なんだ、コレは! 大きな声が館内に響いた。 岡本太郎さんが博物館の片隅に置かれていた土器・土偶を見て、あげた叫びだ。 この瞬間から縄文の土器・土偶が広く知られ、1970年大阪万博の「太陽の塔」が「建立」されるに至る。 新潟県立歴史博物館(長岡市)秋の特別展「はにわ、どぐう、かえんどきの昭和平成」(11月4日終了)では、 フランス留学を太平洋戦争で中断、出征帰国後の1951年、東京国立博物館で「縄文」と出会った逸話のコーナー展示があった。 太郎さんが博物館で出合った縄文たち(一部) その中で太郎さんの有名な「四次元との対話 縄文土器論」が紹介されていた。 四次元との対話 縄文土器論(冒頭)文字起こし(前半) 縄文土器の荒々しい、不協和な形態、紋線に心構えなしにふれると、誰でもがドギッとする。なかんづく、爛熟(らんじゅく)した中期の土器の凄まじさは言語を絶するのである。 激しく追いかぶさり重な