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bookに関するgitanezのブックマーク (561)

  • ドキュマン/ジョルジュ・バタイユ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    2020年。新しいディケイドのはじまりの1冊は、大好きなバタイユの『ドキュマン』にした。そして、noteもここから書きはじめることにする。 いや、実は迷って選んでというよりは、あまり考えずに手にとったのが『ドキュマン』だったという方が良い。 しいて言えば、2019年最後に読み終えたアガンベンのに『ドキュマン』への言及があったからだろう。 というわけで『ドキュマン』だ。 このは、若きバタイユが1929年と30年の2年間主宰し刊行していた同名の雑誌に彼自身が執筆した文章を集めたものだ。 『ドキュマン』の創刊号に「学説、考古学、美術、民族誌」と書かれていたというが、そのとおり、や美術作品、演劇作品、美術展などへの批評もあれば、人類学や民族誌についてのものもあれば、古代や中世の歴史に目を向けたものあったりと、領域横断的な知が召喚され、広範囲にわたるバタイユの思考の展開に出会うことができる。

    ドキュマン/ジョルジュ・バタイユ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2020/01/09
  • 道化と笏杖/ウィリアム・ウィルフォード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    ファクトは実は疑わしい。 いつも疑問視しているカントの物自体をここで持ちだすのもなんだが、物自体に近づくことができないとされる人間が何故ファクトが意味するものを相手にできるのだろう。時間さえ人間の認識力ゆえに存在しているだけの不確かなものだというのに、何故人間である僕らがファクトを扱えると考えるのか。 数値化されたデータを元に何かを理解すること、それがファクトを扱っていることになると考えるなら、あんまりだ。属人的な認識に頼ることを回避するという意味でなら客観的ではあるが、果たして、それはファクトを扱って言えるのかという問いが何故発せられないのだろう。 もちろん、データを元に思考すること自体を否定しないし、その有用性も大事さもわかる。 けれど、それもまた1つの人間的な見方でしかなく、事実そのものを表しているものではないことにはもっと自覚的であってよいと思うのだ。数値化されたデータが、非人間的

    道化と笏杖/ウィリアム・ウィルフォード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2020/01/09
  • 2019年に読んだ30冊の本|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    個人的に、2019年は読書の当たり年だったように思う。 今年はいままでにも増して雑多な感じで、自分自身の興味関心の赴くまま、いろんな分野のを読んだのだけど、それが良かったみたい。 ジャンルも、書かれた時代も、書かれた文脈もバラバラでも、僕自身の視点によってそうしたバラバラのたちが大きく4つくらいの塊に縒り合わされて、僕の内に確かな知的感触を与えてくれた。 今回は、その4つの塊ごとに、今年の読書体験を振り返りつつ、読んだから30冊(正確には2冊のシリーズものもあるので31冊)をあらためて紹介しつつ、僕なりの2019年の振り返りとしたい。最初から長くなるのを覚悟して書き進めようと思うし、どこから読んでもいいように書こうと思うので、気になるところをピックアップして読んでもらえれば幸いだ。 時間とかたち1.時間は存在しない/カルロ・ロヴェッリ 過去と未来が違うのは、ひとえにこの世界を見ている

    2019年に読んだ30冊の本|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2020/01/09
  • 書斎の自画像/ジョルジョ・アガンベン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    アガンベンが書くものが好きだ。 なんというか意味が溶解するところ、理性的な人間を超えたところにあるものを見つめる視点に惹かれる。 このも含めて4冊目になるが、どのにも心を動かされてきた。 いままで読んだ4冊のうち『スタンツェ』(書評)と『ニンファ』(書評)の2冊は主に芸術に関しての思考を集めたものだ。『事物のしるし』はなんと要約すればいいか、むずかしいが、言うなれば思考の方法論について考察されている。 そして、この『書斎の自画像』は、シンプルに言ってしまえば、アガンベンの自叙伝となる。 出会いの連鎖この自叙伝は、アガンベンとさまざまな哲学者、美学者、詩人、作家、古典学者、画家、映像作家、批評家、編集者、音楽家などとの出会いが、彼の人生のいろんな時期にいろんな場所にあった書斎に飾られた写真を辿りながら語られる。 たとえば、1966年、彼がまだ24歳の若き頃にハイデガーと過ごしたプロヴァン

