最下層民 @matsui_kota 妻氏が息子氏にピアノを教えていてびっくりしたのは練習時に試行錯誤を許さない点で、異常に思えるほどミスを糾弾する。自分は間違えまくるの前提で試行回数を増やして何とかしてきた人間なので、この戦法を封印されたら終わりじゃんと思いつつ、超怖いので気配を殺して空気と同化することしかできない 2023-08-02 18:11:38
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https://news.yahoo.co.jp/articles/cfb969e3d2c94746cddf549aa4b5e3f706f17e93 日本の強豪校の吹奏楽部で過重な練習時間が問題になった事例があった。 では、吹奏楽先進国とされているアメリカの高校ではどうなんだ?というのを紹介しておく。 まず、吹奏楽は高校の選択授業と言う位置づけ。地域や学校によって異なるが、オーケストラがあったり、マーチングバンドがあったり、吹奏楽(コンサートバンド)があったりなど様々。 そして学校の授業なので、週に数コマ×1~2時間しかやらない。 ただし、実際にこれだけしか練習しないわけではない。 そもそも吹奏楽の授業に参加するためのトライアウト(オーディション)がある。これに通らないと吹奏楽部に参加することすらできない。 また、授業の時間は短いので基礎練習や個人練習をやっている時間もない。 だから、吹奏
それは思いがけないサプライズだった。 「音楽教室のレッスンでの楽曲演奏が、日本音楽著作権協会(JASRAC)による著作権使用料の徴収対象になるかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(深山卓也裁判長)は24日、JASRAC側の上告を棄却した。教師の演奏に対する著作権使用料の徴収を認める一方、生徒の演奏は徴収対象にならないとした二審・知財高裁判決が確定した。」(日本経済新聞2022年10月25日付朝刊・第43面、強調筆者) 9月に弁論まで開かれた上告審。 一審では原告だった音楽教室側の上告受理申立てが早々に退けられた、という情報は事前に耳にしていたし、最高裁が、JASRAC側が争っていた「生徒の演奏の演奏主体」の論点だけを拾い、しかも、(通常は高裁判決を逆転させる場合に行われることが多い)弁論までわざわざ開いた、ということになれば、「音楽教室側の全面敗訴」という結果を予測するのも当然
レッスンで使う楽曲について音楽教室が著作権使用料を支払う必要があるかどうかが争われた裁判で、最高裁判所は生徒の演奏は対象にならないとする判決を言い渡し、先生の演奏にかぎり教室側に使用料を徴収できるという判断が確定しました。 音楽教室での著作権について司法判断が確定するのは初めてです。 ●今回の裁判と最高裁判所の判決のポイントを、記事の後段でQ&A形式でまとめています。 ヤマハ音楽振興会などおよそ250の音楽教室の運営会社などは、楽曲の著作権を管理するJASRACが2017年、音楽教室に楽曲の使用料を請求する方針を示したことに対し、「支払う義務がない」と主張して訴えを起こしました。 2審は先生と生徒の演奏を分けて考え、先生の演奏については使用料を徴収できるとした一方、生徒の演奏は対象にならないと判断し、最高裁では生徒の演奏について音楽教室から使用料を徴収できるかが争われました。 24日の判決
先日から大きな話題になっていたJASRAC対音楽教室裁判の最高裁判決が本日出ました(参照記事)。 最高裁における争点は、音楽教室における生徒の演奏に著作権者の演奏権が効いてくるかということでした。今までの流れを簡単にまとめると、地裁判決は音楽教室における先生の演奏も生徒の演奏も著作権法上の演奏に当たり演奏権が効いてくる、知財高裁判決は音楽教室における先生の演奏は著作権法上の演奏に当たるが、生徒の演奏は当たらない、そして、最高裁判決は知財高裁の結論を踏襲し、生徒の演奏は当たらないと判断しました。判断の具体的ロジックについては、判決文の公開後に追記します。 最高裁では生徒の演奏分についてしか議論していなかったので、知財高裁判決における音楽教室における先生の演奏は著作権法上の演奏に当たるという結論が最高裁でひっくり返るという話は元より想定し難い話でした。 音楽教室において先生が演奏しないというこ
合法先生 @barbeejill3 我が子の部活動保護者説明会に行くと「楽器は最初から良いものを持たせてあげてください。良い楽器は一生使えます。上級生も100万超えの楽器を買ってる子もいます。学校にある楽器はボロくてろくに音が出ません。楽器はこの店から買ってください、購入時は同行します。」だと。おかしくない? 2022-05-08 18:08:11
