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  • 想像する力と想像を捨てる力|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    想像力が大事だ。 他人のことを想像する力、自分の言ったこと/書いたことがちゃんと相手に伝わるかを検討してみる力、自分が行うこと/行なおうとしていることが外にどんな影響をもたらすかを想像する力、自分の仕事がどういう結果につながるかを想像する力。 ようは自分の言動に責任をもつために、想像力は欠かせないということだ。 だから、「自分勝手ではない」というのは、こうした想像力を常に働かせているか?ということに他ならない。だけど、自分勝手じゃないと言いつつ、こうした想像がほとんどできてない人は山ほどいる。 残念ながら、「自分勝手をしてるつもりではない」ということだけでは、実際に自分勝手ではないということにはならない。自分勝手かどうかは、あくまで自分が行うことが他人に、外部にどう影響してしまうのかを想像した上で行動の選択を行なっているかどうかによって決まるのだから。 目の前にない像を想う想像力というのは

    想像する力と想像を捨てる力|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/22
  • 答えを見つけることを楽しむ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    答えが見つからない時、つらそうな表情をしてしまう人がいる。そして、あきらめてしまって愚痴をこぼしはじめる。 そもそもの仕事をする上でのスタンスが違うんだろうなと思う。 プロフェッショナルの仕事というのは、基的にクライアントが自分たちでは解けない難問を責任をもって解くことだろう。 で、プロフェッショナルとして仕事を続けていきたいならその「難問を解く」という責務を楽しめるようでないと、仕事が単につらいものになってしまう。いつも新しい仕事がはじまる度に、ああ、いやだななんて感じなきゃいけないとしたら、僕には耐えられない。 すべてのプロフェッショナルな仕事は答えを出すことで、それに責任を持つことが欠かせない。 もちろん、何に対して、どんな答えを出すかは、何のプロフェッショナルであるかで違う。 料理のプロ、野球のプロ、医療のプロ、経営コンサルティングのプロ、特定工学分野の技術のプロ、グラフィックデ

    答えを見つけることを楽しむ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/20
  • 理解力と転換力|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    問題を適切に理解し、課題解決策へと転換する。 よりシンプルに言えば、問いと解の両方をつくりだすことだ。 状況を適切に理解するたとえば、関係者へのヒアリングや事前調査の資料の閲覧を通じて、あるクライアントの現市場環境における問題を洗い出し、適切に取り組むべき課題を設定し、力のある解決策を見つけだす。「力のある」とは、その解決策によって社会的環境に大きな変化を及ぼし、クライアントにとっても利点があるようなものだ。 また、たとえば、クライアント自身が具体的な問題を把握していない場合もあるだろう。 既存のビジネスの延長ではない新たな領域でのビジネス展開を考えているときなどだ。その場合、現状は把握のためのリサーチそのものの課題設定そのものからクリエイティブな作業となる。 しかし、それとて適切な情報収集に基づいて状況を理解し、課題解決へと転換する、同じ流れを踏めれば、そんなに大きな違いは来はない。

    理解力と転換力|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/18
  • 変化と知識|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    昨日紹介した『流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則』の番外編。 著者のエイドリアン・ベジャンによる知能と知識に関する、こんな区別についても紹介しておきたい。 もし物理学現象としての知識と知能を区別するとすれば、知能は知識を所有したり、創造したり、伝えたりする人間の能力ということになる。 まず「物理学現象としての知識と知能」っていうのがいいよね。知識や知恵まで物理学の現象として捉えようとする徹底した姿勢。 で、物理学現象としての知能がそんな風に知識を扱う能力だとすれば、知識のほうはどうか? 知識とは、アイデア(デザイン変更)と行動(デザイン変更の実行)という、同時に存在する、デザインの2つの特徴の名称なのだ。データやのページは知識ではない。デザイン変更は自然に広まり、動きの拡がりを促進し、高める。 ここで、知識とは、アイデアだけではなく、それを実行に移す行動も含めたものだ