    書斎の自画像/ジョルジョ・アガンベン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/12/16
  • ガルガンチュア/フランソワ・ラブレー|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    ようやくラブレーを読む。 フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュア』は、もう何年も前から、いつかは読もうと思っていた、全5巻からなる『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の1巻目だ。 ラブレーとブリューゲルラブレーは、1483年くらいに生まれ、1553年に亡くなったフランス・ルネサンスを代表するユマニスト(人文主義者)であり、医師だ。 『ガルガンチュアとパンタグリュエル』は第2書にあたる『パンタグリュエル』が最初に1532年に書かれた後、第1書である作が1534年に、その後、1546年に第3の書、1548年に第4の書(完全版は1552年)、偽書との疑いのある第5の書はラブレーの死後、1564年に発表された。 ミハイル・バフチンには、「ラブレーは難解である」と言われつつも、「そのかわり正しく解明されるならば、彼の作品は数千年におよぶ民衆的な笑いの文化の発展に、逆に解明の光を投げかけるであろう。

    ガルガンチュア/フランソワ・ラブレー|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/12/16
  • イタリア・ルネサンスの文化(上)/ヤーコプ・ブルクハルト|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    人間とはこういうものだ、なんて想定は、単なるバイアスでしかなくて、まともな思考を曇らす厄介な思いだ。 ヨーロッパ中世やルネサンスの文化史に僕が興味を抱くのは、まさに、500年以上前の人びとの暮らしや思考に目を向けることで、僕らが「人間とはこういうものだ」と信じ込んでいる固定観念を見事に木っ端微塵に吹き飛ばしてくれるからだったりもする。もちろん、それだけが理由じゃないけど。 それほど、ヨーロッパ中世〜ルネサンスの人びとは、自分の都合で他人を殺すし、陥れる。敵対する他人に対してのみならず、家族同士でも自分にとって不都合な人物であれば、罠にはめたり殺傷したりの対象となる。 また、いまなら考えられない、異形な人たちに対する残酷な行い、笑いながら行ったりする。そうしたことが宮廷の饗宴の場や市民たちが集う街の広場において行われるのだ。 とても同じ「人間」とは思えないが、それはあくまで僕らが自分たちの価

    イタリア・ルネサンスの文化(上)/ヤーコプ・ブルクハルト|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/12/16
  • 屍者の帝国/伊藤計劃×円城塔|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    死んだ人間の身体を再利用しそれなりの仕事はできるよう、疑似霊素をインストールする。 100年前、18世紀の終わりまで、人間の肉体は死んだら黙示録の日まで甦る事はないとされていた。しかしいまは、そうではない。死後も死者は色々と忙しい。と、ジョン・H・ワトソンが語る19世期末のロンドンで、物語ははじまる。 ロンドン大学で医学を学ぶワトソンは、卒業を間近にしたある日、屍体に疑似霊素がインストールされ、動く死者になる瞬間をはじめて目にすることになる。 その施術を行なったのは、ワトソンの指導教官であるジャック・セワードと、その恩師であるエイブラハム・ヴァン・ヘルシング。 死者が甦る瞬間に立ち会った後、ワトソンは、ヘルシング教授とセワード教授の2人に連れられて、多くの屍体たちが乗合馬車の御者として働くロンドンの街を生者が御者の馬車に乗って移動し、モンタギュー街で探偵をしている弟のいるMという男に会い、

    屍者の帝国/伊藤計劃×円城塔|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/10/18
  • 花のノートルダム/ジャン・ジュネ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    クリエイティブ。 その言葉が視覚表現偏重にあるのは、どうにも気にくわない。 特に、言葉で表現された小説や詩などが置き去りになっている傾向は、クリエイティブの言葉を深みのないものにしてしまうようにも思える。 視覚表現のように、それほど時間的な労力や思考をするという労力をかけずに済むものに対して、書かれたものを読むという作業を伴う言語表現芸術はなるほど時間も思考コストもかかる。 けれど、だからといって、それらをそれだけの理由で鑑賞の対象から除外して、コストのかからないものにばかり逃げる怠惰さによって、言語表現芸術がクリエイティブという領域の外へと忘れ去られる事態はなんとも馬鹿げていると思う。 いまは拡大解釈されてしまって意味がよくわからなくなってしまっているが、そもそもリテラシーとは読み書きの能力を指す言葉だ。けれど、読み書き能力が乏しく、そこに時間も労力もかけられない人が平気でリテラシーを語

