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保守的であるということは……|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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保守的であるということは……|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
先送り。いや、変わらぬことへの希求だろうか? 今日という、あまりに貧しい1日が、明日という、同じく... 先送り。いや、変わらぬことへの希求だろうか? 今日という、あまりに貧しい1日が、明日という、同じく貧しい1日に訴える。今日という日を含む、あまりに悲惨な1年が、今回かぎりの1年が、今現在の、あまりにも虚弱な1年が、明日という日を含む、同じく悲惨な1年に訴える。現在の悲惨が未来の悲惨に訴える。そして現在の虚弱が未来の虚弱に訴える。そして現在の謙遜が未来の謙遜に訴える。そして現在の人間的特性が未来の人間的特性に訴える。この考え方を、どうして否定することができるかしら。 ハッとさせられたりしないだろうか。あるいは、そうそう、こういうのが厄介なのだと感じたりしないだろうか。 『クリオ 歴史と異教的魂の対話』より。 20世紀初頭のフランスの作家シャルル・ペギーの作品。 ここでなされているのは、自分の行為が正しかったかどうかを未来の判断に委ねるという話。自己の行ったことの是非を歴史に問うという話。 ク