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城に関するfumiruiのブックマーク (4)

  • 戦国時代と江戸時代 異なる時代の姿が共存 鳥取城(1) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は鳥取市の鳥取城。山上にある戦国時代の城と、山麓(さんろく)にある江戸時代の城が共存する、珍しい城です。 鳥取城は、豊臣(羽柴)秀吉の三大城攻めのひとつ“渇(かつ)え殺し”の舞台として知られる。1581(天正9)年、信長の命令を受けた秀吉は、大軍を率いて吉川(きっかわ)経家や城兵ら約3400人がこもる鳥取城を包囲。鳥取城への援軍や兵糧の搬入を断ち、飢餓状態に追い込む兵糧攻めで開城させた。城内が餓死者の山と化す、戦国史上もっとも悲惨な籠城(ろうじょう)戦といわれている。 山麓一帯には石垣や水堀が残るが、これらは籠城時の鳥取城の名残ではない。経家が籠城した戦国時代の鳥取城の中心は、久松公園内にそびえる標高263メートルの久松山の山頂にあった。山麓の

    戦国時代と江戸時代 異なる時代の姿が共存 鳥取城(1) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
  • 石垣に注目して江戸城をみる会

    お城といえば、壮麗な天守閣やかっこいい櫓といった建物ばかり注目してしまいがちだが、その建物を支える石垣に注目して見るとどうだろうか? しかし、わたしたち素人がなんの予備知識もなくふらっと石垣を見に行ったとしても、なにがなにやらわからないことは必定。そこで、石垣に詳しい人と一緒に江戸城に行ってみたい。 江戸城とは? 江戸城は、現在、天皇の住まいとなっているため、皇居とも呼ばれるが、江戸時代までは徳川家の居城であり、江戸幕府の拠地だった。 ふつう、テレビなどのメディアで紹介されるばあい、皇居前広場から伏見櫓をのぞむ下の写真のような風景をさして「江戸城(皇居)二重橋前」とされることが多い。 江戸城(皇居)のイメージ、これですよね しかし、上の写真にうつっている手前の橋は、厳密にいうと『二重橋』ではない。ただしくは『正門石橋』と呼ばれる橋であり、真の『二重橋』はこの位置からだと正門石橋の奥に隠れ

    石垣に注目して江戸城をみる会
  • NHK NEWS WEB 弘前城“曳家”の舞台裏に迫る

    弘前城“曳家”の舞台裏に迫る 9月25日 19時10分 青森県弘前市にある国の重要文化財、弘前城。全国でも数少ない、天守が現存するお城で、日屈指の桜の名所として多くの人たちに親しまれています。 そんな弘前城で今進められているのが「曳家」です。曳家とは、建物をそのままの形で移動させる技術のことを言います。今回、天守をジャッキで持ち上げ、レールに乗せて移動させようとしているのですが、もちろん簡単にはいきません。全国的にも珍しい城の移動を任された職人に青森放送局の矢部誠人ディレクターが密着しました。 なぜ弘前城で 現在、曳家の作業が続けられている弘前城です。天守は、高さ14.4メートル、総重量400トン。その天守を3か月かけて70メートル移動させようというのです。 そもそも、なぜ弘前城で曳家を行うことになったのか。 大きな要因は「石垣のはらみ」です。築城から200年以上が経過している弘前城は

    NHK NEWS WEB 弘前城“曳家”の舞台裏に迫る
  • ファンタジー世界から抜け出したような「ホーエンツォレルン城」の絶景…ドイツ : らばQ

    ファンタジー世界から抜け出したような「ホーエンツォレルン城」の絶景…ドイツ 霧の中に浮かぶこの城は、ドイツ南部にある「ホーエンツォレルン城」。 まるで天空の城かと思うような光景ですが、いったいどんな場所に建っているのかというと…。 1. 標高855mの小さな円錐状の、山の頂に建っているんです。 2. 1000年に渡る名門ホーエンツォレルン家の発祥の地の城であり、ドイツ皇帝やルーマニア国王を輩出してきました。 3. 11世紀に建立後、数々の戦火をくぐり抜けてきた歴史を持ちますが、現在の城は、かの「ノイシュヴァンシュタイン城」とほぼ同時期である19世紀に再建されたとのこと。 (参照:ディズニーランドの城のモデルとなった「ノイシュヴァンシュタイン城」…ドイツ) 4. 立地もさることながら、建物も実に美しい。 5. 緑の生い茂る季節。 6. 上空から。 7. 見上げるアングル。 8. 中庭。 9.

    ファンタジー世界から抜け出したような「ホーエンツォレルン城」の絶景…ドイツ : らばQ
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