    花のノートルダム/ジャン・ジュネ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/10/15
  • 非唯物論 オブジェクト指向社会理論/グレアム・ハーマン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    ANTとOOO。 アクターネットワーク理論(Actor Network Theory)とオブジェクト指向存在論(Object Oriented Ontrogy)。 ある物事を理解するためには、その対象そのものを内側から直接見ようとするだけでなく、その外側からすこし距離をおいて同時に見てみたほうが理解が深まりやすい。 今回、僕はANTに関してそれができた。 ブリュノ・ラトゥールの『社会的なものを組み直す』でANTについて知ったばかりなので、グレアム・ハーマンが『非唯物論 オブジェクト指向社会理論』を読んだのだが、ハーマン自身が掲げるOOOの観点からANT、特にラトゥールのそれを批判的に見つつも評価しているものを読むことによって、外側からANTへの理解を深めることができたからだ。 物事を生起的にみるANT詳しくは、「社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門/ブリュノ・ラトゥール」と

    非唯物論 オブジェクト指向社会理論/グレアム・ハーマン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/10/05
  • アルベルト・ジャコメッティのアトリエ/ジャン・ジュネ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    何故だろう。 ジュネのようにはなれないはずなのに、彼の言葉には共感する。 たとえ私一人のためであれ、私はなお、人を罵る者たちを罵りたいのです。こう、述べるジュネは「私についていえば、私は選択しました。犯罪の側につきます」と宣言しているジュネだ。 「私はほとんど幻想を持っていません。私は虚空のなかで、暗闇のなかで話しています」と述べた上で、自分のためだと自覚した上で「罵る者を罵りたい」と言っている。 このジュネに僕は何故だか共感を覚えてしまう。 昼の光の瀬戸際から引き戻されて上の引用は、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』というジャン・ジュネの6篇のエッセイを集めたに所収の「犯罪少年」と題された、ジュネがあるラジオの依頼で書いた原稿であり、結局、その原稿を提出した上で出演が取り消された原稿を出版したものだ。 その書き出しは後から付け加えられた、このような語りから始められている。 思えば

    アルベルト・ジャコメッティのアトリエ/ジャン・ジュネ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/09/28
  • 時間は存在しない/カルロ・ロヴェッリ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    なにこのシンクロ感。 カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』。 一昨日の夜に読みはじめ昨夜読み終えた、量子重力理論を研究する理論物理学者の言うことが、1つ前に読んだ社会学者ブリュノ・ラトゥールの『社会的なものを組み直す』でのアクターネットワーク理論の主張とリンクしまくっていて、びっくりした。 この世界は、ただ1人の指揮官が刻むリズムに従って前進する小隊ではなく、互いに影響を及ぼし合う出来事のネットワークなのだ。このロヴェッリによる「世界を出来事のネットワーク」として捉えた記述などは、ラトゥールが以下のように「エージェンシー郡の結び目を紐解く」必要性について記述するのと重なるように思う。 行為は、数々の驚くべきエージェンシー群の結節点、結び目、複合体として看取されるべきものであり、このエージェンシー群をゆっくりと紐解いていく必要がある。ネットワーク、そして、その結び目。 かたや社会科学者の言

    時間は存在しない/カルロ・ロヴェッリ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/09/24
  • 社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門/ブリュノ・ラトゥール|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    まず循環がある。 循環があるからつながり、変化が起こり、生成が生じる。 社会があるのではない。社会という固定化された何ものかがあると仮定して、それを探そうとするから見つからない。そうではなく、社会が生成されてくる様に目を向けてみるといい。いや、目を向ける必要がある、その把握しきれないほど天文学的な数の生成の複数性に。 ブリュノ・ラトゥールが書『社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門』で伝えてくれることを大まかに示せばそういうことになるだろうか。 むずかしい内容ではあるが、さまざまなところに応用可能な考え方が詰まっただと思った。 アクターネットワーク理論の射程たとえば、「訳者あとがき」に、こうあるとおり、その考え方は、経営や組織を考えることにも有効だと思った。 アクターネットワーク理論は、その出自である科学論(科学社会学)の境界を越えて、さまざまな分野の社会学(都市社会学、

