――前回は、4代目当主だった慶朝さんの遺言によって、山岸さんが徳川慶喜家の5代目に指名されたところまで伺いました。徳川姓でなく、しかも女性の山岸さんが家督を継ぐことになったのは、異例ですよね。 山岸美喜さん(以下、山岸) 私は、なりたくて当主になったわけではないのです。慶喜家には存命中の親族が7人いますが、徳川姓の男子はおりません。慶朝叔父は、養子を取って継がせることも考えていませんでした。最終的に信頼できたのは身近にいた私しかおらず、看病を通じての信頼関係があり、私に全部託すという遺言を遺したのが全ての始まりです。 心ない言葉を投げかける人も ――ところが、ご親族をはじめ周囲の理解を得られなかったんですね。 山岸 徳川家と親藩松平家の一族の交流会である「葵交会(きこうかい)」や、旧幕臣のご子孫による「柳営会」という集まりがあり、他の徳川家の方々は現在も交流を続けていらっしゃいますが、慶朝
「受験から逃げるため」売り子デビュー 申し遅れました。私の名前はぽぽちゃんと言います。「なにもの?」と聞かれるのが一番困るのですが(笑)、グラビア、広告モデル、女優……となんでもやらせてもらっています。今回は「売り子から見た野球ファン」をテーマに、コラムニストデビューさせていただくことになりました。 私は高校2年生の冬から4年間、東京ドームでビールの売り子をしていました。東京ドームの売り子経験者といえば、おのののかさんが有名です。私の売り子時代の知り合いでも、アナウンサーになった子や芸能活動をしてる子、野球選手やサッカー選手と結婚した子など、華々しい生活を送る子もいます。 そんななか、私が売り子を始めた動機は「逃避」でした。受験勉強から逃げるため、「楽しいことをしたいな」と求人で見つけたのがこの仕事でした。時給が高かったのも魅力に映ったのです。 そもそも私は、野球に何の興味もありませんでし
テレビの影響か最近、「町中華」が人気だ。BS-TBSで放送されている『町中華で飲ろうぜ』は、玉袋筋太郎氏の軽妙な会話と人情味あふれる交流がみどころ。都内の町中華の一大勢力「生駒軒」ルーツの話は実に面白い。「町中華」が人気になるのなら「町そば」だって忘れちゃいけない。 「町そば」といえば「暖簾会」 「町そば」といえば暖簾会系の店がほとんどだ。暖簾会とは互助組織のようなもので、創業店が弟子の暖簾分け開業を助けたり、食材を一緒に仕入れることで値段を抑えたり、品質を守ったりする組織である。「藪」「更科」「長寿庵」などの老舗系から「増田屋」「満留賀」「朝日屋」「浅野屋」、また小さい2~3軒のものまでたくさんある。 こうした暖簾会系の「町そば」は昭和の時代には繁盛していたが、近年はファスト系に押され気味との印象もある。
バックカントリーでの遭難事故が相次いで報じられ、愛好者へ批判の声もあがっている。しかし、遭難取材を長年続けるフリーライターの羽根田治氏は、「的を得ていない事故報道も多く、誤解に基づく批判も少なくない」という。 では、バックカントリーとはどんなものなのか。ゲレンデスキーとはどこが違い、どのようなリスクがあるのか。そして事故が起きた場合の救助費用はどれくらいかかるのか。羽根田氏が解説する。 ◆ ◆ ◆ ここ数年、バックカントリーでの遭難事故が起きるたびに、遭難者への非難の声が上がるようになっている。とくに今シーズンは、年が明けて北海道の羊蹄山や長野県野沢温泉村の毛無山、上越国境の谷川岳で雪崩による死亡事故が相次いだうえ、1月29日には北アルプスの白馬乗鞍岳で、アメリカ人プロスキーヤーを含む2人が死亡する雪崩事故が発生し、過剰とも思えるバッシングが巻き起こった。 事故に対するネット上のコメントを
