●(昨日からつづく、小林秀雄『近代絵画』をめぐって) 最近、ゴッホが色覚異常だったみたいな話から、ゴッホと色彩について、というか、絵画において色彩って一体何なの?、という雲をつかむような事柄についてあてもなくいろいろと考えていて、そんな時に読んだ以下に引用する小林秀雄のゴッホについての文は、かなり衝撃的にズカーンと頭のなかに入ってきたのだが、しかし、(昨日も書いたけど)別にゴッホや色彩などに特に興味がない人が読んだら、それこそ空疎で凡庸な修辞でしかなく、悪しき「絵画の文学化」としか読めないのではないかとも思ってしまう。ぼく自身だって、時と場合によれば、そのように感じるかもしれない。 《彼が一番好み、重んじた黄色にしても、それが何を現すかを彼は言う事が出来なかった。彼が、はっきり言えたのは、その色調に発狂が賭けられていた、という事だ。彼は、一時、パリにあった時、印象派の色彩に強く影響されたが