    変化と知識|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/17
  • 流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則/エイドリアン・ベジャン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    とてつもなく示唆に富んだだ。 これを読まずして何を読む? そう言ってよい一冊だと思う。 進化とは、単なる生物学的進化よりもはるかに幅の広い概念だ。それは物理の概念なのだ。と著者で、ルーマニア出身のデューク大学の物理学教授であるエイドリアン・ベジャンは書いている。 このでベジャンは物理学視点によって生物の進化と、河川などの無機物の変化、さらには人間によるテクノロジーの進歩の流れを、統合的に予測可能なものにしている。 書は、生命とは何かという問いの根源を探求しようという私の試みであり、そのために、動くもの、動きながら自由に変化するものすべての最も深い衝動や特性を吟味する。とベジャンがその目的を記した、この『流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則』は、あらゆる変化が時間の経過そのものだということを示している。ベジャンの、生命とは何か? 問うべき対象である生命そのものを従来と

    流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則/エイドリアン・ベジャン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/17
  • 持続可能な社会のためのシステム的思考|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    いまの時代、物事をシステムとして捉え、思考する力が何より必要だと、強く感じる。 いま読んでいるエイドリアン・ベジャンの『流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則』は、そのタイトルにあるとおり、世の中のさまざまなことを「流れ」に着目する。「流れ」という観点で考えることで、生物に限らず、あらゆる進化が世の中の流れや動きをより良くするためのデザイン変更であることを提示する。 力の生成と消費と動きは、進化の統一的見解を提示する。この見解によって、動物のデザインと動き、河川流域、乱流、運動競技、テクノロジー、グローバルなデザインなど、進化の現象が科学的に観察され、記録され、研究されているすべての領域の説明がつく。進化とは、時の経過とともに起こるデザインの修正であり、生物の地表と無生地表の全体へそうした変化が拡がることを意味する。川の流れはより効率よく水が流れるようにその流域のデザインを

    持続可能な社会のためのシステム的思考|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/13
  • 大人の学び|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    いま読んでるエイドリアン・ベジャンの『流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則』は、いろいろ示唆的だ。 例えば、税収を増やすには、所得と資に対する税率を下げるといいという話かある。「なるほど」と思った。 アメリカ経済学者アーサー・ラッファーは、所得と資に対する税を減らすことを提案し、それが税収の増加につながると主張した。彼は正しかった。彼が提唱した変化は経済全体の流れを解放し、経済が成長したからだ。現在の結果、効率と生産性と経済活動が増加した。 所得や資に対する税率を下げて、個人や法人の活動量を増やし、彼らの収入と消費量が増えれば、下げた税率文化以上に課税対象額が増えて、結果、税収は増加するということだろう。 ようは流れを最大化したほうが、得るものは大きいということだ。であれば、流れを妨げる障害を取り除くことで、得るものを増やすことにつながる。 大きな川はより大きな流

    大人の学び|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/12
  • 普通にできることのレベルを上げる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    フォロワー数が30000人を超えた。 10000人を超えるまで8ヶ月、次の20000人までは6ヶ月だったが、今回は5ケ月で30000人に到達。ペースが上がってるのは、noteそのもののユーザーが増えているからなのだろう。 とても万人向けとは言えない内容のこのnoteに、その3倍の3万人のフォロワーがいるのはいつも不思議に思いつつも、現にそれだけの方が気にしてくれているのだと思うと、何ともありがたい気持ちになる。 とはいえ、フォロワー数が30000人を超えたとて、僕の書くことに何か変わりがあるわけではない。 これまで通りの感じでそこそこのペースで更新を続けたい。 コンフォートゾーンの外にさて、前回「大人の学び」ということについて書いた。 若い頃は多くの人が学ぶが、大人になると学ぶ努力が極端に減ってしまう人が多いということについて。 言うなれば、それは積極的に自分を変えようとしないということだ

