トヨタが1980年代の名車「AE86」のDNAを現代に復活させた、スポーツカー「86(ハチロク)」。2012年に発売されると、ライバル車をはるかに上回る売れ行きを見せ、クルマ離れ著しい若年層にも人気を博した。 だが「86」が成功するまで、自動車各社は「スポーツカーは売れない」と開発に後ろ向きだった。当時の売れ筋は家族向けのミニバンや小型車。トヨタ社内でも「車高が低くて乗りにくいスポーツカーなんて、オッサンしか買わない」「そんな車を作っても、担当者は出世できない」とまで言われていたのだ。 自動車エンジニアには、「いつかスポーツカーを作りたい」という夢を抱きながら、採算や効率の壁に阻まれて、それを諦める者も少なくない。だが「86」チーフエンジニアを務めた、多田哲哉氏は違った。 「会社のために働くな」 日本最大の企業・トヨタにいながら、そんな「反逆」ともいえる思いを胸に、多田氏は自らの夢だった「
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