先月号で櫻井よしこが指摘している通り、有森裕子とガブリエル・ウィルソンの結婚をめぐるマス・メディアの騒ぎは、むしろ日本社会の性意識の遅れを露呈することになった。人間の性的指向は多様であり、ゲイだからといって異常ということはないし、女性と結婚するのが珍しいわけでもない。そんなことはもはや常識だ。また、そう考えたからこそ、有森裕子やその家族は相手がゲイだ(った)ということを知りながら結婚に踏み切ったのであり、ガブリエル・ウィルソン自身も記者会見の場で自らゲイだ(った)ということを明らかにしたのである。その発言に飛びついて「スポーツに没頭して男を知らない女がゲイにだまされた」というような下劣な騒ぎかたをした日本のマス・メディアの時代錯誤には、唖然とするほかない。 だが、事はマス・メディアだけの問題ではなさそうだ。三島由紀夫との同性愛関係を私小説的に綴った福島次郎の『三島由紀夫 剣と寒紅』が、三島
この春に京都国立近代美術館でオープンし、夏に東京都現代美術館に巡回する予定の「身体の夢」展は、ファッションとアートの関連を探るなかなか興味深い試みである。とくに面白いのは、16世紀から現代にいたる流れを追うなかで、ある種のサイクルを見てとることができるところだろう。 昔の衣装は、女性の身体を締め付けて成形する拘束衣のようなものだった。ウェストを極端に絞り上げるコルセットや、腰を後ろに大きく膨らませるバッスル。20世紀に入ると、そのような拘束から身体を解放する動きが始まり、60年代になってひとつの頂点を迎える。たとえば、ウェストから上はストラップだけのトップレス水着をデザインしたルディ・ガーンライヒ。しかし、現代になると、かつての拘束を逆手に取ったような実験が現われてくるのだ。たとえば、あえてバッスル風のスカートをつくり、さらには身体のいたるところに瘤のようなものを隆起させてみせる川久保玲(
バクマンがおもしろいのはベタなメタフィクションなところだ。少年漫画を書く者たちが、少年漫画の内容によくあるように戦い、友となり敵となり、勝ったり負けたりする。つまりは描いてるものが描いてる内容をそのまんま反映し、書くものが書かれるものに呼応し、類似を生きる。 ドクターマシリトで有名な鳥嶋氏が出たときにはサイコーとシュージンが漫画の中で漫画として改めて描かれる。ここではご丁寧にもう一段額縁が付け加えられている。 何故だろうか。 鳥嶋編集長が出るのはここが初めてではない。一巻に登場した漫画家の持ち込み原稿をシュレッダーにかけた編集者もたしかに似ているが、もっと明確に、一巻の最後のページを読むとすでに編集者としてその名が作者と並んでいる。この漫画の特性上、彼は大きな意味で作者、第三の作者だ。 作品における作者、神、ラスボスが登場するのだからもう一段額縁が要る、作品内作品を、バクマン内ジャンプを強
20世紀が精神分析の世紀であった、とは良く指摘されるところではある。それでは21世紀はポスト精神分析の世紀ということになるのだろうか。おそらくそうであり、またそうではない。どういうことか。治療の場面における精神分析の直接的な有効性そのものは、今後もゆっくりと衰退していくに違いない。しかし「精神分析的言説」の有効性は、まさに様々な社会事象において、いっそう徹底した形で実現されるであろう。 急いで注釈しておくが、私が「精神分析」と言うときは、ほぼフロイト/ラカンによって拓かれた言説空間のことを意味している。もちろん留学も教育分析(パス passe)の経験もない私がラカニアンを気取るわけにはいかないが、この言説の強さに対抗して、体系的にこれを論駁し得た言説はいまだかつて存在しない。デリダやドゥルーズらの過激な反駁も、結局はラカンへのゲリラ戦において局所的勝利を収め得たに留まる。むしろ現在最もラカ
ある芸術家の伝記(biography)を書くこと、つまりその人の「生(bios)」を文字にとどめようとする営みは、作品と生との関係をめぐる問いを含まざるをえない。現実と作品との単純な反映論に飽き足りなさを感じる伝記作家にとって、精神分析はそのための強力な武器となる。 一方、美術史にフロイトやラカンの理論を導入することにより、モダニズム美術の分析にあらたな展望を開拓してきた批評家がロザリンド・クラウスである。作品の形式的構造自体のなかに無意識の論理を読みとるその議論は、伝記的な応用精神分析とは対照的だ。しかし、そこで見出された構造は時として、汎用の図式と化してしまう危険を孕んでいた。 クラウスの『ピカソ論』(青土社)は、数多くの伝記がものされてきた画家を主題とし、精神分析を以前よりもはるかに慎重に援用しつつ、伝記という言説それ自体を反省的な考察の対象としている。ジッドの『贋金使い』をめぐる記
身長が低い人のパーティードレスの選び方 結婚式やホームパーティーなどに招待された時などに、パーティードレスを着ようかと思うことがありますが、自分は身長が低いから、パーティードレスをうまく着こなせないと諦めてしまう人も少なくありません。身長が低くても、選び方次第でパーティードレスを着こなすことはできます。 選び方は、切り替えがより上にあるものを選ぶようにするのもよい方法です。切り替えがウエストよりもしたにあると、上半身が長く見えてしまってバランスが悪くなってしまうので、切り替えが上にあるものを選ぶようにすることで上半身を短く、足を長く見せるようにすることができます。膝よりも下までくる丈のものを選んでしまうと足が短く見えることもあるので、丈は膝より少し上にくるものを選ぶようにするとさらに足なが効果も出せて大人っぽいかわいさを出すことができます。 ただしあまりミニ丈すぎると落ち着きがない印象を与
