どこに配属されても話はそれからと割り切っていたようだ。両手をポケット

    遍愛日記 - 序言――あるいは、削除されるかもしれない書き出し
    florentine
    florentine 2015/09/15
    いずれにせよ、私、深町姫香はこの日記を書き終えて後、《神々再生》プロジェクトに強制従事させられる(ちなみに、兵役志願もアンガージュマンといった気がする)。
  • 遍愛日記 - ENGAGEMENT

    「婚約、破棄された……」 たぶん、あの瞬間に何かが始まり、動き出した。 結婚の約束(エンゲージ)を反故にされて、私はほんとうに「自由」になった。あのときは、そう思っていた。それはでも、思い違いで、また新たな鎖に繋がれたのかもしれないけれど。 とにかくも、私は語らなければいけない。書き記さないとならない。 私と浅倉くんとミズキさんのことを。 天使が来る直前の、数日間を。 なによりも、私自身が生き延びるために。 ところで、アンガージュマン(engagement)なんてのは、サルトルが口にしないと意味がない言葉と思う。 でも、私はここに誓う。 自らを縛り、また開放する呪文として。 文字通り、天使たちとの「契約」の証しとして、また、この「日記」のパスワードとしてこれを記憶し、ここに留める。 それが、古語においては《愛の誓い》であったことも忘れずに。 ENGAGEMENT――「下書」に記されていたテ

    遍愛日記 - ENGAGEMENT
    florentine
    florentine 2015/09/14
    ところで、アンガージュマン(engagement)なんてのは、サルトルが口にしないと意味がない言葉と思う。でも、私はここに誓う。自らを縛り、また開放する呪文として。
  • 遍愛日記 - 146

    そういえば、好きだともなんとも言わない男もいたな。 その男とは、ダイニングバーでの最悪の出会いの翌日、大学の中央棟の二階で遭遇した。学生課や教務課、就職課のある一階と違い、二階はエアポケットのような穴場だ。ローテーブルにさしむかいでソファが置いてあり、たぶん教職員のためのちょっとした打ち合わせや休憩所として設けられていたに違いない。酒井くんはゼミ長だったので先生に呼び出されることも多く、その場所でよく待ち合わせした。 はじめ、私はそこにいるのは大学職員だと思った。紙パックの自動販売機の前に立つ後姿は、就職活動中の男子学生の、どうにも様にならないスーツの着こなしとは違った。 だから足音が近づいてきても気にせずにウォルター・ペーターの『文藝復興』を読み進めた。隣に腰をおろされてはじめて、飛び上がるほど驚いた。 「酒井と待ち合わせ?」 頷きもせず、相手の顔を見た。そのときの内心の言葉は、げ、の一

    遍愛日記 - 146
    florentine
    florentine 2015/07/24
    「だから足音が近づいてきても気にせずにウォルター・ペーターの『文藝復興』を読み進めた。隣に腰をおろされてはじめて、飛び上がるほど驚いた」岩波の田部訳タイトル。
  • 遍愛日記 - 40

    私は聞いているとちゅうで冷凍庫をあけ、茶漉しを取り出した。指先に痛いほど冷えた銀色の茶筒の蓋をあけて中身をたしかめる。深い緑色は右手につかんで傾けると漉したばかりのやわらかさで手応えなくさらさらと、中央の山が崩れた。 干菓子なら、ある。 ポットのお湯を鉄瓶に戻して沸かす。戸棚から、それでも少しはまともな黒楽茶碗を手にとった。ちらりとミズキさんの手を盗み見て、こういう手には大井戸茶碗みたいなものが合うのだと、妙に悔しい気持ちがした。 お茶は、男がするといい。男女の別ではなく勝負事にこだわる質のほうが張りがある。和というのは馴れ合いとは違う。異質なものをどうやって纏め上げていくか。取り合わせの妙、機微。「客を敵と思え」というのが、こういうオトコには向いていると感じた。世の中なんでもそうだろうけど、お茶も、身体能力の高いひとがすればするほど、面白いのだ。五感を研ぎ澄ますことのできるひとなら、いく

    遍愛日記 - 40
    florentine
    florentine 2015/06/22
    「ちらりとミズキさんの手を盗み見て、こういう手には大井戸茶碗みたいなものが合うのだと、妙に悔しい気持ちがした。(略)「客を敵と思え」というのが、こういうオトコには向いていると感じた」
  • 夢のように、おりてくるもの - 外伝「面食い」1

    florentine
    florentine 2015/03/16
    「昨夕のあなたのそんな振る舞いと今日のこれでおれは少しばかり虫の居所が悪いのだ。あなたはおれの態度がいつもとちがうことにはすぐさま気づくのに、その原因に思い至らない。」
  • 遍愛日記

