2ちゃんねるのけん制行動の儀礼 昨夜はひさびさ2ちゃんで議論?をしたが、Twitterから戻ると感覚が取り戻せず大変だった。まず相手が「名無し」であることがフラストレーションである。数人いたが誰が誰かわからず、その発言者の背景が見えない。Twitterでは誰もが特定でき、簡単ではあっても背景が見え、そして発言に連続性がある。これがいかに大きな情報であるか、あらためておもいしらされた。 2ちゃんでは匿名であることはコミュニケーション技術となっている。必要以上に「自分」を見せないテクニックによって、数行のコメントのみの情報なら誰もが知ったかぶりができる。だからまず問題の確信の周囲を回りながら、相手がどれほどの知識を持っているか値踏みしつつ、自らを大きく見せるという「けん制行動」が行われる。動物の争いは実際に傷つけあいにいたることが少なく、けん制で行われるのに似ているのかもしれない。勝っても傷つ
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