    普通にできることのレベルを上げる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/12
  • アンリ・フォシヨンと未完の美術史:かたち・生命・歴史/阿部成樹|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    「敷衍」という語を「ふえん」と読むことにこの歳になってはじめて知った。 「ふえん」という言葉は知っていたし、「敷衍」という文字も見たことはあるにもかかわらず、だ。 フォシヨンの言うところを敷衍すれば、知的探求を導くのは小心な受動性よりも、大胆な積極性であるということになろう。「敷衍」が「ふえん」であるのを知るきっかけは、阿部成樹著の『アンリ・フォシヨンと未完の美術史:かたち・生命・歴史』にある、この文中に「敷衍」が登場していたからだ。 上のテキストを入力するために読みを調べた。そこではじめて「敷衍」という文字と「ふえん」という音を持つ言葉が結びついたのである。 「知的探求を導くのは小心な受動性よりも、大胆な積極性である」というのはもっともだ。 待っているだけでは何も新たな知は得られない。みずから積極的に未知の領域、謎めいた対象を探求しようと動かなければ、新たな知の獲得など望むべくもないから

    アンリ・フォシヨンと未完の美術史:かたち・生命・歴史/阿部成樹|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    gitanez 2019/07/08
  • 共創の技術|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    いっしょに創るための技術が足りない。 これだけ「共創」だとか「協創」なんてことが言われていながら、まだまだ世の中では、どうやったらうまく効果的に異なる文化や専門領域をもった他の人たちと仕事ができるかという観点での技術は、残念ながら未熟な段階にあるなと感じる。 個人においても、組織においても、共創技術が未熟それは個々人の考え方や仕事をする上でのスキルという面でも、共創のスタイルで仕事をするためのものに書き換えられていないし、それを学習、教育するための仕組みもまだまだ整備が圧倒的に不十分だ。 共創に参加しているはずの人が、どうしたら文化や専門性の異なる人たちと、議論し、共同作業し、それぞれの誰もがかたちにしえなかった新たな価値をその共同ワークから作り得るのかについての知識を持っていないケースは少なくない。具体的なワークにおける振る舞いにおいても、どうすれば共創のためのコミュニケーションが成り立

    共創の技術|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
  • 時間のなかに生きる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    僕らは空間のなかに生きているのではない。 僕らは時間のなかに生きているのだと思う。 変わらぬ空間を前提にするよりも、変化そのものである時間のなかで生きている、そのことを前提に考えてみる。行動してみる。 自分たちが変化からどんな影響を受け、逆に自分たちの活動によってどんな変化を生み出しているかを考えることが自然にできるようになるといい。 生成であり、変化である時間物質の性質や、種としての生物の特徴も常に変化するようなものではない。 けれど、個々の物質の状態はむしろ一定ではないし、個体としての生物にいたっては止まることなく変わり続け、歳を重ねていく。 この当たり前のことを前提にして思考することができず、間違った行動の前提をおいてしまうことが多いのではないだろうか。 つまり、変わらぬことを前提に「維持」という行動判断をしてしまうことが。 だが、周りが常に変わっていくことを前提とすれば、「維持」な

    時間のなかに生きる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
  • こうしたらああなる思考|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    フランス南部のモンペリエ近郊のガラルグルモンテュ村で、気温が45.9℃に達し、フランス史上最高気温の記録を更新したという。 まだ6月である。一方、僕がGWに行ったパリでは雹が降るくらい寒かった。 5月に雹、6月に40度越えの猛暑。もはや季節とは何かわからない。 毎年異常ともいえる猛暑が続くのはヨーロッパだけでなく、ここ数年の日も含め、世界的な現象だ。もはや異常気象というより、温暖化がデフォルトである。しかも、単にデフォルトになったというよりも、どんどん進んでいる。 人間の活動が地球環境に与える影響が僕ら自身の生命と文化の継続を危機的なものにしていることは、もはや明らかになりすぎているといえる。 その観点に立てば、SDGsの環境負荷を減らす目標も単なる数字というよりも僕たち自身に課せられた責任そのもので、何をするにもそのことを考えて行動するしかなくなったのだと感じる。 仕事の目標としてこん