    社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門/ブリュノ・ラトゥール|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/09/24
  • 神の三位一体が人権を生んだ/八木雄二|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    僕は、どちらかというと海外の作者が書いたの翻訳を読む頻度が高い。 特にヨーロッパ系の作者の書いたものを読む機会が多い。 だから、かえって日人の作者がヨーロッパのことについて書いたものをたまに読むと、違う視点でヨーロッパの特殊性にあらためて気づくことができて、普段と違った感動をおぼえる。 この八木雄二さんの『神の三位一体が人権を生んだ』もまさに、そんな感動を何度もおぼえつつ読んだ。 人として「在る」ということ、他者の「在る」もまた認めるということ、そして、それを認めた上で、自分たち人間がどう生き、どう仕事をするのかということを考えるきっかけを与えてくれたという意味でも読んでよかった。 主題は、人格と三位一体というより、ソクラテスの無知の知良いと思えたからこそ、このタイトルはこれで良かったのだろうか?という疑問はある。まあ、中身の面白さを損なうものではないのだけど、このタイトル通りの内

    神の三位一体が人権を生んだ/八木雄二|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/09/10
  • 進化の意外な順序/アントニオ・ダマシオ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    今年は僕の読書的には当たり年だ。 このアントニオ・ダマシオの『進化の意外な順序』も当たりだった。 人間の意識というものを、冷たい電気のパルスのようなものに還元してしまわずに、生物が蠢きながら行う化学的なやりとりとも切ってはきれないものであることを暴くことで、哲学的な二元論の伝統を破壊するという、きわめて僕好みな内容だったからだ。 その意味で、内容は、タイトルである「進化の意外な順序」よりも副題である「感情、意識、創造性と文化の起源」のほうがそれを表している。 感情や意識や創造性に文化と並んでしまうと人間にフォーカスが当たっているように思えるが、そうではない。「起源」とあるように、感情や意識がどこから来たかという問いに対する回答が、細菌や社会性昆虫などの地点から語られる。 「意外な順序」といわれるのは、文化的な社会につながりそうな利他的な活動の選択が、心を持たないはずの単純な動物にも「協調」

    進化の意外な順序/アントニオ・ダマシオ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/09/03
  • 影の歴史/ヴィクトル・I・ストイキツァ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    「絵画の誕生について知られていることはほとんど何もない」。 古代ローマの博物誌家・大プリニウスが『博物誌』で書いたのを引きながら、『影の歴史』の著者ヴィクトル・I・ストイキツァは、「しかし」といって、こう続ける。 ひとつだけ確かなのは、人間の影の輪郭を初めて線でなぞった時に絵画が誕生したということである。影。対象物によって光が遮られた部分を示す、ネガとしての図像だ。 「西洋の芸術表象の誕生が「陰画=否定(ネガティヴ)」にあるということは、きわめて重要だ」とストイキツァは書く。 その誕生からはるか時が流れた啓蒙主義(en•light•ment)の時代なら、蒙(くら)いものに光を当てて明らかにすることこそが絵画の役割と考えられた。しかし、その起源においては、むしろ真逆な形で光を閉ざしたところで絵画は始まったというわけだ。 このは、これまで光の芸術として描かれてきた視覚芸術の歴史を、影という正

    影の歴史/ヴィクトル・I・ストイキツァ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/08/22
  • お気に召すまま/シェイクスピア|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    牧歌という理想郷的自然。それほど人工的な夢想はない。 そこは自然の見せかけで彩られてはいても、あまりに人間じみた時のとまった世界である。 『シェイクスピアの生ける芸術』のなかで著書のロザリー・L・コリーは、シェイクスピアの『お気に召すまま』について、こう書いている。 このロマンティック・コメディの大枠の構造は、まさに標準的な牧歌劇の型―― 追放や出奔の後、自然界で休息=再創造(リクリエーション)としての滞在をし、そしてついには、流謫の地から「来の住処へと」帰還する、それも田園で同胞(kind)と情(kindness)に触れることで道徳的な力を強められて帰還するという型―― を踏まえている。「自然界で休息=再創造(リクリエーション)としての滞在」、そして、帰還。 なんとも夏休みに読むのにぴったりのではないか。 だから、僕も夏休み最終日にさくっと読んだ。1時間ちょっとでさくっと読めるのがシ