    1 2011/01/29 22:00(改) 2 2011/01/29 22:00(改) 3 2011/01/29 22:00(改) 4 2011/01/29 22:00(改) 5 2011/01/29 22:00(改) 6 2011/01/29 22:00(改) 7 2011/01/30 20:00(改) 8 2011/01/30 20:00(改) 9 2011/01/30 20:00(改) 10 2011/01/30 20:00(改) 11 2011/01/30 20:00(改) 12 2011/01/30 20:00(改) 13 2011/01/30 20:00(改) 14 2011/01/30 20:00(改) 15 2011/01/30 20:00(改)

    遍愛日記
    florentine
    florentine 2015/03/10
    ひとつきぶりに更新!
  • 夢のように、おりてくるもの - 外伝「面食い」7

    手の甲に血が滲んでいるのに気づいたのはしばらく後だった。 あなたの黒髪が白い背で踊るのを眼裏にとどめた。おれがもっていかれなかったのが不思議なほどだ。長い髪を揺らして果てるあなたを見るのはたまらなかった。 おれはあなたを膝のうえに抱えあげた。力の抜けた肢体はかんたんに腕のなかにおさまった。愛おしくてたまらずその頬といわず額といわずくちづける。それでも唇には触れないだけの冷静さが残されていた。嫌がるかとおそれた。 あなたは喘ぎあえぎ俺を睨みつけた。泣き濡れた瞳でそんなふうに見られても怖くもなんともない。むしろもっと泣かせたくなる。あなたはそういうおれの悪巧みを察したのかもしれない。顔をそむけた。けれどふだん青白い色をしたあなたの肌が、どこもかしこも紅潮していては媚態にしか感じられなかった。とはいえおれはあまりあなたを追い詰めたくはない。あなたが気を損ねているのはわかっていた。いまだ混乱のただ

    夢のように、おりてくるもの - 外伝「面食い」7
    florentine
    florentine 2014/09/28
    たまにはムーンライトノベルズさんのほうも宣伝をしよう。もうちょっとで19万アクセスです! どうもありがとうございます☆
  • 遍愛日記 - 201

    彼はそれから私たちの横を足早に通りすぎた。 「ミズキ」 「水、汲んでくる」 「オレも行く」 「いや、ひとりのほうがいい。それより救急道具出して避難梯子点検しといて」 ふたりの平坦な声のやりとりが却って私を不安にする。だからこそ、両手にポリバケツを持った背中に声をかけることができなくて、でも、彼は私の視線に気がついて振り返った。 「姫香ちゃんは、動かないで」 「でも」 「かわりに、どうやったら生き残れるか考えて」 「ミズキさん」 「君がいちばん、生き残りたいって思ってるはずだから。お願いね」 彼はまるでお使いごとを頼むのと同じような調子でそれだけ言って、ドアの外に消えた。 それでも日頃の神経質さもなく無造作に閉じられた扉を見つめ、私は「生き残りたい」と思っているのだろうかと考えるふりをした。ほんとはこのまま泣き伏して倒れたかった。けど、そうはいかないのだ。そうはいかないと思ってしまった時点で

    遍愛日記 - 201
    florentine
    florentine 2014/05/25
    「オレ、ほんとあんたに信頼されてない感じだね。つうか、信頼どころか信用もされてないか」
  • 遍愛日記 - 200

    家のほう、春日部はふってないってことは、ありえない、か。この時間なら父も母も弟も屋内にいるはずだけど。ああ。留美ちゃん、仙台はどうなってるだろう。彼女、外仕事だ。 耳を聾する雨音、それにかき消されない悲鳴。怒号。「巧妙な悪意」。人体の破砕イメージが次々と襲いきて、文字通り、目の前を金色に染めあげては暗転し、くりかえす瞬きに呼吸が狭まったがために消え去った。明滅のあいまにじぶんが見たものをさえ私は理解しておらず、ただ拒絶の声をあげるかわりに震えていた。 ああ、ダメだ。だめだめ。おかしい。どうなってるの。いったいぜんたいほんとうにどういうことなの。 「ねえ、なんで、電気まで切れちゃうの。どうして」 また震えだした私をみて、ミズキさんが言った。 「浅倉、僕は表の様子みて鍵閉めてくるから、彼女を落ち着かせてあげて」 「オレが行く」 「それは不許可」 にこりとミズキさんが笑った。そのまま 彼がドアの

    遍愛日記 - 200
    florentine
    florentine 2014/05/19
    「浅倉、彼女を甘やかす必要はない。姫香ちゃん、状況判断ができてないのは君のほうだ。すこし冷静になるといい。まだ死ぬと決まったわけでもないのに」
  • 遍愛日記 - 199

