北条政村(ほうじょうまさむら)は鎌倉幕府の2代執権(しっけん)、北条義時の四男です。生母は義時の後妻にはいった正室の伊賀の方でしたが、政村20歳の時に義時が急死。 伊賀の方は嫡男の政村を3代執権にしようとして、尼将軍北条政子と対立し敗れます。しかし、政村については何も知らなかったとしてお咎めはなく、その後も鎌倉幕府で要職を歴任、運命のいたずらで還暦を迎えた時に執権に就任してしまうのです。 今回は数奇な人生を生きた鎌倉幕府7代執権、北条政村を解説します。 記事を引用する方へ:ほのぼの日本史はエンタメ要素を重視した娯楽読物であり、学術論文ではありません。記事内容の正確さについてほのぼの日本史はその一切を保障しません。ほのぼの日本史の記事を引用した結果、生じた損害等については、全て引用者の自己責任となります。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライタ