五十年前には、器にイチゴと牛乳と砂糖を入れ、イチゴを潰して牛乳がピンク色になってから牛乳と一緒に食べのが一般的でしたね。わが家には、イチゴを潰す専用のスプーンがありたしたよ。
ひとくちに国語辞典といっても、実はいくつか種類がある。 一般的によく出回っているのが「小型辞典」で、「新明解国語辞典」だとか「三省堂国語辞典」「岩波国語辞典」といったものがそれだ。そのほかにも、「中型辞典」だとか「学習辞典」みたいなものがあるけれど、今回注目したいのは「実用辞典」というタイプのものだ。 この実用辞典、語釈(言葉の解説)は簡潔で、あまり詳しく書いてない。そのかわり、ペン字の書き方が載っていたり、図版がふんだんに入っていたり、簡単な和英がついていたりするタイプの国語辞典である。 このタイプは、20年ぐらい前までは、さまざまな出版社が独自の実用辞典を出していたが、最近はめっきり見かけなくなった。
投稿の中から、はまれぽ編集部もキニナルことを調査してお答えします! ぜひ投稿してみてね。(200文字まで) 1週間ほど前、仕事関係で広告出稿の問い合わせをはまレポにしたのですが全く返事がないです。。はまレポ事業継続しないのでしょうかね。まさかこんなグダグダな終わり方をするとは。。。 たこさん ↓自分で見に行きなさい笑 は冗談としても、吉田編集長やヤマギシ、クドーシュンサクがいた頃が懐かしい。あの頃は毎日更新していたような。なんでこの会社ははまレポ事業買っちゃったんだろう?、これじゃ転売しよ... たこさん
ふと思いたったので好きなアニソンを挙げてみる。 順位をつけるとか無粋の極みなので年代別に。 量が多くなりそうなのでまず80~84年から。 自分のバックグラウンドは1980年生まれ、男、神奈川県民。 古い曲はあとから再放送などで知った曲もある。 あとアニソンの定義も適当。音楽的な知識も無し。 #1980年 ##ニルスの不思議な旅 『ニルスのふしぎな旅』オープニング 確か英語版もあった記憶 ##ぼくのミシシッピー 世界名作劇場『トム・ソーヤーの冒険』エンディング ##あしたに生きろバルディオス 『宇宙戦士バルディオス』オープニング 歌詞の「やさしい風があつまって空のブルーになるんです」といったやさしい口調で根拠の無い断定がたまらない #1981年 ##おはよう! スパンク 『おはよう! スパンク』オープニング オープニングアニメは古い少女漫画テイスト全開でこそばゆい ##銀河旋風ブライガー 『
「『荒馬宗介』ってなんですか?」 「どんな話があったっけ?」 「どんなキャラクターがいたっけ?」 「あらま、こんなとこに!」 最近の更新: (すみません、更新滞っております……) 「荒馬宗介」に関する情報をお寄せください。掲載号やストーリー、登場人物など何でも構いません。 pw@beachboys.jp Mailform これまでにお寄せいただいた情報 「名探偵荒馬宗介」を刊行させよう 絶版・品切本の復刊リクエストを募り、復刊希望者が100名に達すると版元と交渉がスタート、うまくいけばその本が復刊! というサイト。「荒馬宗介」もリクエストされています。 2005年1月28日、100票に達しました! BACK LIST RANDOM NEXT Home ■「『荒馬宗介』ってなんですか?」 「名探偵荒馬宗介」は1970年代後半から83年頃まで、学習研究社「○年の学習」で連載されていた推理クイズ
「新婚さんいらっしゃい!」や「探偵! ナイトスクープ」などの番組タイトルを制作した職人、竹内志朗氏の著作本『テレビと芝居の手書き文字』がPDFデータとして無償配布中です。 竹内志朗氏は演劇の舞台装置のデザイン・設計と並行し、芝居やテレビ番組のタイトルやテロップを手書き制作しています。「新婚さんいらっしゃい!」や「探偵! ナイトスクープ」「プロポーズ大作戦」「鬼平犯科帳」など、そのタイトルに見覚えのある人も多いのでは? 竹内氏の著作本『テレビと芝居の手書き文字』は『舞台道具帳』と合わせて販売・配布してきたものの、現在は再版も完売し在庫がない状態。 出版当初の目的の「竹内志朗の行ってきた仕事、テレビ・舞台の裏方職業を皆様に周知していただく」を果たすため、このたびwebでの無償配布を行うことにしたそうです。 データは専用サイトの注意事項に同意した上で、メールフォームにより必要事項を記入、追ってダ
昨日はオフだったので、 姫路地区で密かに人気を呼んでいる「昭和カフェ」に行った。 「昭和カフェ」とはその名の通り、昭和を愛する人たちのための喫茶店である。 今のところ入店可能なのは昭和生まれの人間だけなので、 それほど流行ってはいない。若者たちの溜まり場にはなっていないからだ。 だが結構美味しいナポリタン・スパゲッティが食べられるので、 私を含む昭和ファンのお気に入りの場所となっている。 ここでは「昭和」の空気を徹底的に再現されることが求められる。 入店するにあたってはロッカーに、 平成になってから生まれたものは預けなければならない。 iPhone は論外として、ガラケーやポケベルさえも使わせては貰えない。 使う紙幣も夏目漱石や福沢諭吉は使えない。 つまり平成になってから刷られた紙幣や生まれた貨幣は使えないわけだ。 どうしても「昭和」の空気に浸りたい人たちはここで困ることになる。 一時期は
