タグ

2010年8月18日のブックマーク (10件)

  • 金谷武洋氏への批判記事についてのまとめ、あるいはFAQ - 誰がログ

    このエントリは、金谷武洋『日語に主語はいらない』批判記事のFAQです。個別記事は以下の目次からたどってください。 金谷武洋『日語に主語はいらない』批判記事一覧 - 思索の海 ※ここでは、その性格から“厳密さ/丁寧さ”より“簡潔さ/わかりやすさ”に主眼を置いています。参考にしたり引用する際にはその点に注意することをおすすめします。 ※ここでの質問には、実際に私が直接受けたものに限らず、ネット上で見かけたもの、他の項目の説明のために入れておいた方が良いと判断したものも含まれています。 ※ところどころに出てくる「専門家」「素人」は職業研究者とそれ以外の人を指しているのではなく、十分な関連分野の専門的トレーニングを受けた人とそうでない人という意味合いで使っています。 基 Q1. なぜ金谷武洋氏を批判しているのですか。 A1. 氏の著作、『日語に主語はいらない』には、日語学/生成文法研究の

    金谷武洋氏への批判記事についてのまとめ、あるいはFAQ - 誰がログ
    gauqui
    gauqui 2010/08/18
  • 遅刻する食パン少女まとめ

    トップページへ戻る 信長の野望 ■信玄の野望 999日で天下統一 ■謙信の野望 3年1ヶ月で天下統一 ■信長の野望【革新】天下統一日記 ■信長の野望「天下創世」プレイ記 ■信長の野望「嵐世紀」プレイ記 三国志 ■三国志IX統一日誌 実況パワフルプロ野球 ■架空戦記BB2004:4・5・6・7・8・9 ■2003架空戦記だいちゃんす ■2003架空戦記ファイティー総合成績 ■1998年〜2001年のパワプロ日記 いろいろテキスト ■「遅刻するパン少女」まとめ ■闘士ゴーディアン研究 ■燃える漢字ドリル ■子どもとセックスと法 ■過去の備忘録 ■はてなアンテナ兼リンク 「遅刻するパン少女」記事まとめ ■キレンジャーの錯誤について−原典なしにパロディだけが流通する 「遅刻しそうな女の子がパンを咥え、走って登校している途中で曲がり角で男の子とぶつ

  • The Animal Blog

  • 東京プライドパレード「外資系金融の協賛」への反応

    東京プライドパレードに協賛していたメリルリンチ、ゴールドマンサックス、シティグループなどの外資系金融に対する「ハゲタカ」という評価、そして、これに同意する「金融やってるセクマイはセクマイにあらず。搾取の権化じゃ」という発言に端緒を持つ一連の議論に関する発言をまとめました。やや雑多に集めてしまった部分もあり、逆に抜けている発言などもあるとは思いますが、どんなやりとりがなされていたかを把握する参考になればと思います。足りないものなど、あればお教えください。

    東京プライドパレード「外資系金融の協賛」への反応
  • WEB評論誌「コーラ」11号/「新・映画館の日々」第10回

    2006年にノーベル賞を得たトルコの作家オルハン・パムクの長篇小説『私の名は紅(あか)』(☆1)は、十六世紀末のイスタンブールの細密画師――ペルシアが場である“ミニアチュール”の描き手。訳者によれば、この時期、トルコの細密画は「家ペルシアの芸術を凌駕する域に達した」という――の世界を舞台に、「わたしは屍」「わたしの名はカラ」「私は犬」「人殺しとよぶだろう、俺のことを」という具合に、語り手がいちいち名乗り出るかたちの表題を持つ59の章から成っている。いったい何人の語り手がここにはいるのだろう。 実際には、これらの章は、語り手が一度きりで消えるか、繰り返し現われるかによって、二つに分けることができる。二回以上出てくる語り手は、“物語”――細密画師が殺された事件の犯人探しと、それに関連する一組の男女(カラとシェキュレ)の関係の進展――の進行役であり、彼ら自身が主要登場人物でもある(これが探偵

