【初場所番付発表】十両・高橋が「白熊」に改名 珍名力士誕生 二所ノ関親方「子供にも愛されるように」
ツアー競技でプロデビュー戦の大嶋炎(おおしま・ほのお、23=東京GC)が4アンダー、68をマーク。午前組終了時点で、首位と5打差の好スタートを切った。 折り返しの10番パー4では、プロ初イーグルを決めた。第2打はピンまで残り120ヤード。52度のウエッジでピン上にキャリーさせ、スピンで3メートル戻ってカップに消えた。「はっきり見えて、めっちゃうれしかったです」と声を弾ませた。 岡山・倉敷市出身とご当地でのプロデビュー。作陽高では渋野日向子の1年先輩、関西の強豪・大院大を出てプロになった。男ばかりの4人兄弟の長男で自分は「炎」、次男が「命」、三男が「宝」、四男が「港」と名前は全員、漢字1文字。「みんな、8画の漢字でと父(研一さん)は考えていたそうですが、港はネタ切れになったみたいで」と由来を明かす。 宝は関西高3年、港は同校1年で自分同様にプロを目指す。最初にゴルフを始めた命は現在会社員で、
近代化と共に縁起が悪くなった「川」 両国の国技館で相撲を観戦していると、相撲というのはつくづく不思議な競技だと痛感させられる。 東西から力士が土俵に上がるたびに、場内アナウンスが四股名とともに、出身地を紹介するのである。「東方(ひがしかた)、××山、青森県□□町出身」「西方(にしかた)、○○川、鹿児島県▽▽市出身」という具合に。いちいち競技者の出身地を紹介する競技が他にあろうか。 なぜこうも力士の出身地にこだわるのだろうか。そして、力士はなにゆえ、生まれ故郷の山や川、海の名をもって四股名としているケースが多いのだろうか。日本の一級河川すべてを水源から河口まで踏破した川フリークとして、本稿では特に、「川」と相撲の関係を探ってみたい。 東京都江東区にある富岡八幡宮には、相撲に関連する碑がいくつも存在する。歴代横綱の名を刻んだ「横綱力士碑」「大関力士碑」「強豪力士碑」…。徳川幕府に禁じられていた
正代のしこ名、昇進しても「変えるつもりはない」5人目の本名大関へ 拡大 大相撲秋場所で初優勝し大関昇進を決めた関脇正代(28)=時津風=が28日、優勝一夜明けのリモート会見を都内の部屋で行った。大関となっても本名の「正代」のままで「変えるつもりはない」と断言した。 昭和以降91人目の大関となり、過去、昇進後も本名を使用したのは輪島、北尾、出島、高安の4人だけで5人目の本名大関となる見込みだ。北尾は横綱昇進を機に双羽黒に改名した。本名横綱は輪島しかいない。 正代は「珍しい名字だと思うし、今、このしこ名で皆さんの中にあるなら、この名前を変えたらといけないと思う。師匠からも(新十両昇進時に)『正代はいい名前だからそれでいこう』と言ってくださった。これからも正代でいけたらと思います」と言い切った。 大関となれば、横綱を目指す地位。「そういうのは大関に上がって実績を積んでからと思う。まずは大関で活躍
東三段目33枚目宇良(26=木瀬)が、東三段目10枚目琴手計(19=佐渡ケ嶽)との全勝対決を制して6勝目を挙げた。 立ち合いで相手の懐に潜るように低くぶつかり、はじいてからそのまま一気に押し出した。昨年の右膝前十字靱帯(じんたい)損傷により、右膝にはテーピングを施しているが、ケガの影響を感じさせない動きの良さを見せた。 無傷を守ったが「今日の相手はこっちが力出していかないと、気が緩んだら負ける。今日は負けると思った。とりあえず一発でもっていかれないように」と不安だったという。だが結果は快勝。それでも「たまたまうまくかみ合っただけ。ああいう相撲を取る時もあれば、逆にああいう相撲を取られることもある。駆け引きとかがあってのこと。ここで勝ったから次いけるということはない」と浮かれることはなかった。 いよいよ三段目優勝が目前に迫ってきた。宇良の各段優勝は、15年夏場所での序ノ口優勝のみ。「ここまで
阿武咲 奎也(おうのしょう ふみや、1996年7月4日 - )は阿武松部屋所属の現役大相撲力士。青森県北津軽郡中泊町出身。本名・打越 奎也(うてつ ふみや)。身長177.0cm、体重164.0kg、血液型はO型。最高位は西小結(2017年11月場所、2018年1月場所)。四股名「阿武咲」には地元の恩師の「土俵上で花が咲くように」との願いが込められている[2]。 来歴[編集] アマチュア時代[編集] 祖父の勧めで5歳から相撲を始め、地元の中里道場に通って力をつけた[3]。阿武松部屋の子供向け相撲教室「キッズ阿武松」も5歳の頃から通い、まだ阿武松部屋に入門するかしないかの頃であった阿夢露は当時から打越を知っていた[4]。宝富士は中里道場の10学年先輩で、打越の憧れ[5]。NHK大相撲中継の新十両インタビューでは「力士がカッコいいと思いました」と当時から大相撲に憧れていたことを話している[6]。
小役丸 勇走(こやくまる ゆうそう、1916年3月14日 - 1945年11月16日[1])は、宮城野部屋に所属した元力士。本名同じ。現在の福岡県北九州市出身。173cm・90kg。最高位は東十両9枚目。得意技は右四つ、下手投げ、巻き落とし、捻り、引き。 経歴[編集] 1934年5月場所に初土俵を踏む。1936年5月場所で序二段優勝をするなど好成績を修め続け順調に番付を上げて、1940年5月場所に十両昇進。しかし左踵の怪我の為に8日目の1回のみしか出場できず[2]、9日目の不戦敗以降再出場することはなかった。結局十両在位は当場所のみで幕下陥落直後に応召し、復員することなく1942年1月場所前に25歳の若さで廃業した。 角界史上初めて本名を四股名として用いた関取(初めて本名を四股名とした幕内力士は1947年6月場所に新入幕となった岩平)、また入門から引退・廃業まで下の名を含め本名を四股名とし