辻井伸行の母校・上野学園大学、学生に廃学告知はZoomで! 経営者は「バッハの楽譜」を売却し… 社会・政治 投稿日:2021.03.09 17:00FLASH編集部 盲目の天才ピアニスト・辻井伸行氏(32)が卒業した名門音大・上野学園大学が “廃学” になろうとしている。2021年の4月から新入生の募集が停止され、教員たちは失職の危機にあるのだ。 1904(明治37)年に設立された上野学園大学は、創設初期に校長を務めた石橋蔵五郎以来、同族経営が続いている。中高一貫の音楽教育を掲げる名門の音楽大学にいったい何が起こっているのか。 【関連記事:ロンブー田村淳、慶応大学院で学生生活を満喫「明日も飲み会」】 「音楽は、すぐに結果が出るものではありません。大学ではしっかり基礎を学んでもらい、卒業後に本人たちが頑張って、ようやく結果が出るものです。最近は、卒業生たちの活躍が目立ってきているところなんで
【ヤバい吹奏楽部の見分け方 15】 この春中学や高校に入る人たちやその保護者のために「ヤバい吹奏楽部の見分け方」というのを 15 個挙げてみました。「あんな部活入るんじゃなかった」「あの吹奏楽部のせいで音楽嫌いになった」とならないために、ご一読お願いします。
藤重 侑宇 @yuu09200920 令和の時代にあえてモーツァルトみたいな曲を作り、解説付きで弾いてみました。 それではお聴きください。 『令和の時代にあえてモーツァルトみたいな曲を作ってみた』 #ピアノ #自作曲 pic.twitter.com/4vlp9HPhEM 2020-03-14 21:40:39 リンク Wikipedia ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(ドイツ語: Wolfgang Amadeus Mozart、洗礼名:ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト [Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart]、1756年1月27日 - 1791年12月5日)はオーストリアの音楽家である。古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並
現在もそう教えているなら、とんでもない話だが、僕が小中学校に通っていた頃には、J.S.バッハのことを「音楽の父」なんて教わっていた。 これは端的にいって嘘である。「音楽の父」とはつまり「西洋音楽の創始者」の謂いだろうが、バッハがそんな存在のわけがないことは、僕のようなアマチュア音楽愛好家でも知っているし、バッハ自身も知っている。 「西洋音楽の父」はピタゴラスである では本当の「西洋音楽の父」は誰か。パレストリーナでもなければブクステフーデでもない。それはピタゴラスである。 ピタゴラスは一本の紐を張って、びよーんと鳴らした(この伝説には、水を張った甕を叩いた、というヴァリアントもある)。ついでその紐を半分にして鳴らした。するとそれは最初の長さで鳴らしたときより、1オクターブ高かった。すなわち周波数比が2対1だったのである。いやむしろ「周波数比2対1の音程差を1オクターブとした」というべきだろ
『学校で教えてくれない音楽』(大友良英著・岩波新書)という書名はトリッキーである。著者が意図したわけではないだろうが、言葉の(日本語とは限らない)曖昧さが潜んでいるのである。 おそらく著者は、これを「学校で教えてくれない(種類の)音楽」という意味でつけたのだろう。しかし僕はこのタイトルを、半ば意識的に誤解して読み始めたのだった。つまりこれは、「学校で教えてくれない音楽(というもの)」についての本なのではないかと。 音楽学校を除いて、日本のいわゆる「普通の」学校、小中高等学校で、音楽を教えないことは、誰もがうすうす気がついていると思う。 確かに、僕が公立の小中学校に通っていた時にも、「音楽」と称する授業はあった。「音楽室」と称する部屋さえあった。そのへやには音楽に使うもの――ピアノとか、ほかの楽器とか、楽譜立てとか――があって、黒板には五線が引いてあり、壁には作曲家の肖像画が飾られていた。さ