  • Web評論誌「コーラ」11号 <倫理の現在形>第10回

    私はアカデミズムの場でフェミニズムに携わる若年フェミニストとして、フェミニズムに対して違和感を抱き続けている。フェミニズムによって私自身が救われた経験を持ちつつも、何か、やり過ごせないひっかかりが残る。この違和感はいったい、何なのか。 「フェミニズムに対する違和感」が、異議申し立てや反動などの形で現れたのは、最近のことではない。海外に視点を移せばフェミニズムに対する批判は、もっと以前から展開されてきた。1980年代のアメリカにおいて、「フェミニズムは白人高学歴女性の諸権利を拡大していくもの」という異論を唱え、「ブラックフェミニズム」としてその意義を唱えていこうとした1人に、ベル・フックスがいる。彼女の著書『ブラック・フェミニストの主張──周縁から中心へ』から、当時彼女がどれほどの勇気を持って、黒人女性として声を上げていったのかがうかがえる。白人のフェミニストたちについて、フックスは次のよう

  • flowerwild.net - フランソワ・ミュジー インタビューvol.1

    Introduction 2003年夏、ヨーロッパでは記録的な猛暑のために各地で山火事があとを絶たなかった。そんな中、わたしたちはスイスのローザンヌから車を飛ばしてイタリア・ジェノバへと向かっていた。当時、シルヴィオ・ソルディーニ監督作品、『アガタと嵐』(2004)を撮影中であったフランソワ・ミュジー氏にインタビューするためである。撮影現場は旧市街の古い建物の中にあり、スイスの静けさとは好対照をなしている。子供の叫び声、犬の吠える音などのイタリア特有の騒がしい雰囲気に、ミュジー氏の「シレンツィオ(静かに)!」という声が響き渡る。3ヶ月にわたる撮影も終盤、スタッフにも疲れが見られ、ステディー・カムでの難しいシーンはなかなか決まらず緊張した空気がみなぎっている。 ミュジー氏は80年代以降のゴダールを語る上で欠かせないキー・パーソンのひとりである。ゴダールはスタッフに対して気難しいともいわれ、衝

  • 『真木悠介とドゥルーズ、性と生殖の差異』

    真木悠介とドゥルーズ、性と生殖の差異 | Philosophy Sells...But Who's Buying? 真木悠介の『自我の起源——愛とエゴイズムの動物社会学』を(いまごろになって)読んだ。 いま書いているの文体の参考にと、編集者の方に送っていただいたものだが(すみません、やっといま読んでいます…) 実におもしろかった。 大学生の時に読んでおくべきでしょうが 俺はそんなに読書家じゃないので、おゆるしを。 自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学 (岩波現代文庫)/真木 悠介 ¥1,050 Amazon.co.jp 真木悠介の言っていることを使うと、 ドゥルーズが言っている七面倒くさい議論が、 ものすごく簡単に説明できる気がする。 たとえば個体についての議論。 クローバーというのは、地上には一生えているように見えるけれども 地下茎でつながっていますね。 (因みに、最近趣味

    『真木悠介とドゥルーズ、性と生殖の差異』
  • 「サイテー」はサイテーか。 - 細々と彫りつける

    すこしおかしなタイトルをつけてしまった。 夜に蝉が鳴いているので困るのである。そういうこともある。しかしずい分前から、いいたいなと思っていることがある。 それは言葉にすると大げさなんだが、生きているのに、必要な条件はある。それは人間であれば大気はないといけないとかそんなことだ。でも「条件」という場合思い起こされるもう一つのことがある。それは「おまえはこういう存在でなければ受け入れられない」「こういう存在でなければ参加は許されない」ということである。 どのような世界にもそのような条件があるように思われているし、私も思いなしている。例えば、女にもてるには「○○な男」でなければならぬとかそういう事柄もあれば、「特殊な技術がないとこの職場に入れない」ということだったりする。 それが自分の実存と絡み合って、知らない間に「こういう男でなければもてない」ということと、自分の「こうなりたい」が合体していた

    「サイテー」はサイテーか。 - 細々と彫りつける
  • ヤン・コットのハムレット解釈 - 壺 齋 閑 話