言葉のゴミ溜めが豊かな土壌を生み出す可能性に賭ける試み菊地成孔ダブ・セクステットのデビュー作である『The revolution will not be computerized』のジャケットは、ジャズ・ファンなら誰でも分かるように、オーネット・コールマンの『ディス・イズ・アワ・ミュージック』の引用である。 いかにも当時のアトランティック・レコーズのアルバムっぽいレタリングの「STEREO」表示や、「High Fidelity」ならぬ「Low Fidelity」という但し書きが愉快なこのジャケットを眺めつつCDを聴き、オーネットの『フリー・ジャズ』のジャケットはジャクソン・ポロックだったけど、さてこのダブ・セクステットにふさわしいアートは何だろうな、などとぼんやり考えていたら、ずしりと重い宅配便が届いた。大竹伸朗の「全景」展(2006年)カタログが、展覧会が終わってから約1年経って、やっ
言葉のゴミ溜めが豊かな土壌を生み出す可能性に賭ける試み(前口上) 菊地成孔についていろいろなメディアに書いたもののうち、短いレヴューや紹介文以外で、比較的長いものをまとめてアップしてみることにしました。 なお、このcom-post「ライヴレビュー」欄に、ぺぺ・トルメント・アスカラールのライヴ評があります。そちらも併せてお読みいただければ幸いです。 (村井康司) 菊地成孔の最初の著作『スペインの宇宙食』(小学館)の冒頭に置かれた「放蕩息子の帰還」の中に、ナボコフの『ロリータ』からの引用がある。ハンバート・ハンバートがロリータに買ってやったさまざまな品物を列挙するくだりだ。 菊地成孔が書いた第一稿では、その引用部分は以下のようだった。 「レピングヴィルの繁華街で、私は、いろいろなものを買ってやった、漫画の本を四冊、箱入りのキャンデー、衛生綿一箱、チェリーコーク二本、子供用のマニキュ
言葉のゴミ溜めが豊かな土壌を生み出す可能性に賭ける試み大きな鳥が峠を舞い降りてくる 衝突を避ける唯一の手立て…… ブラック・レディオ 10曲目のアルバム表題曲のリリックの引用から始まる、白と黒をはっきり対比させた力強い見開きレイアウトでCDジャケットに記載された英文ライナーは、黒人の魂から生まれた音楽が、何世紀もの間、黒人の経験を物語るだけではなく、多くの物事が従ってきたアメリカ人という青写真をも存続させてきたのだ、と続ける。Alternate Takesというジャズ・ブログを主宰する若き女性ジャーナリストのアンジェリカ・ビーナーがその筆者だ。彼女の筆は自信に溢れている。曰く、ブラック・レディオとは、ブラック・ミュージックの真実を表している、我々(そう彼女もブラックだ)の音楽はポップ・カルチャーの気の滅入るような表現に取り囲まれているにも関わらず、革新的で人を鼓舞するものであり続けて
言葉のゴミ溜めが豊かな土壌を生み出す可能性に賭ける試み生演奏ヒップホップ/R&Bの一つの指標になるかもしれないとさえ、言っておこう。 注目すべきはクリス・デイブのドラムだ。生演奏のヒップホップと言えば、真っ先にザ・ルーツのクエストラブが浮かぶ。彼が叩き出す重心の低いビートは古きよきソウルミュージックの、古きよきファンクミュージックの、そしてヒップホップが愛したレアグルーヴが持つ魅力を素直に形にしたものだ。個人的にそのかっこよさはわかる(し、好きでアルバムも新作が出ると毎作のように買っている)ものの、「じゃ、ジャズ聴く耳で聴いたらどうなんだろう」と言うと、そこまで魅かれなかったと言うのが正直なところだ。根本的にジャズのリスナーが求めるものとは違うのだろう。本作でのクリス・デイブはこのジャズリスナーのジレンマへの回答に一歩近付いたのではないか、と僕は感じている。そしてそれが結果的にエクスペリ
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