地方都市に出かけるとよく遭遇するのがシャッター通り商店街だ。昔は、地方都市でも人口が多く、工場や事務所に勤務する人たちが買い物をする場所として、雨に濡れずに過ごせるようにアーケードを施した商店街が数多くあった。 こうした商店街を今歩くと、ほとんどの店舗が営業をせずにシャッターを下ろしたままの状態にあり、夜中はもとより日中でもちょっと薄気味悪く感じられる。 シャッター通り商店街の背景 原因は地方都市の衰退と産業構造の変化、そして店舗経営者の高齢化にある。かつては街の中心部には大きな工場や事業所があり、そこで働く従業者が大勢いた。工場で働く人たちは、まだ車などを持つ余裕はなく、なるべく勤務先である工場の近くのアパートや社員寮に居住した。そのため街の中心部は常に活気にあふれ、買い物客や飲食する客で商店街は大いに繁盛したのである。 写真はイメージ ©AFLO しかし、90年代後半以降になると、円高
◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自分のバンドも始めた。メンバーは後にバズを結成する東郷昌和ら。荒井由実もメンバーに加わることがあった。のちのユーミンである。当時、高橋幸宏は15、16歳、ユーミンは14歳。当時の高橋幸宏の実家は200坪を超える大きな日本家屋で、そこには多くの人が集まった。 立教高校
◆◆◆ 2ヵ月で7人の犠牲者 「当麻村、松山猪之助(34)という農夫が、16日午後2時頃、自宅より2町程へだたりたる石狩川沿岸の森林において伐材に従事したるまま、おそくまで帰宅せざるより、翌17日午前4時頃、家人両3人が同森林に至り見たるに、猪之助は無惨にも熊の咬殺に遭い、顔面は滅茶滅茶に咬み裂かれ、左手は切断され腹部に大なる裂創を負い臓腑露出し、見るもいたましき惨死を遂げ居たりければ、 (中略)永山村番外地居住の狩猟業者山畑役蔵(38)は猟銃を肩にし若者5人を引き連れ、ひそかに猪之助の咬み殺されたる森林に忍び至りたるに、1頭の大熊猛然として前方にあらわれ、ツカツカと役蔵等を目がけて飛びかからんとしたる一刹那、役蔵は狙いを定めて射撃したるに、誤たず急所に命中せしかど、熊は猛り狂いて役蔵に飛びかかり銃をもぎ取り、役蔵の右顔面に咬み付き両腕を肩部よりもぎ落とし、胸部腹部とも滅茶苦茶に引き裂き内
明治30年代、ゴールドラッシュに沸く北海道……一攫千金を狙い、砂金採りに沸く人たちも、ヒグマの標的の例外ではなかった。 ノンフィクション作家・中山茂大氏の新刊『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』より一部抜粋。19歳少年が「ほぼすべてを喰い尽くされた」恐るべき事件を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) 100億円の金塊に群がった人々 明治34年3月発行の『殖民公報 第一号』には次のような記事がある。 「北見国においては明治30年、始めて砂金の存在せるを発見せられたるが、同国枝幸郡の如きは全道第一の砂金産地となり、日本のコロンダイクとまで言いはやされ、はなはだ盛況を呈せり」――明治34年 「コロンダイク」というのは、カナダ北西部クロンダイク地方のことで、明治29年に、世界中の山師が一攫千金を夢見て極北の地に殺到した「アラスカ・ゴールドラッシュ」の震源地となった場所である。奇しくも
顧客は腕利きのハンターばかり 山崎の店は“一見さんお断り”で、顧客は腕利きのハンターばかり。既製品の銃は扱わず、顧客のニーズを完璧に満たすオンリーワンな銃をオーダーメイドで製作しているという。何となく無口な職人のような人をイメージしていたが、実際に会った山崎は70歳とは思えないほど若々しく、その明晰な語り口が印象的だ。本業は別にあり、鉄砲製作は「あくまで趣味です」と笑うが、北海道公安委員会が指定する射撃指導員の資格を持つ射撃のスペシャリストでもある。 もともとメカ好きだった山崎が銃の世界にのめりこんだのは、会社員としてアメリカに駐在していたときに、射撃場で本物の銃に触れたのがきっかけだった。 「銃というのは、自動銃の場合、弾を込めて発射するまで8工程あります。つまり(1)装填(2)引き金を引く(3)逆弧が外れる(4)撃針が前進する(5)雷管が作動する(6)火炎が薬室に至り、火薬の燃焼が起こ