栃乃若 導大(とちのわか みちひろ、1988年4月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は李 大源(イ・デウォン)。愛称はリー。 在日韓国人の父親と韓国人の母親を持つ在日3世[1]。国籍は韓国[注釈 1][2]。身長196cm(最高197cm)、体重181kg[3]。血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り。最高位は西前頭筆頭(2012年3月場所)。 幼少期より体格に恵まれており、尼崎市立成徳小学校1年生の頃にドッジボールを行った際に投げたボールが同級生の顔面に直撃してしまったことで周りの同級生との体格差を痛感した担任教師がドッジボールで利き腕で投げることを禁じたという逸話を持っている[2]。小学2年生の時に尼崎市のちびっこ相撲大会に出場し、これが生まれて初めての相撲大会出場となった。結果は2位に終わったが優勝を逃した悔しさから翌年の夏休みに開かれた相撲教室に
森麗 勇樹(もりうらら ゆうき、1987年6月16日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身で大嶽部屋(入門時は大鵬部屋)に所属する現役大相撲力士。本名は森川 勇樹(もりかわ ゆうき)。身長167.5cm・体重132.5kg。最高位は西序二段56枚目(2013年3月場所)。 新序出世から38場所連続負け越しという昭和以降のワースト記録を持っている。そのためデビュー以来連敗を続けて全国的な人気となった競走馬のハルウララにあやかり、四股名を「森麗」(もりうらら)とした。 小学校の頃から相撲を始め、中学3年だった2002年の夏に当時の大鵬部屋に体験入門した縁で、2003年5月2日に大鵬部屋に入門。同年5月に本名の「森川」の四股名で初土俵を踏む。大鵬部屋最後の入門者となった。しかし、初めて番付に名前が載った同年7月場所の1番相撲で勝ってから、2004年3月場所の6番相撲に勝つまで32連敗を喫した[注釈
アフリカ出身初の力士となるアブデルラフマン・シャーラン(20=大嶽)が、金太郎になった。大嶽親方(元十両大竜)が13日、シャーランに「大砂嵐金太郎」のしこ名を付けたことを明かした。ピラミッドを意味する「金字塔」も候補に挙がったが、エジプトでのあだ名「サンドストーム(砂嵐)」にちなんだ。名付け親の同親方は「金太郎は、クマと相撲を取って勝ったほどの力があるからね」と大器に期待した。 すでに興行ビザを取得し春場所(3月11日初日、大阪府立体育会館)でデビューする大砂嵐は「私も金太郎のようになりたい。日本の有名なキャラクターだと聞きました」と気に入った様子。10日に20歳になったが、イスラム教徒のため、飲酒はしない。3日前には、股割りの体勢から、おでこが土俵につくようになるなど、徐々に進歩してきた。「2年で関取になります」と意気込んだ。
泥酔暴行騒動の渦中にいる横綱朝青龍(29=高砂)が出席予定の千葉・成田山新勝寺の節分の豆まきに、「なぜ出すのか」といった抗議が寺側に対して来ていることが1月31日わかった。朝青龍は毎年2月3日に行われる同寺での豆まきに10年連続で出席しており、寺側も「ご自身も反省されているはず。予定通りに出席してほしい」と話す。この日までに朝青龍側からの欠席の通達はない。11年連続の出席となるか、それともドタキャンとなるのか? 昨年、笑顔で豆まきをしてきた朝青龍は、新勝寺に現れるのだろうか? 3日、新勝寺の節分会には関脇把瑠都(25=尾上)、幕内稀勢の里(23=鳴戸)、さらにNHK大河ドラマ「龍馬伝」に出演する香川照之(44)、近藤正臣(67)らの俳優と一緒に出演の予定がある。00年の幕下12枚目のころから昨年まで10年連続で参加している恒例行事だ。 新勝寺の広報担当者によると、先週から日に2~3件ではあ
米中間で「オバマ」大統領の中国語標記をめぐり、対立が発生した。米国側は、原語の発音に比較的近い「欧巴馬(オウバマ)」の標記を要望。中国語は、すでに定着した「奥巴馬(アオバマ)」の方が「不都合が少ない」として、双方の意見は一致していない。 19日付新華社電によると、米中間で「オバマ」大統領の中国語標記をめぐり、対立が発生した。米国側は、原語の発音に比較的近い「欧巴馬(オウバマ)」の標記を要望。中国語は、すでに定着した「奥巴馬(アオバマ)」の方が「不都合が少ない」として、双方の意見は一致していない。 中国語では、外国人名や地名などの固有名詞が漢字で標記することになる。それまで知られていなかった語が登場した場合、まずいくつかの標記が登場し、時間の経過とともに、自然に統一される場合もある。 米オバマ政権は、漢字表記についてことのほか神経質で、中国で「ホワイトハウス」の呼称として定着している「白
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