2021.04.27 日米両国で、被爆者の怒りはどのように遠ざけられてきたか――『プロデュースされた〈被爆者〉たち—表象空間におけるヒロシマ・ナガサキ』(岩波書店) 柴田優呼(著者)日本文学 / カルチュラル・スタディーズ 『ヒロシマ・モナムール』(アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本、1959年)というフランス語の映画と出会ったのは、アメリカの大学院で研究中のことだ。北米の人文学では、「ヒロシマと言えばこれ」というぐらい有名な映画だった。だが、どうしてこれがヒロシマの映画なのだろう? と疑問に思った。 被爆者は冒頭、説明もなくバラバラに挿入された映像の中に現れるだけで、彼らの声もその物語も出てこない。その代わり、広島を訪問中のフランス人女性を中心に、ストーリーは展開する。彼女は広島で一時的な関係をもった日本人男性を相手に、フランスでの自分の戦争体験を語る。ドイツ人の占領兵と恋に落
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