ホバーツ・ファニーズ (Hobart's Funnies) は、第二次世界大戦期のイギリス陸軍第79機甲師団(英語版)やイギリス陸軍王立工兵隊(英語版)の部隊で開発され運用された一連の特殊車両に対する非公式な呼称である。 この呼称は日本語に直せば"ホバートの愉快な連中"、"ホバートの面白い奴等"といった意味で、ホバートとは第79機甲師団の師団長を務め、これらの車種の開発や運用を主導したパーシー・ホバート少将を意味する。ホバーツ・ファニーズは同時期に開発されたAVRE (Armoured Vehicle Royal Engineers)などと同様に、近代的な戦闘工兵車の元祖といえる存在であった。 ファニーズを率いたパーシー・ホバート少将 連合軍によるヨーロッパへの上陸作戦は、1942年8月のディエップ上陸作戦の失敗の後、その実現手法が完全に再検討される事となった。上陸作戦成功の為には、侵攻す
突撃戦車 A7V(独: Sturmpanzerwagen A7V、シュトゥルムパンツァーヴァグン アー ズィーベン ファオ)は第一次世界大戦末期の1918年に実戦投入されたドイツで最初の戦車である。膠着状態に陥った塹壕線を突破することを目的として開発された。 イギリス、フランスと比肩する工業国であったドイツにおいて、初期の戦車にあたる兵器が最初に検討されたのは、オーストリア軍将校グンター・ブルスティン (Günther Burstyn) が1911年に提案した自走砲架モトーアゲシュッツ (Motorgeschütz) で、当時としては斬新な旋回式砲塔を持った装輪装軌併用式車両であった。ドイツ軍はこの兵器を検討調査したものの、パテントの問題から実現しなかった。このモトーアゲシュッツの実物大レプリカはウィーン軍事史博物館に収蔵されている。 その後、1913年にフリードリヒ・ゲーブレ (Frie
本車は農業用トラクター(STZ-5トラクター)に装甲板と機銃や軽量な対戦車砲などを取り付けた即席の装甲車両である。 独ソ戦序盤に多くの装甲車両を失ったうえにそれらの生産工場の疎開を余儀なくされ、目前に迫るドイツ国防軍に対し、装甲車両の投入が間に合わず、前線にてその場凌ぎで作られた。製造および実戦投入は、現ウクライナ・オデッサで行われた。 1 装甲された車体、2 側面装甲板、3 機関室、4 銃塔、5 フェンダー、6 排障器、7 機関銃防楯、8 DShK機関銃、9 フック、10 雑具箱、11 排気管、12 車体ビーム、13 車体前面、14 牽引用接続具、15 誘導輪、16 支持輪、17 起動輪、18 転輪、19 DT機関銃 既存のトラクターに多少手を加えたに過ぎないため、生産は容易であり、68輌が生産された。 とはいえ、その分構造的に相当無理をしている感じは否めない。速度は7km/hしか出ず、
この項目では、伊号第三十三潜水艦として竣工した潜水艦について説明しています。当初、伊号第三十三潜水艦と名付けられていた艦については「伊号第二十九潜水艦」をご覧ください。 この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2016年9月) 脚注による出典や参考文献の参照が不十分です。脚注を追加してください。(2022年6月) 出典検索?: "伊号第三十三潜水艦" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
超壕機 TG(ちょうごうき TG)とは、大日本帝国陸軍が、戦車壕を迅速に越えるために開発研究した工兵用の特殊車両である。 日本陸軍は長年ソ連赤軍を仮想敵とし、研究を行っていた。ソ連・満州国境の陣地に設置される幅7mの対戦車壕を突破することも研究されており、この用途に装甲作業機が整備された。これにはトーチカ爆破、障害撤去、地雷処理、壕の掘削、架橋などの機能が求められた。 ただし装甲作業機は機動力が低く機甲部隊に追従できなかった上、万能にしてそれぞれ能力が不足しているという欠点があった。そこで九七式中戦車をベースに機能を特化した車両が新たに求められた。これが超壕機(TG機)である。 昭和18年に1輌が製作されたが、試験運用にとどまり部隊配備はされなかった。 超壕機の車体は九七式中戦車のものを用いている。 本車に搭載された超壕装置は、鋼製の橋を火薬の力によって打ち出し、壕に架橋するものであった。
ウダロイ級駆逐艦(英語: Udaloy class destroyer)は、ソビエト連邦海軍・ロシア海軍の大型対潜艦(BPK)の艦級。海軍での正式名称は1155型大型対潜艦、計画名は「フレガート」(露: «Фрега́т»)であった。 通常の大型対潜艦と同様、対潜・対空防衛任務に比重をおいて設計されているが、のちに汎用性を高めた艦として改設計された 1155.1型(西側ではウダロイII級と呼称)が開発されている。設計番号からは、のちにピリオドが省略され 11551 となっている。 ウダロイ級は、1960年代初頭から建造が進められてきた大型対潜艦の系譜に属しており、1970年代に建造された1134A型(クレスタII型)および1134B型(カーラ型)の後継という位置付けになるが、設計面ではむしろ、やはり1970年代に建造されていた、より小型の2等艦である1135型(クリヴァク型)の拡大・発展版
