多くの宗教で、聖典というのは詠唱されるものだ。マイケル・クックも「自分の正典的テクストを詠唱しないプロテスタントのキリスト教徒の方が、風変りなのだと考えるべきであろう」と言っている1。クルアーンは文字通り「詠むもの」だ。 これは単に音読するというだけでなく、そもそもは文字が読めない人が、節をつけて暗記するよう構成されていた、ということだ。これについては別エントリでまた触れようと思っているが、文字を読めないことを前提に紡がれたテクスト(?)は、文字として書かれるテクストとは根本から異なる。わからなくなった時に、戻って読み返すこともできないのだ。何よりもまず、暗記のし易さが優先される。その結果、現代的な視点から見ると冗長で反復が多く、大げさな文章になるわけだが、これが音読してみると実に心地よく、素直に頭に入ってきたりする。 識字能力が一般化する以前のテクストとして、中心にあったのが宗教的聖典だ
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