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ブックマーク / d4p.world (5)

  • 「でっちあげ」から始まったイラク戦争から20年 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    2023年3月、イラク北部クルド自治区はつかの間の春となり、花々の咲き誇る美しい季節を迎えていた。菜の花から菜の花へ、ミツバチたちがせわしなく飛び回る。穏やかに見えるこの風景も、「忌まわしい記憶を呼び起こす」からと、手放しで喜べない人々がいる。 虐殺は春に起きたからだ。 1988年2月から9月にかけ、サダム・フセイン政権はクルド住民たちを掃討する「アンファール作戦」を決行する。“アンファール”とは「戦利品」を意味する『コーラン』の中の言葉だ。わずか7ヵ月あまりの間に破壊された村々では、18万人が犠牲になったといわれている。同年3月16日には、イラン国境に面したハラブジャの街に化学兵器が投下され、サリン系のガスなどで約5千人の命が奪われた。 こうして数々の残虐行為に手を染め、強大な権力で支配を続けてきたサダム・フセイン政権が倒れたのは、20年前のことだった。しかしそれは、「力」を用いた排除だ

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  • うめくウィシュマさんの前で談笑――監視カメラには何が映っていたのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    2021年3月6日に名古屋入管で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの遺族による国賠訴訟が続いている。2023年2月15日、ウィシュマさんの居室の監視カメラ映像が、公開法廷で上映される方針が決まった。 公開法廷でのビデオ上映を渋る国側 ビデオは295時間分残っているとされるが、国は約5時間分のみを2022年12月、裁判所に提出。ところが2023年1月の進行協議で国側は、公開法廷での上映ではなく、非公開の場で取り調べれば十分だと主張してきたのだ。 前年11月の期日やビデオ提出時には、こうした意見は国側から一切出されていない。「なるべく公になることを遅らせたい」という意図がそこに透けて見える。その「目的」は明示されていないが、ビデオが公開されれば、入管法の議論や統一地方選に影響することは必至だろう。 ビデオは居室のドアや鍵の形状が分からないよう処理されており、職員の顔にもモザイクがかけられてい

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  • 80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    記事では証言の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 「せめて、広島から、せめて、福島から、世界中にこの声を届けていきましょう」 広島平和記念資料館の一室で、切明千枝子(きりあけ・ちえこ)さんはゆっくりと、けれどもはっきりとした口調で、証言を聞く参加者たちに語りかけた。15歳で被爆した切明さんは、まもなく93歳を迎えようとしていた。 この日は一般社団法人「大熊未来塾」関係者や、活動に携わるメンバーが広島を訪れ、切明さんの言葉に耳を傾けていた。 大熊未来塾代表である木村紀夫さん一家は、東日大震災当時、福島県大熊町に暮らしていた。街には東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号機までが立地している。2011年3月11日、津波の襲来により父の王太朗(わたろう)さん、の深雪(みゆき)さん、次女の汐凪(ゆうな)さんが安否不明となった。ところが翌12

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  • 『悲しみと共に生きる』 第2回:死を照らし出すために(大貫隆志さん) - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    連載では、グリーフケアにまつわる人々へのインタビューを通し、喪失体験と共に生きる人々の姿をお伝えしていきます。第2回は、「一般社団法人 ここから未来」代表理事の、大貫隆志さんにお話を伺います。大貫さんは2000年、当時中学2年生だった次男、陵平さんを自殺で失い、その後「指導死」に関する調査や、自死遺族支援、講演活動などを行っています。 文中には身近な人の死や、自死に関する記述がございます。そうした内容により、精神的なストレスを感じられる方がいらっしゃる可能性もありますので、ご無理のないようお願い致します。 「指導死」という言葉を“死語”にしたい ―大貫さんは2000年、当時中学2年生だった息子の陵平さんを、「指導死」により亡くされています。この「指導死」という言葉自体、大貫さんご自身の経験を通して、また、同様のケースが多数存在することを知ったうえで作られた造語とのことですが、この死別か

    『悲しみと共に生きる』 第2回:死を照らし出すために(大貫隆志さん) - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • ウィシュマさんを診療した医師は遺族に何を語ったのか ―「最終報告」に盛り込むべき3つの重要点 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    3月6日、名古屋出入国在留管理局(以下、名古屋入管)の収容施設で、スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなり、4ヵ月が経つ。ウィシュマさんは英語教師を夢見て2017年6月に来日したものの、学校に通えなくなり在留資格を失ってしまった。昨年8月に名古屋入管の施設に収容されたが、帰国できなかった背景には、同居していたパートナーからのDVと、「帰国したら罰を与える」「殺す」などといった脅しがあったことを、ウィシュマさん自身がノートに書き記し、面会を重ねていた支援者にも相談していた。 また、面会を重ねていた支援団体「START」メンバーからは、ウィシュマさんが「帰国できない」意思を示してから、入管職員の高圧的言動、態度が酷くなったとの指摘もなされている。2月になると、「歩けないのに『リハビリだから歩け』と職員に言われている」「トイレに行こうとして倒れてしまっても、助けてくれなかった」「ベッ

    ウィシュマさんを診療した医師は遺族に何を語ったのか ―「最終報告」に盛り込むべき3つの重要点 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
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