三浦義同の嫡男として誕生。室に真里谷信勝の娘・真里谷恕鑑の妹(異説有)。 父から相模国三崎城(新井城とも。現在の神奈川県三浦市)を与えられ、永正7年(1510年)頃、家督を譲られる。「八十五人力の勇士」の異名を持ち、足利政氏や上杉朝良に従って北条早雲と戦うが、永正10年(1513年)頃には岡崎城(現在の伊勢原市)・住吉城(現在の逗子市)を後北条氏によって奪われて三浦半島に押し込められた。 父と共に新井城に籠って3年近くにわたって籠城戦を継続するが、遂に新井城は落城、父・義同の切腹を見届けた後に敵中に突撃して討ち取られたと言う。これによって三浦氏は滅亡し、北条氏による相模平定が完了する事になる。 三浦浄心『北条五代記』[2]には、背丈は7尺5寸(227センチ)と伝え、最期の合戦で身につけた甲冑は鉄の厚さが2分(6センチ)、白樫の丸太を1丈2寸(364センチ)に筒切りにしたものを八角に削り、そ
ハリエイポール博物館で展示されているPM1910重機関銃が搭載されたタチャンカ タチャンカ(ウクライナ語・ロシア語: тача́нка、tachanka)は、後ろ向きに機関銃を備え付けたロシアの馬車である。通常、荷車もしくは無蓋車後部に重機関銃を後ろ向きで搭載している。2~4頭の馬が曳く馬車に、御者1名とマシンガンクルー1~2名の計3名が搭乗する。いくつかの資料で、発明者はネストル・マフノであるとされている[1][2][3][4][5][6]。 それらしい語源とされているものが2例、詳細不明な説が1例存在する。マックス・ファスマーの語源辞典によれば、ウクライナのネトィチャンカという町(「ウクライナ語: нетичанка(Netychanka)」、現在はチェコのノヴィー・イチーン)の名前にちなんで名づけられたNeutitscheinというキャリッジから来ている説。[7]ロシア語で手押し車を
この項目「Il-80 (航空機)」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:en:Ilyushin Il-80 04:28,13 August 2019 (UTC)) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2019年11月) この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "Il-80" 航空機 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年12月)
アバンガルドシステムを搭載したUR-100Nミサイル発射の様子(2018年12月26日、ドンバロフスキー発射基地) アバンガルド (ロシア語: Авангард、ラテン文字転写例:Avangard)はロシアが開発した極超音速滑空体(HGV)であり[1][2]、通常弾頭または核弾頭の搭載が可能[3][4][5][6]である。オブイェークト4202 (Objekt 4202)、Yu-71 または Yu-74 とも呼ばれる。 アバンガルドは、2018年3月1日にロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンが年次教書演説の中で発表した6つの新型戦略兵器の1つである[7]。 UR-100NやR-36、RS-28などの重ICBMに搭載して発射される。発射後、搭載するスクラムジェットエンジンで加速して極超音速飛行を行う。 アバンガルドはマッハ20以上の超高速で飛行し、あらゆるミサイル防衛システムをも回避・突破
「ヒラヌマ (Hiranuma)」は、第二次世界大戦の太平洋戦争において米軍によって報告された、日本海軍が保有したとされる戦艦[1]。 しかし「ヒラヌマ」なる艦名は日本海軍の命名慣例から大きく外れており[2]、同名の艦船は当時の日本海軍に存在しなかった[注釈 1]。 また金剛型戦艦の「霧島 (きりしま、Kirishima) 」を攻撃したり[注釈 2]、「ヒラヌマ」と共に戦艦「榛名(はるな、Haruna) 」を撃沈したという報道もあった[注釈 3]。 開戦劈頭のフィリピン攻略戦において、アメリカ軍爆撃機の空襲により日本海軍の軽巡洋艦が損傷、もしくは掃海艇が沈没したのを、戦果誤認したものと思われる[注釈 4]。 「ヒラヌマ」(平沼)とは[5]、1941年(昭和16年)12月10日の南方作戦にともなうフィリピン攻防戦で、アメリカ合衆国が報道した架空の日本戦艦[注釈 5]。 12月11日時点のマニ
米FBIがボストンマラソン爆弾テロ事件で使用された圧力鍋爆弾の一部と推定している、圧力鍋の破片 圧力鍋爆弾(あつりょくなべばくだん)は、圧力鍋の内部に爆発物と雷管を仕込んだ即席爆発装置(IED)の一種[1]。 21世紀に入ってから2006年ムンバイ列車爆破事件、2010年ストックホルム爆破事件(爆破失敗)、2010年タイムズスクエア車爆弾事件(英語版)(爆破失敗)、2013年ボストンマラソン爆弾テロ事件、2017年マンチェスター・アリーナに於ける爆発物事件など多くの事件で使用された[2]。 圧力鍋 圧力鍋爆弾は比較的容易に製造することが可能である。必要な材料は爆発物自体を除く大部分を簡単に入手でき、デジタル時計、ガレージの扉開閉装置、携帯電話、ポケットベル、キッチンタイマー、目覚まし時計などの単純な電子機器が起爆のために用いられる[1][3]。爆発の威力は圧力鍋の大きさと爆発物の量及び種類
