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道化と笏杖/ウィリアム・ウィルフォード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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道化と笏杖/ウィリアム・ウィルフォード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
ファクトは実は疑わしい。 いつも疑問視しているカントの物自体をここで持ちだすのもなんだが、物自体に... ファクトは実は疑わしい。 いつも疑問視しているカントの物自体をここで持ちだすのもなんだが、物自体に近づくことができないとされる人間が何故ファクトが意味するものを相手にできるのだろう。時間さえ人間の認識力ゆえに存在しているだけの不確かなものだというのに、何故人間である僕らがファクトを扱えると考えるのか。 数値化されたデータを元に何かを理解すること、それがファクトを扱っていることになると考えるなら、あんまりだ。属人的な認識に頼ることを回避するという意味でなら客観的ではあるが、果たして、それはファクトを扱って言えるのかという問いが何故発せられないのだろう。 もちろん、データを元に思考すること自体を否定しないし、その有用性も大事さもわかる。 けれど、それもまた1つの人間的な見方でしかなく、事実そのものを表しているものではないことにはもっと自覚的であってよいと思うのだ。数値化されたデータが、非人間的