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高島俊男とことばに関するfunaki_naotoのブックマーク (3)

  • 高島ページ

  • らつする - Everyday Life in Uptown Tokyo on Hatena

    高島俊男「お言葉ですが…」(文春文庫 ISBN:4167598027)に、「拉致」という言葉について書かれた一節があった。 「拉致」という語は、古い漢籍にもなく、現代の漢語(いわゆる中国語)にもないから、和製であることはまちがいない。問題は、いつできたことばか、ということである。 …… ふしぎなのは「拉」という日ではほとんど用のない字をもちいていることだ。またそれを「ラ」と読んでいることも気になる。…… 実は「拉」は現代漢語では最も基的な単語の一つである。…… 支那でこの語が文献(すべて口語文献)に見えはじめるのはおおむね清代中期すなわち十八世紀ごろ以後である。いっぽうわが国の漢字の用法はほぼ平安時代にかたまっているから、この字に用がないのは当然である。ただし明治の文人が時々「…を拉(らつ)し来りて」などと用いているのは、近代の俗語小説などでおぼえたものだろう。 大学で第二外国語として

    らつする - Everyday Life in Uptown Tokyo on Hatena
  • 「合衆国」を考える・・・高島俊男批判を読んで - トラッシュボックス

    silverfox という方の「三角点」というブログがある。昨年12月30日の「リベラル系ブログは kaetzchen 氏との関係を見直せ」という記事のことを知って以来、注目していた。 この「三角点」の過去記事に、高島俊男を批判したものがあることに最近気付いた。昨年12月8日の「「衆寡敵せず」と「合衆国」」と、同月16日の「高島俊男氏の妄言 ─序数と基数の区別がつかない日人の誤り」の2つだ。 私は高島俊男の著書のファンだ。たばこに関する見解のように時々納得しがたいものもあるが、たいていは面白く読んできたし、影響も受けていると思う。 しかし、silverfox さんの「「衆寡敵せず」と「合衆国」」によると、高島の文は必ずしも信頼できるとは限らないという。これは私にとっては重大な問題だ。 そこで、とりあえずこの記事で取り上げられている「合衆国」の呼称の問題について、検討してみることにした。

    「合衆国」を考える・・・高島俊男批判を読んで - トラッシュボックス
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