    その瞬間、なにかが圧力にたえきれず、破裂して、もうこれ以上とどめおくことのできないものがただひたすら噴出する、その快さを味わう自分がいた。 この地上に落ちる最初の雨のひとしずくを、私は、たしかに眼にうつし、なによりも身の最奥へとりこんだ。 音もなく (そう、音はいらない) 風もなく (風があっては無様にまがる) 光が、線になって、落ちきたる 金色の糸の軌跡を、それがやや重く、身もだえするもどかしさに満ちて下降する、ただその、あるかなしかの大気の抗いを受けて放つ煌きの繊細さ、たとえようもない揺れに、その震えの甘さに、心を奪われていた。 金色の雨 蜜のようにひた降る、甘美。 塔の上に閉じ込められたダナエを身籠らせた天帝は、このようなものに姿を変えたのだろうか…… 濡れたい 喉許へせりあがる狂奔に弾かれて、真紅の踵がリノリウムを蹴って窓へと向かう。 ところが、ヒールの立てる音がふたつみっつ耳に届

    遍愛日記 - 199
    florentine
    florentine 2014/05/18
     着信履歴。 「……ときとうどう?」  時任洞。トキトウドウときとうどう。ああ、これ、それじゃあ獏、なの?
  • 遍愛日記 - 198

    私が最愛の画家に想いを馳せてうなだれている横で、浅倉くんが深く嘆息した。 「十六時間て、おまえそれ、ろくに仕事してないだろ。道理でオレ、今月妙に忙しいと思ってたんだよ」 ミズキさんは浅倉くんに向き直り苦笑でうなずいた。 「そうだね。めんどくさい仕事は浅倉にがんがん投げてた。いつ気づくかなって内心冷や冷やしてたんだけど、遅かったね。ちなみにあと一時間は浅倉をどうやって陥れるか、邪魔されないようにするか考えてた」 「ひでえ」 「気がつかないほうが悪いよ。それに、姫香ちゃんと再会してから浮ついて一仕事クレームもらったお仕置き」 「なっ……でも、あれでけっきょく売り上げ増えたじゃないかよ」 ミズキさんが冷たい笑みをみせた。社長の面目躍如とでも呼びたいような顔だ。 「おかげさまで、お客様からお叱りの声をたくさんいただいた上で、ね。だいたい限定盤の告知、あんな長く出すやついる? 正直に、下げるの忘れた

    遍愛日記 - 198
    florentine
    florentine 2014/05/14
    ビルオーナーでなおかつ時任洞の権利者だということはわかっていた。私の問いに、ふたりはいったん顔を見合わせて、浅倉くんがひとこと。 「霊媒師」  そう、告げた。
  • 遍愛日記 - 197

    「そういう意味のないことは言わない」 「じゃあ、画家の卵」 「ああ、その線がきっと、正しいね。でも、それは現状であって、自分の真実の姿じゃないよね」 浅倉くんが、こちらをまっすぐに見ていた。それはすごく何かを期待する視線で、私は妙にどぎまぎした。 「姫香ちゃんは、自分が女性だってことが何か忌々しいことだと思ってきたのかもしれないし、それで天使みたいな美少年に自分を託して王子様になりたいと願ったのだと、自分ではそう思っているのかもしれないけれど」 浅倉くんの視線が痛かった。 そのおっきな目で、強烈な目力をこういうときに発揮しないでほしい。ミズキさんの視線も私にはツライけど、浅倉くんのはこう、節度も何もなさすぎて、ほんともう、恥も外聞もなくいうと裸に剥かれてる気がするのよね。いちばん柔くて脆い皮膚をざらざらした熱いもので擦られてこそげとられてる気がする。 「ここで僕が、君が女性でも男性でも君を

    遍愛日記 - 197
    florentine
    florentine 2014/05/13
    彼がその生涯に名前を記したのは、最晩年の絵とされる『神秘の降誕』とその素描だけ。もし今後、サンドロの絵が発見されても他に署名があるとは私には思えない。  そういうひとだ。
  • 遍愛日記 - 196

    嫣然と微笑まれ、みぞおちのあたりがひんやりした。思わず、浅倉くんのほうを振り返ってしまいそうになり、あわてて身体をしゃんとさせた。そこへ、 「行きたいっていうなら、行かせてやるのが愛じゃないの?」 いつもの、浅倉くんの掠れ声が飛んだ。 「浅倉?」 ミズキさんの語尾が不安定にあがる。 浅倉くんはそれに頓着せず、私だけをまっすぐに見て言った。 「そのかわり、オレもついてく」 「は?」 よく見ると、思ったよりずっとこわい顔をしていた。有無を言わさぬ顔つきは、そのまま私の頼りなさへとつらなった。 「あんた勇敢だけどけっこう抜けてるから、ひとりで行かすの心配。だからついてく」 「浅倉くん」 怒りに声を震わすと、とたんに頬をゆるめた。懐柔されまいと唇を引き結ぶと、さらに甘えた表情で、 「連れてってよ」 おねだり口調でこちらを見た。自分でリードを口に咥えて私の前にさしだす犬のように、こちらが連れて行くの