    こうしたらああなる思考|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
  • 本が読めない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』を読みはじめた。 最近、シャルル・ペギーの『クリオ』やら、美術史家アンリ・フォシヨンについて書かれたなど、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランスで活躍した著作家のものに触れている。特にそうしようと思っているわけではないのだけれど、手に取るものがたまたまそうなっている。 この『物質と記憶』も同じく1896年に書かれている。 1914年頃書かれたとされるペギーの『クリオ』や、フォシヨンの『かたちの生命』が1934年の発行だったりするので、その2冊にもベルクソンへの言及があった。 それもあってのことだ。 もともとドゥルーズの著作などでの紹介も通じて読みたいと思っていた『物質と記憶』を読みはじめたのは。 なんて、そもそも読みにくいものところで、その『物資と記憶』の「訳者解説」をチラ見したところ、「『物質と記憶』は、ベルクソンの著作の中でもいちばん難解だ、

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  • 潜在的イメージ/ダリオ・ガンボーニ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    「作品にとっての名誉も、作品の評価も、作品の寿命も、すべて私たちの一存で決まる」と女神は言った。 少し前に紹介した20世紀初頭のフランスの作家シャルル・ペギーの『クリオ』の中で、主人公である歴史を司る女神で、ムーサ9柱の1人、クリオの言葉だ。クリオはそのあと、こう続ける。 「たかが評価とも思うかもしれないけど、作品をめぐる評価は、作品が存在することそれ自体に等しいから、決して軽視すべきではない」と。 クリオが言及するのは文学作品のことだけど、文学作品に限らず、美術でも音楽でも、作品の価値、存在理由は作家自体のみによって決まるのではなく、それを鑑賞し評価する人たちによっても決まる。 その意味で「私たちの手に落ち、私たちに世話されることで、私たちの手中にあるという、たったそれだけのことで、作品には、いつまでも完成にいたることのない成就が与えられる」という女神の言葉は、作品に限らず、人間にとって

    潜在的イメージ/ダリオ・ガンボーニ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2019/06/23
  • 決定論に身を委ねるな、創造的であろうとするなら|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    創造的であろうとすることとは、もちろん、すべてがゼロの状態から自分の内からの生成力によって生じることを意味しない。 むしろ、ゼロからの創造なんてものは、所詮、人間には無理な話(いや、人間以外にとってもそうなはずだ)。創造とはむしろ、ゼロスタートではなく、すでに外的な環境から与えられたものもうまく利用しながら、ただ、これまでは存在しなかった組み合わせとしての新たなものを創り出す活動なのだと思う。 外的な環境からの影響外的な環境からの影響を受けつつ、創造を行うといって、それは創造の成否を外的要因のせいにして良いという話ではない。外的な環境からの力を借りることは大前提であるにしても、主体的に創造を行うのはあくまで活動の主体である自分たちだからだ。 ひとつ前で紹介した『アンリ・フォシヨンと未完の美術史』では、普仏戦争ドイツに敗れたフランスにおいて、極度のドイツ嫌悪として、ドイツからの影響をことご

    決定論に身を委ねるな、創造的であろうとするなら|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
  • 知識人というカテゴリの誕生|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    固定した形態にとらわれず、変化を見てそれをベースに思考を組み立てることが大事だと思う。世の中の動きを捉えて、その中でまともな思考をしようとすれば、「生成」という視点をしっかり持つことが必要だと思うからだ。 なぜなら時間は、その質において生成であり、歴史とは「可塑的な持続」、すなわち変化だからである。 こう書くのは、『アンリ・フォシヨンと未完の美術史:かたち・生命・歴史』の阿部成樹さん。 「時の尺度を生きた歴史の推移そのものと混同して」しまう人間の思考のクセを指摘し、「時代区分が歴史の運動を固定し」てしまうことを避け、「「型枠に実質的な価値を与える」ことから、いったん自由にならなければならない」とした後に続くのが、上の引用部だ。 複雑な組み合わせから生じる変化昔と今、そして、未来。 そこに何らかの型枠をはめて機械的に変化が生じていくように考えるのは安易すぎる間違いだ。 いや、間違いというよ

