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社会と悪に関するgaopikoのブックマーク (1)

  • なぜ限りなく「純粋な悪」は存在しえるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「負債の循環」という内部 「悪いこと」をするときにはほとんど自己正当化の心理が働いている。「当の俺も悪いこととわかっているし、そんなことはしたくはないが、外からなんらかの圧力を受けたから、仕方がないんだ。」親が悪い、先生が悪い、社会が悪いなど。 これは「負債の清算」である。社会の中で循環する「負債の連鎖」が私に回ってきたので、清算するために次へと送り返しただけ、ということだ。しかし悪いことをしたあとに「負債の清算」が清算されることはなく、罪悪感が残るのだが。 「略奪」と「純粋略奪」 このような「悪いこと」とは、負債の連鎖内部の他人からの「略奪」である。逆に言えば、内部(社会)とは負債の連鎖の作動が作動する範囲であるといえる。 それに対して純粋略奪はこのような連鎖の外にあり、略奪を行っても負債感は生まれない。この違いは略奪が内部(社会)内にあるのに対して、純粋略奪は内部(社会)と外部の間で

    なぜ限りなく「純粋な悪」は存在しえるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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