K-219(カー219)は、ソ連海軍の667A号計画型弾道ミサイル原子力潜水艦(NATOコードネームは"Yankee I")の一隻である。本艦は、16基(後に15基)のUDMHとIRFNAで推進するR-27液体燃料ミサイルを搭載し、34発の核弾頭を装備していると推測される[1]。 「K-219」は、冷戦中に発生した潜水艦事故の中でも最も多く語られる艦である。 1986年10月3日、バミューダの北東680マイル (1,090 km)で哨戒活動中の「K-219」はミサイル発射塔内の爆発と火災にみまわれた。ミサイル用ハッチカバーのシーリングが破損し、ミサイル発射塔(サイロ)内に流入した海水がミサイルの液体燃料残留物と化学反応を起こした。ソ連海軍は、この漏水が付近で「ある種の作戦」を行っていた米原潜「オーガスタ」との衝突に起因するものであると主張したが、米海軍はあらゆる衝突を否定した[2]。 「K
ジョン・マルコム・ソープ・フレミング・チャーチル(John Malcolm Thorpe Fleming Churchill、1906年9月16日 - 1996年3月8日)はイギリスの陸軍軍人。最終階級は中佐。 すでに一部では個人携行兵器としても自動火器が普及しつつあった第二次世界大戦において、長剣やロングボウおよび矢で武装し戦果を挙げたことで知られる[1]。愛称はマッド・ジャック(Mad Jack)、ファイティング・ジャック(Fighting Jack)。信念は「士官たる者、剣を持たずして戦場に赴くべきではない」。 1906年、イングランド南東部のサリー[2][3](大英帝国統治下の香港、あるいはセイロン植民地(スリランカ)との文献もあり[1][4][5])に生まれる。 公務員だった父の転勤に伴い香港、英国を転々としながらアーチェリーとバグパイプに熱中。1924年にバグパイプ演奏の技術を
ウェブリー=フォスベリー・セルフコッキング・オートマチック・リボルバー(英: Webley-Fosbery Self-Cocking Automatic Revolver)とは、イギリスで開発された反動利用式の自動回転式拳銃(オートマチック・リボルバー)である。 ジョージ・フォスベリー(英語版)中佐が設計し、ウェブリー・アンド・スコット(英語版)社が1901年から1915年まで生産した。その機構からシリンダーの側面に特徴的な溝が彫られており、これが本銃の外見上の特徴となっている。 特異な機構には問題点も多く、軍用としても民間用としても販売実績は低調であった。コレクター市場への流通もごく僅かなため、現代では10,000ドル以上で取引される貴重品となっている[1]。 フォスベリー中佐がこの自動回転式拳銃を考案したのは、自動式拳銃の普及が始まった頃のことであった。フォスベリーの設計案は、コッキン
ラントクロイツァー P.1500 モンスター(独:Landkreuzer P.1500 Monster 、ランドクルーザーP.1500モンスター)は、第二次大戦中にドイツで計画された超重戦車である。 このP.1500モンスターは、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に構想した超重戦車で、ナチスドイツの極端な戦車設計の最終点に位置する。計画上の巨大戦車としては重量1,000tのラーテが知られているが、モンスターはそれを更に上回っており、重量約1,500トン、全長42m、全幅18m、高さ7mである。搭載される大砲は80cm列車砲グスタフ及びドーラの搭載している80cm砲であり、その大きさから砲を旋回させることは出来ず、自走砲として固定搭載を予定したとされる。鈍重かつ大型であるため、走行可能な場所が制限されるだけでなく、他の戦車の生産力に影響を及ぼすことなどから構想のみで終わった。 1942年6月2
37mm迫撃砲弾 全金属製のシャベルの柄(砲身)から単脚を外して組み直すと前装式の軽迫撃砲になる構造をしており、シャベル兼用迫撃砲という他に例の無い構造をしている。 運搬から射撃まで全てを兵士1人で行う構造になっており、照準装置は無く、目分量で照準する。兵士1人が15発程度の弾薬を携行する。 ドイツ国防軍では鹵獲兵器番号Spatengranatwerfer 161(r)を与え、Spatenはショベル、Granatwerferは迫撃砲を意味する。 第二次世界大戦ではあまり役に立っていなかったが、1990年代になってから同様の兵器とも言うべき、40mm榴弾発射筒付ショベル(Гранатомёт-лопата Вариант)[1]が開発されている。全体の構成は37mm軽迫撃砲に酷似し、GP-25用のグレネード弾を使用する。
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