大倉山記念館は、東急東横線大倉山駅を下車し、なだらかな坂を上りきった丘の上にある。現在は横浜市が管理しているが、そもそもここは一九三二年に実業家大倉邦彦により東西文化融合のための研究機関・大倉山精神文化研究所として設立されたものである。ギリシャ神殿を思わせる記念館は、重厚な建造物として名高い。この記念館にある小さなホールで定期的に開かれるクラシック音楽の演奏会に、わたしは一時期足繁く通い、バッハからシュトックハウゼンに至るまで、数多くの音楽を聴いた。散策にふさわしい場所であったこともあり、休日の午後などに立ち寄ることもあった。犬を連れた老人や子供連れの家族連れがまばらにいるだけのことが多かったが、大倉山記念館正面の階段で、「アンチゴネー」の台詞の稽古をしている若い男女を見たこともあった。ここに来ると、わたしは神谷美恵子を思い浮かべるのが常であった。戦後しばらくした頃、三〇代半ばの神谷が、マ
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