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    gitanez 2019/08/21
  • イメージ人類学/ハンス・ベルティンク|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    僕らはきっと実際の物事を見ているより、イメージを見ている方が多い。 そう思うのは、単にスマホやPCテレビの画面に映し出された静止画や動画に目を向けている時間が長いからというだけではない。街にさまざまなグラフィック広告があふれかえっているというからというのでもない。 そもそも、実際目の前に人間やその他さまざまな物事があっても、果たして僕らは当にそれらの実在のものに目を向けているのだろうか?と思うからだ。 もちろん、僕らは世界を見てはいる。 けれど、意識にのぼってくる視覚情報はそんなに多くはない。 考えごとなんかしてたら、頭のなかのイメージが優先されて目の前のものがほとんど見えなくなる経験は誰にだってあるはずだ。 来は目に入っているのに、意識からは省略して消してしまっている部分が大部分なのだろう。 そして、残った部分がイメージであると言いたいが、実際はベルクソンが言っていたように、それは

    イメージ人類学/ハンス・ベルティンク|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/08/10
  • 物質と記憶/アンリ・ベルクソン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    「知覚を事物の中に置く」。 ベルクソンの、この常識的な感覚とは異なる知覚というものの捉え方が、より常識はずれながら、哲学がなかなかそこから抜け出せない精神と物の二元論の罠から逃れるきっかけとなる。 知覚を通常考えられているように人間の内面の側に置くのではなく、身体が運動の対象としようとする物の側に置く転倒は、ベルクソンの『物質と記憶』の数ある「目から鱗」な考えの1つだ。 そう1つ。このには他にもたくさんの「目から鱗」な事柄がたくさんある。 そして、そのどれもが納得感のあるもので、僕はこので一気にベルクソンのことが好きになった。 『有限性の後で』より前に昔から、どうしても腑に落ちなかった。哲学が、物質と精神を執拗に分け隔ててしまうことが、だ。 ひどいもの(メイヤスーが「強い相関主義」と呼ぶもの)になると、カントの物自体への接近不可能性を超えて、認識できない存在(物自体)を考えること自体、

    物質と記憶/アンリ・ベルクソン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/08/03
  • 三体/劉慈欣|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    『三体』は中国の作家、劉慈欣(リウ・ツーシン)が2006年に連載し、2008年に単行化されたSF小説。 2014年に英訳され、2015年に世界最大のSF賞といわれるヒューゴ賞長編部門を受賞。そして、今月いよいよ日語訳が出版されたばかりの1冊で、なんとなく直感的に興味を惹かれてさっそく読んでみた。 400ページを超える作品だが、面白いので通常の読書ペースでも無理なく4日ほどで読み終えられた。 『三体』は3部作の1冊目にあたるらしく、すでに中国では3部作は完結している。 3部作あわせた累計発行部数は中国語版だけで2100万部に達するという桁違いの作品なのだそうだ。 さらには、amazonがドラマ化を計画しているとも言われている。 three-body problemネタバレしないように紹介しようと思うので、面白さを伝えるのはむずかしい。 何から話をはじめればいいか迷うが、まあ、ここからがい

    三体/劉慈欣|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/26
  • 流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則/エイドリアン・ベジャン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    とてつもなく示唆に富んだだ。 これを読まずして何を読む? そう言ってよい一冊だと思う。 進化とは、単なる生物学的進化よりもはるかに幅の広い概念だ。それは物理の概念なのだ。と著者で、ルーマニア出身のデューク大学の物理学教授であるエイドリアン・ベジャンは書いている。 このでベジャンは物理学視点によって生物の進化と、河川などの無機物の変化、さらには人間によるテクノロジーの進歩の流れを、統合的に予測可能なものにしている。 書は、生命とは何かという問いの根源を探求しようという私の試みであり、そのために、動くもの、動きながら自由に変化するものすべての最も深い衝動や特性を吟味する。とベジャンがその目的を記した、この『流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則』は、あらゆる変化が時間の経過そのものだということを示している。ベジャンの、生命とは何か? 問うべき対象である生命そのものを従来と

    流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則/エイドリアン・ベジャン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/17