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  • クリオ 歴史と異教的魂の対話/シャルル・ペギー|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    昨年の秋くらいからだろうか。 読むの雑多性が増している。 面白そうと思えればジャンルなど気にせず読んでいる。特に読んでいるのなかで紹介されて興味をもったがあれば、その瞬間にamazonで調べて購入することも多い。 残念ながら絶版になってるも多いのだけど、売っていれば基的に買う。届いてすぐ読むかは別物だ。 だから、読みはじめるときには、どんなきっかけで買ったのかを忘れてることもしばしば。何かので紹介されてて買ったのは覚えてても、それがどのだったか思い出せない。そのくらい、そういう買い方をすることがしょっちゅうだし、あまり考えずに直感的に買っているからだ。 そうして読書遍歴は雑多な様相を呈するようになる。 クリオ: 歴史と異教的魂の対話この遍歴がかたちを成すというところにも興味がある。 時間をともない動的に生み出される「遍歴」のようなダイナミックな「かたち」。 先に何が起こるか考

    クリオ 歴史と異教的魂の対話/シャルル・ペギー|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2019/06/16
  • シャッフル航法/円城塔|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    創造力を高めるためのスキル。 そのスキルがちゃんと身についていないまま行う創造的作業は結果に繋がりにくい。 そういうことが往々にして起こってしまうひとつの要因として、創造の道具としての言語の力を僕らが過小評価していることがあるのではないか。 言葉は僕らの考えを縛る。どんな語彙を使えるかで何を考えうるかの範囲は変わってくる。 また、言葉の巧みな組み合わせで、その限界を突破できるかどうかも、言語化のスキルによって随分異なる。 当たり前のことばかりしか考えられないのは、当たり前の語彙と当たり前のそれらの組み合わせしか用いることができない貧相な言語化力のせいだったりしないだろうか? 人それぞれの言語化力の違いが、その人にとっての可能世界の範囲を狭めてしまいもすれば、広げてくれもする。 そんなことをあらためて思ったのは円城塔の短編集『シャッフル航法』を読んだからだ。 この3日ほどの間にサクッと読み終

    シャッフル航法/円城塔|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    gitanez
    gitanez 2019/06/10
  • 見えるのではない、見えるようにするのだ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    視野の広さって大事だと最近は繰り返し思う。 見えてないものは考えられないし、見えてないものには感情を動かされもしない。実際には、起こっている出来事でも見えてなければ、心配にもならないし、どうにかしなければとも思わないし、何か行動を起こそうとも思わない。 ようは視野が狭いと、行動や思考がかなり制限されているということだ。 危機も、チャンスも、目に入ってこなければ、何をしていいかもわからないし、そもそも何かしなくてはいけないと感じることもない。 視野が狭いと、冒険にも向かないし、実験的行動にも向かない。新たな発見や発明などはとんでもない。 昨日「保守的であること」について書いたけど、まさに視野狭窄が意志にかかわらず人を保守的にしてしまうということだ。 見ようとしなければ見えない空間的な視野の広さ、時間的な視野の広さ。 自分のまわりのこと以外がほとんど見えていなければ、過去も未来も視界に入ってい

    見えるのではない、見えるようにするのだ|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
  • 保守的であるということは……|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    先送り。いや、変わらぬことへの希求だろうか? 今日という、あまりに貧しい1日が、明日という、同じく貧しい1日に訴える。今日という日を含む、あまりに悲惨な1年が、今回かぎりの1年が、今現在の、あまりにも虚弱な1年が、明日という日を含む、同じく悲惨な1年に訴える。現在の悲惨が未来の悲惨に訴える。そして現在の虚弱が未来の虚弱に訴える。そして現在の謙遜が未来の謙遜に訴える。そして現在の人間的特性が未来の人間的特性に訴える。この考え方を、どうして否定することができるかしら。 ハッとさせられたりしないだろうか。あるいは、そうそう、こういうのが厄介なのだと感じたりしないだろうか。 『クリオ 歴史と異教的魂の対話』より。 20世紀初頭のフランスの作家シャルル・ペギーの作品。 ここでなされているのは、自分の行為が正しかったかどうかを未来の判断に委ねるという話。自己の行ったことの是非を歴史に問うという話。 ク

    保守的であるということは……|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi