ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…
この、一回限りの人生の、不気味なまでの無目的性と不条理に立ち向かうためには、 「自分が自分である」という感覚こそが、 世界と宇宙の全てとすら対等である、という真理に、 なんとしても到達せねばならなかったのです。(M.HIJK) 何か漠然とした不安。知りたいという欲求。 誰に聞いても分からない。厳密で無くてもいい。 雰囲気だけでも、自分の「心」で、実感として理解したい。 『人って何なの?』 『どうしてオレは苦しんでまで生きねばならないのか?』 『私は誰“のために”存在しているの?』 『自分は誰“とともに”存在しているの?』 『何故みんな死ぬために生まれてきたのか?』 『明日地球が滅亡するなら今日は何をするのが正解なのか』 『あの人に冷たくされたくらいで、どうしてこんなに苦しいの』 『今自分が感じている全てが幻想と錯覚では無いと、どうして誰も証明してくれないんだ』 『何故全てが理解可能でないの
表題に釣られて読んだわけではない。表題が内容を反映していないとも言い難い。「高学歴男性におくる弱腰矯正読本 男の解放と変性意識(須原一秀)」(参照)は奇妙な本だった。面白かったかと言えば面白いのだが、一種の奇書の類でどう評価していいのかわからない困惑を覚える。いわゆる「トンデモ本」かというと、取りあえずはそうではないというぎりぎりの臨界の内側にあるようでいて、変性意識(非日常で狂気に近い状態の意識)というテーマを扱う学問的フレームワークがほとんど独断的に無視(著者は喝破のつもりかもしれない)しているように見える点ではトンデモ本と言っていいだろう。初版日付は2000年の1月31日。7年前だ。この7年の意味はもしかするとまた別のエントリで書くかもしれないし、もしかすると察しの良いコメントを頂ける可能性もゼロでもないかもしれない。 専門スジにはトンデモ本でしょうと言ったものの、そのスジの人、つま
“現代の全体”をとらえる一番大きくて簡単な枠組―体は自覚なき肯定主義の時代に突入した 作者: 須原一秀出版社/メーカー: 新評論発売日: 2005/02/01メディア: 単行本購入: 8人 クリック: 175回この商品を含むブログ (12件) を見る 多分本書の読者は、楽しみながら読み進める人と、あちらこちら引っかかりながら不満と共に読み進める人に分かれると思います。理由は本書全体の構造のせいです。 本書は、現代を「混迷の時代」とか「閉塞状況」などという悲観的現代観がはびこり過ぎている状況を打開するために書かれたものです。したがって、「悲観的現代観」を完全に間違っていると主張しているわけではなく、それは確かに現代の一側面をとらえているとしても、世の中全体がそのような暗い見方一色になるのはあまりも不健全なので、もっと色々な現代観を持つ人々が競合して輩出する環境を作るための本です。 そのために
フェロモンボディのボディソープを買いました。 スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...
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