おれはこの前、小室直樹の本を読んだ。 読んで、「これはなんかすごいぞ」と思った。思って、立て続けに読んだ。これはもう、令和の小室直樹ブームが来るんじゃないかと思った。いや、そんなブームが来るかどうかはしらない。おれのなかでブームが来た。 二重三重の早とちりに独学の限界を思う どのようなブームか。比較宗教学的ななにかだ。 おれは仏教を中心にいろいろな本を読んではいた。しかし、小室直樹の本を読んで、それこそ、ハッとしたのである。ほかの宗教と比べてどうか、日本におけるその場所はどこか。 小室直樹がはたしてどんな一般的な評価を得ている人かおれにはよくわからない。 なにやら右派への接近と言うか、取り込まれみたいなものもあるように思うが、どうにもそんなもの突き抜けたようななにかがあると感じた。 というわけで、おれは数冊の小室直樹の本で、「要諦である」と語られたいくつかの要素を、それぞれの宗教、思想に割
道を歩いているときですら、人々はいつもスクリーンを見ている。私たちはかつてなくコミュニケーションをとっているが、集まって語らい合うことはかつてなく少ない。 仏紙「ル・モンド」に掲載された社会学者ダヴィッド・ル・ブルトンの“嘆き”は、「ながらスマホ」で失われるものが何か、気づかせてくれる──。 目の前の人はもはや重要でない 現代世界は「超接続」の状態にあり、顔をつき合わせた会話は少なくなっている。相手の表情にも目を向けながら、誰かの話を注意深く聞く機会が減っているのだ。会話をより豊かなものにしてくれる人との交流も、やはり稀なものになった。 実際、誰かと一緒にいたとしても、その人がスマートフォンの着信音を聞いた途端に、たとえそこに居たとしても、突然に姿を消してしまったようになり、会話が途切れてしまうというのはよくあることだろう。何かメッセージが届いていないかと、ことあるごとにスマートフォンをポ
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