「就活」は人生の一大イベントだ。意外にも今、就職指導に力を入れているのが「音大」でもある。武蔵野音楽大学の就職課に勤める著者が書いた『「音大卒」は武器になる』(大内孝夫/ヤマハミュージックメディア)は、音大生や音大講師の間で大きな話題になった。 一般企業と違い、プロのオーケストラには毎年リクルートがあるわけではない。メンバーが定年になるなどの理由で枠が1つ空き、オーディションが開かれ、全国から何百人ものフリーの音楽家たちが押し寄せる。音楽団体に所属するのは狭き門なのだ。 フリーの音楽家を続けるのも大変だ。定期的な仕事に加えて、突然「今週末空いてる?」と知人から回ってくる仕事もある。シフトが自由になるアルバイト選びも難しい。年をとればアルバイト先もなくなり生活に行き詰まる、と大内さんは危惧する。 二極化する若者たち 1月20日、文部科学・厚生労働両省が公表した今春卒業予定の大学生の就職内定率
アウトサイダー合唱人な私にとっては、どっちの立場もわかるのでなかなか面白い炎上騒ぎであった(対岸の火事感)。 ※色々と追記してもまだ誤読が多いのでさらに追記して明記しておくと、 ・この記事の本題である「表情」云々の話は、元ネタの古市氏の一連のツイートから見たら「傍論」ですよ! ・色々な方向に燃え上がっている中で、「脇で盛り上がっている話題」「横で色々つぶやいている人々」が面白かったからまとめたんだよ! ・古市氏が「表情の話」をメインにしていないことなんて、知ってるよ! ・古市氏の元ツイートは記事の最後に追記したよ!「合唱の人は整形した方がいい」なんて言ってないのは(私がリアルタイム&現在確認した範囲では)確かだよ! ・そのこと(整形しろって言ったか言ってないか問題とか、古市氏の本来の問題意識)と、「この記事の本題」である「合唱っぽい表情についての話」は全く関係ないよ! 発端 だそうなので、
コンテンツ特集の2回目だ。前回は日本映画の「実写リメーク」ビジネスの可能性について書いた。 今後の日本産業再生のキーワードの1つは「コンテクストの創造」であり、それは複数の分野が新しいストーリーを作ることである。単にアニメと菓子を一緒に売ればよいという話ではない。異なった商材においても、考え方が共通している――。そう消費者が自然に感じ取れるようでないといけない。そこで、前回は実写映画のリメークについて考察したわけだ。 通常、コンテンツビジネスの範疇に入らないが、以前にこのコラムで書いた「世界の親が公文式に熱狂する理由」も、上記のコンテクスト創造と近いものだと思っている。教育メソッドは「考え方」を伝えている。よって、あらゆる領域を横断する「エッセンス」を含んでいる。 ところで、「欧州で誕生したモノやコトとは所詮、互角に戦えない」という意見を聞くが、本当にそうなのだろうか。 そこで今回、もう1
吹奏楽がお高くとまってるのが気に入らない この記事を読んで、正直ちょっと悲しくなった。この人が、どういう部活生活を送ったのか、なんとなくわかる気がしたからだ。僕の吹奏楽部生活にも思い当たるところがある。 元増田について、「そんなことはない」とか「吹奏楽ってそんなもんだ」といってる人がいるけど、元増田のようなことをいう人がいて、それに賛同者が一定数いる以上、吹奏楽という分野になにかしらの矛盾があることは否めないんじゃないでしょうか。ただ、元増田は現状と原因の認識を少し誤ってると思う。このエントリではその辺を考える。 ちなみに、僕の高校時代の恩師が今年から吹奏楽部の顧問なんですけど、先生からのメールに「君の部活はなんだか宗教みたいです」と書いてありました。着任数ヶ月にして部の特質を見抜く先生の慧眼を讃えつつ、このエントリを吹奏楽に暗い思いを抱く人に捧げます。 ガラパゴスなジャンル まずは元記事
吹奏楽って知ってるか?学生時代に吹奏楽部あった学校多いだろ 音楽のジャンルなんてそりゃいっぱいあるのに なんで大抵部活っていうと吹奏楽絡みばっかなのか疑問に思わないか? あれって結構胡散臭い音楽ジャンルなんだ さも高尚ぶってのさばってるのが自分はホントに気に入らない ジャンルとしてまず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点 吹奏楽はスポーツで言ったらいわば ビーチサッカーやビーチバレー、キックベースやらタッチフットと考えて欲しい 本家のものはあるけど何らかの事情で簡略化した形態。 吹奏楽における"事情"ってのは 「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」 っていう辺りの思惑と言っていい。 それならそれでクラシックの姿勢を貫けばいいんだが 簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチする
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