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訓読と言文一致に関するfunaki_naotoのブックマーク (1)

  • 天皇制と日本語 - 翻訳論その他

    生来の日語話者の一群が一群のレベルで折に触れて表出する日語への異和感は、「いいたいことがうまくいえない」といった言語表現をめぐる普遍的な問題とはおよそ異質なものである。言語が言語であることに由来する、この手のありふれた不満は、その突き詰められた先で、もっぱら例のあの「語りえぬもの」に関係している。しかし、山城むつみは「何を読み、何を書いても、最終的にはどこかしら虚しい」(「文学のプログラム」)というのだ。「毒」(中上健次)は、どうやら日語での読み書きの全体に回っている。「ドップリ漬かってる」とはそういうことだ。 たとえば丸谷才一や鈴木孝夫をはじめとする多くの人たちが、志賀直哉の「国語問題」の文章における明晰さの欠如を指摘する。「こんな調子で書けば(中略)フランス語で書いたつて、ろくな文章はできるはずがない」(丸谷)。「もし同じ議論を英語なりあるいはフランス語で書いたとしても、あいまい

    天皇制と日本語 - 翻訳論その他
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2021/12/23
    「訓読の成立に対する目的論的な見方に内在する、ある弱さのあらわれ/これらの力は、いったいどこからくるのか。その源泉は何であり、また、どこにあるのか。訓読とはつまるところいったい何なのか」
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