太平洋戦争の末期、3000人あまりの学童が沖縄から宮崎県に疎開し、このうちの80人は宮古島の子どもたちであった。 【「一番怖いのは無関心」80年前に宮古島の子ども達を疎開で受け入れた宮崎県の語り部の思い画像】 2024年5月、戦争の記憶の継承に取り組む宮崎県の語り部が宮古島を訪れ、学童を受け入れた側の視点から、当時の生活の貧しさや過酷さを子どもたちに伝え平和の尊さを訴えた。 親元を離れ疎開を余儀なくされた子どもたち毎年、慰霊の日にあわせて「平和展」を開催している宮古島市総合博物館。 2024年のテーマは「戦争と子どもたち~学童疎開~」。 戦争が本格的に始まる前、徐々に戦争色に染まっていった教育や、親元を離れ疎開を余儀なくされた子どもたちの生活について伝えている。 宮古島市総合博物館 寺﨑香織 学芸員: 自分たちの何気ない日常の中に戦争というのがちょっとずつ入ってきて、気が付いたら戦争になっ
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