①なぜ「人間」は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集団戦でも個人として体験する。笑いは回りに誰もいなくても、「集団」として体験する。ということです。ポイントは「他者への同意」です。さらにいえば、笑いはアイロニーです。直接、体験するのではなく、体験を他者の目でみなおすというところに現れます。 フロイトの機知論は言語論でもあるのは、笑いは恐怖のような(個人的)身体的な体験でなく、人間のみがもつ高等な社会性を円滑に運営するためのもの、「言語」を解した、社会性(象徴界)として体験だからです。だから笑いはある集団への帰属していないと、笑えないということがが多々あります。ボクも少し前、アンガールズの何が面白いのかわか
よく、「ネットでのコミュニケーションはバーチャルなもので、リアルな関係とはちがう」といったいいかたをする人がいる。「まがいもの」だ、みたいなニュアンスだ。いいたいことはわからないでもないが、たいてい見下した説教臭い論調なので、それだけで辟易する。しかし、感情的に「きらい」とかいってるだけだと説得力がないので、少し「理論武装」してみようと思った。といっても、社会学者さんとか哲学者さんとかが好きそうな高邁なご高説じゃなくて、せいぜいが思いつきレベルの屁理屈なんだが。 「ネットはバーチャル」論というのが要するに何なのかをちょっと考えてみると、どうも2つぐらいありそうな気がする。ひとつは、ネット上の人格は現実の人格と異なっているし、身元が確かでない人のいうことを不用意に鵜呑みにするのは危険だ、といったコミュニケーションの相手方に関すること。もうひとつは、ネットを介したコミュニケーションでは本当の気
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く