もしかしたら過去にこういう試みがあったのかもしれないが、休日の暇つぶしと思って、少し付き合ってくれないだろうか。 「機械オタクのコミ症でも連邦軍最強になれました!」 「僕には帰れる場所があった件」 「アムロ、行きまーす! ~悲しいけどコレ、戦争なのよね!~」
何らかの宗教の信者に「神はいない」とか「聖書に書いてあるのは本当じゃない」とか言っても意味ないと思うんですよ。 よっぽどの狂信者でもない限り、聖典の隅から隅までを史実だと思ってるわけないじゃないですか。 神がいないなんて知ってますよ。 . 神がいないことを知ってるのに信仰が成り立つのかって思うかもしれません。 でもね、ちょっと考えてくださいよ。 あずにゃんペロペロしてるオタクに「あずにゃんは実在しない!」って言っても何か意味あります? 朝ドラの楡野鈴愛ちゃんが頑張り屋だなと思ってる人に「あれは永野芽郁です」って言って意味あります? . そりゃ実在はしませんよ。 でも実在しないキャラのファンになることだってあるじゃないですか。 フィクションに感動することもあるじゃないですか。 フィクションがときには誰かの生き様に影響を与えることもあるじゃないですか。 . 宗教の信者ってのもそれと同じですよ。
anond:20180609114041 それはコモンズの問題。社会を維持するためには様々な物が必要で、そのひとつがコモンズ。社会参加者の行動規範もあたえるし、法や制度にまで落とし込まれていない福祉とか地域社会の維持とかもコモンズに寄りかかっている。「みんなが当然だと思ってるから機能している無形のインフラ」はおおよそコモンズ。 もちろん町内会やPTAのように徐々に時代とそぐわなくなる慣習やコモンズもあるんだけど、公園がきれいなのも、人気のラーメン屋に行列ができるのも、コモンズのおかげ。 これがあるからみんなが快適に暮らせているわけなんだけど、これって参加者がそれぞれに行動自制や労力を持ち寄ってるから維持されてるわけ。コモンズによって生きていられるのだから、その維持には全員参加で貢献しなければならない。 日本は比較的恵まれてて豊かな先進国なのだけど、その居心地の良さはコモンズが強力であること
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