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「音を表わす書記法はすべて水平に書かれ、形象を表わす書記法は、中国の表意文字やエジプトの象形文字も、垂直に書かれる。さらに形象に基づく文字体系では、縦行は右から左へ読み進むのが一般的である」。 本書『ポストメディア論』は、『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』や『グローバル・ヴィレッジ―21世紀の生とメディアの転換』などの著作で知られるメディア論の父、マーシャル・マクルーハンの後継者であり、トロント大学マクルーハン・プログラムのディレクターをつとめるデリック・ドゥ・ケルコフによって1995年に書かれたもの。マクルーハンの後継者というポジションを示すかのように『ポストメディア論』と題された、この本はテレビやインターネットなどのテクノロジーによって拡張された人間の知覚やそれ
柳澤田実 / YANAGISAWA Tami 1973年生。南山大学人文学部准教授。哲学、生態学的観点からの人工物(アート、宗教)研究。編著書=『ディスポジション──配置としての世界』(現代企画室、2008)。論文=「宗教的経験と行為の動機付け──経験科学に基づく宗教研究の可能性」「キリスト教から読む大野一雄──魚釣りとしての人間」「地続きの思想──中井久夫、木村敏」など。 大橋完太郎 / OHASHI Kantaro 1973年生。東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)特任研究員、ブリュッセル自由大学哲学科自由研究員、および静岡文化芸術大学、玉川大学非常勤講師。専門は思想史、哲学、表象文化論。共著=『ディスポジション──配置としての世界』(現代企画室、2008)。論文=「盲者の感性論と唯物論的一元論──ディドロ『盲人書簡』読解」「自由の徒弟時代
■夢と偏在化する映像コンテンツ ドミニク さて、今日は映像というテーマをいただいていますが、最近は映像の仕事をしておらず、ソフトウェアを制作したり、プロジェクトを動かすようなことばかりしている。ですので、あまりじっくり考えることがなかったのですが、ちょうどこの夏に映像情報メディア学会創立60周年を記念する学会誌で「映像情報メディアの未来ヴィジョン」という特集がありました。そこで想像力を膨らませて好きなように書いてくれという注文を受けて書いた論文「胡蝶の夢──生態映像メディアを巡る創造性」があるのですが、ここで書いた問題を話のイントロにしたいと思います。 ひとつは夢の話です。個人的な話になりますが、僕は夢をほぼ毎日見ます。10分昼寝しても見る。夢の学問では、明晰夢(Lucid Dream)というものがあります。夢のなかで、夢を見ているという自覚を持ちつつ夢を見続ける経験のことですが、これは訓
最近びっくりした女優の結婚式があった。藤原紀香さん ではない(わたしは式も披露宴も観なかった)。宮崎あおい さんでもない(びっくりしたが式はまだだ。だから希望はある。彼女の結婚はかなり残念だった)。びっくりしたのは、韓国の女優というかSRS(Sex Reassignment Surgeryの略、つまり性転換手術)のハリスさん である。元男性だとはとても思えない美人なのである。 彼女の結婚はプラスティックサージェリーがかなり浸透しているという韓国社会でも異色であった。日本からも大勢の報道陣が詰めかけたという(というのもハリスは日本への本格進出もねらっていると言われるからだ)。 そしてもうひとつびっくりはしなかったが、こういう時代になったか・・・と思わせたのが、レズビアンであることをカミングアウトした尾辻かな子さん の参議院比例区への立候補である。彼女場合、当選後の2005年にカミングアウトし
これは『VOICE』の連載コラムのシリーズである。この雑誌は主に企業の経営者や男性社員を対象としており、同じコラムの書き手も早坂茂三を筆頭とする面々なので、あえてそういう読者にもわかりやすい形で文化の話題を紹介するスタイルをとっている。
小熊研Ⅰ『母性という神話』コメント ~近代日本の母性の発明~ 総合政策学部3年 青木智子 s00016ta@sfc.keio.ac.jp ◆発表について バダンテールはフランスにおいて母性が女性に備わっている本能ではなく、社会に創造されたものであることを、実証した。では近代日本における母性に関しては、それがどのような過程で“本能”として社会的に創られてきたのか。それを本コメントの中で明らかにしていきたいと思う。 Ⅰ.母性神話の形成 ◆ 明治政府と国家の政策 ・富国強兵策 …「軍国の母」と女性をたたえ、良妻賢母主義による女子教育論が台頭。 ⇒高等女学校令、女子教育の振興 「女訓書」の変容。実践的洋風化を図る。 ・西欧的家庭(ホーム)イデオロギーの称揚 西欧的概念である、清浄さ、無垢さを強調するリスペクタブルな道徳の守護者として “家庭”母は道徳を伝える存在。 親子関係において恩や孝と
