「家族なんだから」「親として」「血は争えない」など、聞いたことない人はいないのでは。 「素敵な家族像」や「素敵な親子像」は「たまに喧嘩もするけれど、仲良い友達みたいな親子」や「やっぱり何かあった時に頼れる存在」、「なんだかんだ言っても幸せな家族」。メディアでも学校教育でも、そんな家族像、親子像が美しいストーリーとして語られる。 それは無意識のうちに私たちにインストールされ、私たちを侵食し、自分の家族や自分と親との関係性、そして子との関係性と比較し嘆く。あるいは、いずれ自分が持つであろう家族に対して憧憬の念を抱く。 でも、実際子どもを産み育てると、想定していた親子像には遠いことがわかってしまうことがある。 そして、子ども自身も物心ついた時には、自分の理想的な親子像とは異なることに気づくこともある。 たまたま良い支援者に出会えたり、たまたま距離をなんとなくうまく保てたら、そのまま子どもは物理的