    遍愛日記 - 196
    florentine
    florentine 2014/05/12
    そこへ、 「行きたいっていうなら、行かせてやるのが愛じゃないの?」  いつもの、浅倉くんの掠れ声が飛んだ。 「浅倉?」  ミズキさんの語尾が不安定にあがる。
  • 遍愛日記 - 195

    そうして力の抜けた私を通り越し、焦れて熱をもち尖りすぎた追求が浅倉くんにぶつかった。 「姫香ちゃんはともかく、浅倉は僕と彼女がどうしてたか気にならないはずはないよ」 「だからおまえ」 「僕はすごく気になる。気になるというより見てみたい」 見てみたい。って、そこまで言う? 私は立っていられなくて椅子の背に手をついた。だめだ。これは、もう、私が何をいっても無駄なところにきてしまった。悲しいことに、それだけは理解できた。こうなったらこのひとは押しとどめられない。 「ミズキ」 浅倉くんが、掠れ声で名前を呼んだ。けれど、そんなことでは止められない。止まるはずもない。 「それだけじゃなくて僕は浅倉に僕に抱かれてる姫香ちゃんを見てもらいたい」 ミズキさん、絶対、壊れてる。 コワレテル。 否。 これが彼の「正常」なのだ。 きっと。 だから……。 私はソレを知っていたはずだ。聞かされていた。あの不穏な言葉を

    遍愛日記 - 195
    florentine
    florentine 2014/05/11
    「ほんとに。君は僕たちよりずっと容赦のない人間で、僕たちどちらにも依存してない。いらないと言われて僕たちがどんなに怯えて傷つくかってことも想像できないくらい、君は強い」
  • 遍愛日記 - 194

    彼は困りきった私の顔を見ながら、さばさばとした調子で続けた。 「恋愛が十二世紀の発見だとしたら、さいしょは一対複数だ。ひとりの女性と複数の男。ロマンティックラブが生まれるまでは対幻想なんてのはなかったんだから、これだって正しい形じゃないかな。それに、今時たしかに結婚するしないなんて特に意味はないよね。あるとすれば財産の管理と子供の問題だけだ。それさえ揉めないようにしておけばいい。それでいいよね?」 いいよねって、それ。あまりにも短絡だし、それに。 「ミズキさん、私、子供のことは」 「たしかにさっき聞いたよ。僕が言えるのは、これから君が自分のしたいようなセックスをしていけば出産に対する考え方も変わる可能性もあるだろうっていうこと」 悲鳴もあげられず彼の顔を見た。けれど、こちらの非難の目つきにも相手は少しも怯んだりはしなかった。 「君は自分の身体の欲求よりも早くにセックスしてしまっただけだよ。

    遍愛日記 - 194
    florentine
    florentine 2014/05/10
    「悪いね浅倉、僕はもっと酷いことを彼女に言ったよ」 「おまえ、この人になに言って」 「浅倉くんっ!」  私のあげた悲鳴のような制止の声に、ふたりが固まった。
  • 遍愛日記 - 193

    「姫香ちゃんの家に初めて泊まった日、僕はなんども浅倉に電話した。それこそ三十分おきにね。浅倉はあの日、誰の家にいたのかな。友枝さん、それともマリちゃん?」 マリちゃんってこないだ時任洞にお買い物にきたOLさんだよね。じつは過去に付き合ってたりしたわけ? 浅倉くんは双方の凝視に怯まなかった。が、眉を寄せた苦々しげな表情で口をひらく。 「どっちも行ってねえよ」 「じゃあ、誰?」 にこやかな笑顔でミズキさんが問う。 「誰でもいいだろ、んなの」 「言えないような相手なんだ?」 ミズキさん、こわい。目が笑ってないし、亭主の浮気を責める奥さんみたいな口ぶりだ。しかもこの会話の違和感のなさってどういうこと。 「友達の家だって言っただろ」 そして、浅倉くんは浅倉くんでうんざりした様子で言い返す。たぶん、この言葉はウソじゃない。ほんとに友達の家だろうと理解できた。けど、このやり取りはなんだかアヤシイよ。 「

    遍愛日記 - 193
    florentine
    florentine 2014/05/09
    「それはどうかな。僕から姫香ちゃんを奪い返して嬉しくなかったはずはないよ」 「そういう言い方すると、この人すげぇ怒るよ。自分はモノじゃないって」