■荻上チキ戸籍名暴露問題 の続き はじまりは以下から http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071218 猫猫 荻上チキの正体 http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20071220/p1 チキ 小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護 討論によってわたしたちは〈より真実に近づく〉ことができる。おそらくこれは、民主主義といわれる制度を採用する以上前提としているはずのドグマ(常識)である。討論というものにはさまざまな資源が必要だ。時間もだが資料を確認する努力や、なにより討論に対する信頼が前提とされる。 民主主義とは何か?、討論とは何か?というのは政治学者にまかせておけばよい問題ではない。わたしたち一人一人の問題だ。しかし難しすぎる問題であるかのように思われる。 わたしたちは自分とは意見の違う人たちとは付き合わないことがで
九月にここで、ちくま新書が出たら荻上チキの実名を明かす、と書いたら、ほどなくチキから、やめてほしいという懇願メールが来た。会社で仕事をしているので、顧客などに知れるとまずい、というのだ。 チキは私が小山エミと論争している時に、「小谷野さんがぐずぐずになっている」と書いているし(私はぐずぐずになどなっていない)、林道義をも批判しているから、匿名批判は卑怯だという考えのもと、明かすべきだと思うのだが、一点、躊躇されるのは、私がチキの実名を知っているのは、当人が本を送ってきた時に封筒の裏に書いてあったからで、当人が知らせてきたのを、当人が嫌がっているのに明かすのは、どうか、と思うからだ。もっとも当人は、封筒の裏に書いたことは忘れていたらしく、筑摩書房から聞いたと思ったらしいが、それは個人情報保護法違反だから、ない(筑摩の編集者とはもちろん時々電話で話すから、「本名知ってるんですが、明かすとまずい
日々の読書日記、もしくはゲーム日記になると思います。 私の備忘録的なモノですので大した情報は得られません。 since 2006.1.9. 良くも悪くも、フーコーの<生権力>の理論は広義のBLの構造に似過ぎている気がしました。 アガンベンは、木原音瀬のスタンスに近そう…怖過ぎるので私には近づけそうにも無いテーマ。 ネグリのマルチチュードという概念は、何故かイマイチ私の心(or知)に引っかかってきません。 問題は、腐系志向が生権力の抵抗拠点になっているのか、それとも生権力の補完物なのか? 私の↑に対する答えは保留中…この問題は今後の重要課題として残しておきます、以上。 ・檜垣立哉『生と権力の哲学』(ちくま新書598)2006.5 □性@位相 ・社会的に猥雑でマージナル(周縁的)⇒「禁止」、「抑圧」、「排除」の対象⇒人間的(生権力的) *マージナル~性的逸脱者@男性、子供の性@自慰、女性の身体
神話的暴力と神的暴力 「正義の門前:法のオートポイエーシスと脱構築」馬場靖雄 (http://www.thought.ne.jp/luhmann/baba/gj/gj00.html)を参照に、ベンヤミンの「暴力批判論」、デリダの「法の力」による暴力論を考える。 ベンヤミン「暴力批判論」では法の暴力を、「神話的暴力」と「神的暴力」に分けている。 ・神話的暴力・・・何らかの目的のために行使される暴力 法維持的暴力・・・現存の法秩序を再生産する 法措定的暴力・・・空白状態のなかから新たな秩序を立ち上げる ・神的暴力・・・何ものをも目的としない暴力 いっさいの領域で神話が神に対立するように、神話的な暴力には神的な暴力が対立する。しかもあらゆる点で対立する。神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は限界を認めない 「暴力批判論」 ベンヤミン 前者(神話的暴力)
月経を完全に止めてしまう薬がフランスで試験中だという話を今日耳にして、ちょっと調べてみたらこんなのが出てきました。 French contraceptive stirs controversy in U.S. 従来のモーニング・アフター・ピルは事後3日間(72時間)以内に服用しなければなかったのですが、ここで紹介されているellaという薬は性行為後5日間有効だということ。しかも、すでにヨーロッパでは導入されているというのにも驚かされました。この事後“避妊”薬、妊娠阻害薬(中絶薬とも呼ばれる)ミフェプリストン(RU486)と似た作用があるようです。 月経を完全に止める薬というのは、今のところ未確認なんですが、少し前に「女性は月経をコントロールしたがっている。なくなってほしいと考えている人もいる」といった調査結果がヨーロッパで出ていることを知りました。The Free Library by F
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