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ブックマーク / blog.tatsuru.com (5)

  • 階層化する社会について - 内田樹の研究室

    大学院ゼミで井原さんが『下流志向』の韓国における受容について貴重なレポートをしてくれた。 私のはこれと『寝ながら学べる構造主義』が韓国語で出版されており、『若者よマルクスを読もう』が現在翻訳中である。 この選書基準が興味深かったので、そのことについてゼミでお話した。 『下流志向』はネット上での書評を見る限り、あまりちゃんと理解されていないようであった(「上から目線」で勉強しない人間や労働しない人間を「叱咤」しているというふうに読んだ人が多かったようである)。 現地出版社のプレゼンテーションに多少のバイアスがかかっていたのかもしれない。 『下流志向』のポイントは (1)日社会の「階層化」が進行していること (2)階層下位に向けての「自分らしく生きる」イデオロギーの集中的なアナウンスによって階層化が果たされつつあること この二点である。 これはもちろん私の創見ではなく、苅谷剛彦さんの『階

    godfrey
    godfrey 2010/11/10
    問題なのは「自分らしさ」を刷り込みつつ失敗を許さない状況。学ぶ為にも失敗できる余裕は必要なはず。でも、それを主張すると、このもっともらしい話を利用した若者論で学ぶ意欲が無い、根性が無いと言われる訳だ。
  • キャラ化する世界 - 内田樹の研究室

    教授会のさいちゅうに携帯が鳴って、廊下で出たら、某新聞から電話取材。 日、菅新首相の所信表明演説があったけれど、新内閣についての感想は・・・というご下問である。 こちらは授業と会議で、演説聴いてないので、なんとも言いようがないけれど、とにかく直前の内閣支持率20%が3倍にはねあがるというのは「異常」だと申し上げる。 菅首相自身は前内閣の副総理。主要閣僚もほとんど留任であり、政策の整合性を考えるなら、前政権から大きく変化するということはありえないし、あるべきでもない。 もし、首相がかわったせいで政権の性格が一変するというのなら、それは副総理であったときの菅直人の政治的影響力が「かぎりなくゼロに近い」ものだったということを意味する。 副総理のときに政策決定にまったく関与できなかった政治家が、1ランク上がったせいで、圧倒的な指導力を発揮するという説明を私は信じない。 菅新首相は前内閣の枢要の地

    godfrey
    godfrey 2010/06/12
    ジャンプは人気投票、アンケートの結果が悪くても、すぐに連載を打ち切りにするな、という話ですね。いや…マンガの話でたとえられたから、最後の結論もそんな感じに読めた。
  • 男性中心主義の終焉 - 内田樹の研究室

    『プレシャス』のオフィシャル・パンフレットが届いた。 不思議な映画である。 あちこちの映画祭で受賞しているけれど、どうしてこの映画がそれほど際立つのか、たぶん日の観客にはその理由がよくわからないのではないかと思う。 それについて書いた。 変わった手触りの映画だな・・・と思った。「ふつうの映画」と違う。どこが違うのか考えたがわからない。そのまま寝て、一晩寝たら、明け方にわかった。 「男が出てこない映画」だったのである。 「看護師ジョン」役でレニー・クラヴィッツがクレジットされているけれど、2シーンだけ、台詞もわずか。プレシャスの成長を暖かく見守る「いい人」という記号的なかたちでしか物語に関与しない。 プレシャスのあこがれの数学の先生も、プレシャスを意味もなく突き飛ばす暴力的なストリートキッズたちもいずれも、人間な深みのない図像として記号的に処理されている。 一家の不幸そのものの原因であり、

  • 「父」からの離脱の方位 - 内田樹の研究室

    『1Q84』は記録的な売れ行きらしい。 今の段階で、発売一週間で96万部。 ミリオンを超えることは確実で、『ノルウェイの森』の450万部という記録を塗り替えるかもしれない。 おそらくメディアはこれから、このの文学作品としての意味より、なぜこれがこれほどの社会的な「事件」を引き起こしたのかの方に多くの紙数を割くようになるだろう。 メディアが『1Q84』を「事件」として扱い、膨大な非文学的言説が行き交うようになる前の短い空白の間に、この作品についてまだ誰の感想も聞いていないイノセントな状態で、自分ひとりの感想を書き付けておきたい。 ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んでい止めるという神話的な話型を持っている。 『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフ

    godfrey
    godfrey 2009/06/07
    この書評を読んで、不意に押井守の「スカイクロラ」を思い出してしまったのは、自分がヌルオタだからか。
  • ラジオの時代 - 内田樹の研究室

    年末にNHKラジオの収録が二回ある。 ラジオデイズ以来、ぱたぱたとラジオの仕事が続いている。 つねづね申し上げている通り、私はラジオというメディアがわりと好きである。 テレビには出ないが、ラジオには出る。 拘束時間が短いし(収録時間だけで「待ち時間」というのがない)、髪の毛ぼさぼさでパジャマ姿であっても放送上少しも困らない。 現場があまり専門職に分業化していない点もよい。 昨日来た二人はどちらもアナウンサーの方だったが、そのうち一人がMCで、一人はディレクターと録音技師を兼務。 やろうと思えば一人で全部できてしまうということである。 なにしろ制作コストが安い。 ラジオ放送のテクノロジーは「ミシン」や「こうもり傘」や「自転車」と同じで、もう改良の余地がないまで完成されている。 設備はもうできているし、そう簡単に劣化するものでもないから、その気になれば、あと50年くらいは既存の放送施設を使いの

    godfrey
    godfrey 2008/12/26
    ラジオもネットラジオも大好きだけど、最近、あまり聞く時間がない…。/映像という壁が無い分、身近に感じるから、テレビとは違う一体感がある良いメディアだと思うんだけど、もっと流行らないかなラジオ。
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