いま、「水沢不二夫のブログ 発見の手帳 PART Ⅲ」を見たらΣ(・ω・ノ)ノ! なんとΣ(゚◇゚;) ハッキンの示達書命令書ぢゃないすかっ!(*ω*;)´´ スゲーなぁ…ごがいなもんが、残ってゐたとはとは…(・o・;) 上記ブログによれば、「徳富蘇峰記念館」にあったのを数年まへに水沢さんが見つけたのが、やうやくHPで見られるやうになったとのこと(。・_・。)ノ おそらく現存最古の*1発禁処分の命令書。 1921(T10)年6月16日『国民新聞』 「水沢不二夫のブログ 発見の手帳 PART Ⅲ」http://blogs.yahoo.co.jp/kafuka1964/26252825.html まあ、この当時、つまり対象期はまだ、「発禁:はツきん*2」なる略語は通用されてをらんで、「発売頒布禁止」といはれとったに相違あるまいが…(はツきん、は昭和初期にできた略語だと、尾佐竹猛はチャーナリズム
京都府京都市西京区 / 富田 鉄雄 阪急電車桂川にかかる鉄橋付近、左岸、右岸とも河川敷はみ苦しい畑、きたない物置小屋等に占処されています。 50~60年前食料不足の時代に早いものがちに勝手にいも畑を作ったのが最初でいまだに不法占処され続けていると思われます。一部個人の私有地としてみとめられ、又許されているのですか。法的に有効手段がないのでしょうか。 早く強制撤去していただき、市民のいこいの場所にして下さい。 ご質問ありがとうございます。ご指摘の阪急桂川橋梁付近高水敷の耕作ですが、左岸右岸ともに、多くは個人の所有地、または国有地であって耕作のため国が占用許可している土地です。占用許可した経緯は、終戦直後の食糧増産が言われた時代に当時の河川管理者であった京都府が許可したものと思われ、昭和42年に国が管理を引き継いでからも許可を継続して現在に至っているものです。また、占用許可している土地以
「ロッチ」のシールを売り出したコスモスはその後どうなったか 企業・組織企業・組織のそれから Tweet 2014年08月30日 ※2008年の記事を、2014年に大幅加筆修正しました。 町で、コカコーラでもないのに真っ赤な自販機がうち捨てられていたのを見たことがないでしょうか?側面に「コスモス」と書いてあるものが。 それを管理していたのは、文字通り「コスモス」という会社、しかし売られていたのはジュースやタバコではなく、おおもちゃ。そう、それはかつておもちゃが売られていた自動販売機でした。 "Cosmos-vending-machine,motegi-town,japan" by katorisi - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示 2.5 via ウィキメディア・コモンズ. コスモスという会社 「コスモス」という会社は1977年あたりから存在し、子供向けの
どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は本当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した前回記事「『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1」の続きです。 前回記事では、鉄道事情・道路事情・タクシーやトラックの運転マナー事情を見て、交通事情に関していえば、昭和30年代は良い時代ではなかったかもしれないと結びました。 今回の記事では昭和30年代の住宅事情、治安、衛生面について書きたいと思います。 ●【住宅事情】引っ越したいけど引っ越せない、超格差な住宅事情(昭和31年) 「大都会を空から眺めますと、立て込んだ家の間にアパートの集団住宅が目立つようになりました」というナレーションでニュース映像は始まります。田んぼや畑が広がっていて、現代に生きる者には、ちょっと大都会には思えませんが……。 団
明治・大正・昭和の若い男性をガチ恋させた存在≒アイドルの追っかけ生態をひもとく「幻の近代アイドル史」、最高におもしろかった。 明治・大正・昭和の若い男性をマジ恋させた存在≒アイドルの追っかけ生態をひもとく「幻の近代アイドル史」全ページおもしろい…!出待ち入り待ち、レス乞食、執拗なファンレ、親衛隊、友人と書簡でリプ、新聞の投書欄で匿名罵り合い…全部入りすぎる http://t.co/qGZ6wQML9h— もぐもぐ (@mgmgnet) June 23, 2014 ステージに向かっての名前や合いの手のコールの嵐、出待ち入り待ちでの牽制、目線を求めるレス乞食、執拗なファンレターと愛のささやき、親衛隊の結束、書簡でヲタ友とリプ(Twitterみたいだ)、新聞の投書欄で匿名罵り合い(はい、2ちゃんねるですね)……全部入りすぎる!人間はそうそう変わらないぜ!愛はいつだって人を狂わせる!!!! 本書は
DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中
昭和40年代後半になると日本酒蔵では、「このまま三増酒だけではいけない」「売れればいいだけの桶売りでは日本酒の将来はない」「自分が美味しいと思うお酒を造りたい」という若い世代が出現し始めます。酒屋さんにも全国で「自分の売っているお酒は本当に美味しいのか?」「こんな不味い酒じゃなくどこかに美味しいお酒があるはずだ」と目覚める若い世代がポツポツと現れ始めます。 昭和50年代は蔵元も酒屋さんも、志のある方々が自分たち自身が美味しいと思うお酒を造り売ろうとする試みに七転八倒した時期です。しかしながら、一般消費者の認識は「大手酒造=安心・美味しい・ブランド」が根強く、少しでも日本酒に興味がある方でもメディアで知った「幻の酒信奉」にこだわる方ばかりでした。 自らの足で探した美味い酒だけを店に置いても「なぁぁんだ、白○(大手ブランド)ないのぉ」とか「幻の○○は置いてない?」という客ばかり。「客はバカばっ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く