「これ、面白いのかなぁ……?」と投稿ボタンを押すまで不安だったのですが、あら驚きの。またブクマポイントいただいちゃいました(2人目)。ほんとにありがとうございます。まぁ、ネタ的に加圧されてますからね。はてなだけ、いまだけ、下手するとうちのブログ読んでる人だけ、にしか通じない内容みたいな。1週間もするときっと意味わかんなくなる。 ツンデレ便利やな、と思った。腐女子のひとが受けと攻めだけで世界を語れるように、ツンデレだけで世界を語れそうな気がちょっとしました。 それは「目的を持って生きろ」とか「人生の意味を探せ」などという話じゃなくて。もっと単純に、「人間さぁ、増えすぎじゃね?」ってぼくは感じる、ということ。 「なぜ人を殺してはいけないのか?」とか(またきたよ!)「なぜ子供を作らなくてはいけないのか?」というようなことを書くと、必ず、「そうしないと社会が維持できないから」という人が現れる。で、
よく、「ネットでのコミュニケーションはバーチャルなもので、リアルな関係とはちがう」といったいいかたをする人がいる。「まがいもの」だ、みたいなニュアンスだ。いいたいことはわからないでもないが、たいてい見下した説教臭い論調なので、それだけで辟易する。しかし、感情的に「きらい」とかいってるだけだと説得力がないので、少し「理論武装」してみようと思った。といっても、社会学者さんとか哲学者さんとかが好きそうな高邁なご高説じゃなくて、せいぜいが思いつきレベルの屁理屈なんだが。 「ネットはバーチャル」論というのが要するに何なのかをちょっと考えてみると、どうも2つぐらいありそうな気がする。ひとつは、ネット上の人格は現実の人格と異なっているし、身元が確かでない人のいうことを不用意に鵜呑みにするのは危険だ、といったコミュニケーションの相手方に関すること。もうひとつは、ネットを介したコミュニケーションでは本当の気
「独り者」に優しい日本の社会(上) 2006年3月 3日 コメント: トラックバック (0) Momus 2006年03月03日 今年はバレンタインデーのことなどすっかり忘れていた。滞在先の大阪で郵便局に行き、窓口の職員にちょっとした贈り物――ミニチュアの赤い郵便ポスト――をもらうまでは。 企業のキューピッドが顧客の心に愛の矢を打ち込むようなこの光景は、コンビニエンスストアでも繰り返された。買い物の後で箱を差し出され、くじの付いたキャンディーを選んでくださいと言われたのだ。私は、こうした優しさに励まされたと同時に、個人ではなく公共機関や企業が愛を告白していることを面白いと感じた。 私は、誰かに励ましてもらう必要があったわけではないし、バレンタインデーだからといって特別何かをする必要もなかった。恋人のいる人間として、私は聖バレンタインには毎日敬意を払っていたいと思っている。2月14日の私のブ
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