はじめに江戸時代後期、18世紀後半の日本は、町人文化が爛熟期を迎える一方で、学問の世界でも新たな潮流が生まれていた。この時代を象徴する二人の人物がいる。一人は、江戸の出版界を席巻し、浮世絵や戯作といった大衆文化の流行を次々と仕掛けた版元、蔦屋重三郎(以下、蔦重)。もう一人は、日本の古典を深く研究し、国学を集大成した大学者、本居宣長(以下、宣長)である。 蔦重は江戸の出版界で「メディア王」と称されるほどの成功を収め、喜多川歌麿や東洲斎写楽といった才能を発掘・プロデュースし、江戸文化の形成に多大な影響を与えた。一方、宣長は伊勢松坂に居を構えながら、『古事記伝』をはじめとする浩瀚な著作を通じて、日本固有の精神や文化を探求し、その学問は後世に大きな影響を残した。 活動分野も拠点も異なるこの二人が、同時代に生きたことは確かであるが、彼らの間にどのような関係があったのか、あるいはなかったのかは、必ずし
