北海道の最北端、宗谷岬の北、約43キロに位置する島、樺太・サハリン。 江戸時代、幕府直轄領として蝦夷地と呼ばれていたこの島は、1855年(安政元年)にロシアと交わした日露和親条約の時点では日露両国民混在の土地とされていた。しかし1875年の千島樺太交換条約で、明治政府が樺太を放棄したため、いったんは全島がロシア領となる。その後、日露戦争で戦勝国となった日本が、1905年のポーツマス条約により北緯50度以南を再び領有することになり、以後、第二次世界大戦敗戦までの約40年間、日本による樺太各地の開拓が進められた。 豊原市(現ユジノサハリンスク市)を中心に、王子製紙工場の巨大な煙突をシンボルにしたパルプ業や炭鉱業、水産業などが発展し、それとともに島内各地では京都のような美しい碁盤状の街並みが形成されていった。1945年の終戦当時の人口は40万人ほどだったとされる。