近年、コロナ禍のなかで中国のジャーナリズム界の大物が日本に移り住んだ。その名は王志安。かつてCCTV(中国中央電視台)で人気報道ドキュメンタリー番組の調査記者および解説員を務めていた、中国では顔と名前が広く知られている人物だ。彼は学生時代に天安門事件のデモに参加した経歴を持ち、CCTVでも体制との距離感を保って、中国社会の闇をえぐるドキュメンタリー報道を手掛けてきた。 国営放送の編集委員だった点では、日本で例えるならば池上彰クラスの知名度と影響力があった人物だ(仕事の方向性はちょっと違うが)。当然、池上彰が自民党や公明党やNHKの事情を知るのと同じく、王志安も中国の権力やプロパガンダメディアの表と裏を非常によく知っている。そういう人物が、いまや中国を見限って海外に脱出する時代なのである。 彼は天安門事件から30年が経った2019年6月4日、673万もフォロワーがいた「微博」(中国のSNS)
鉄道駅の「待合そば」は旅の風情を醸し出す重要な存在である。今では「駅そば」というらしい。しかし、時代が進み、お店経営者の高齢化や過疎の問題など複合的な要素で消えていく店も多い。 JR北海道の宗谷本線音威子府駅の待合所にあり、「駅そば」の頂点といわれていた「常盤軒」は2021年2月8日に閉店。JR東日本の小山駅の宇都宮線上りホームにあった「小山駅きそば」も2022年1月14日に惜しまれつつ営業を終了した。 「常盤軒のあのかき揚げそばをもう一度食べたい」「小山駅きそばの関東を代表するような濃い深い味をもう一度食べたい」という声も多い。それに応えるべく、その道の達人たちが水面下で四苦八苦しながら名店の味を復活させたというニュースが入ってきた。そこで今回はそんな2つの「復刻版駅そば」についてお話ししようと思う。 エピソード1 常盤軒の「かき揚げそば」 音威子府TOKYOが四谷三丁目駅近くの杉大門通
地獄の苦しみだった収録 「ETC(※)カードが挿入されました」 車に乗ってエンジンを掛けると車内に響き渡る声、この音声を担当しているのが私だということをご存知ない方はまだまだ多い。なのでイベントなどでご披露すると「おお~」と思わず声を洩らす方もたくさんいる。そしてその声がどのキャラクターを演じたときよりも大きかったりして、私のほうがびっくりしてしまう。 反応の大きさは、その声のシェア率に比例している。どの世代にも満遍なく知られている私の声は、今のところ南ちゃんとETCが半々という感じだ。 いやいや出世しましたなぁ~ETC! 今となってはETC音声に起用していただいてありがとうございます、という気持ちだけれど、その収録は、実は地獄の苦しみだった。 「収録の前に一つだけ約束してほしいことがあるんだけど」 ETC音声収録の当日、機械音声の制作を専門にしている会社の社長さんが誰にも聞こえないように
「我々は既にロシアに“首根っこ”を掴まれている」 ウクライナ侵攻直後、ロシアに対する経済制裁を即座に発表しなかった日本政府を批判する意味で、「対岸の火事」がツイッターのトレンドワードに入った。結局は欧米各国の判断から半日遅れて経済制裁に踏み切ったが、困るのはロシアだけではない。 「我々は既にロシアに“首根っこ”を掴まれている」 そう警鐘を鳴らすのは、経済評論家の加谷珪一氏だ。 「ロシアには食とエネルギーという2つの最強カードがある。半年経てば、ウクライナ侵攻は、我々の家計に確実に影響を及ぼします。 わかりやすく食品からいきましょう。今回のウクライナ侵攻の影響を受け、シカゴ商品取引所では4日、小麦の先物価格が14年ぶりの高値を記録しています。こうした小麦価格の上昇で、最初に値上げするのはパンです。 国際価格の上昇が、日本に波及するまでにはタイムラグがあるので、値上げが始まるのはおおよそ半年後
◆ ◆ ◆ 「実を言うとカメラが苦手なんです」 大会では公式練習も試合当日も、多くのテレビカメラが後を追いかける。13年2月の札幌での大会では、取材者の数は200をゆうに超えた。ジャンプ競技では異例とも言える。そして海外遠征に出発、あるいは遠征から帰国するたびに空港には多くの取材陣が押し寄せた。 もはや、その光景は「日常」となっていた。高梨はときにそれが苦痛であるかのようなそぶりを見せた。 練習や試合でリフトへ向かうとき、カメラと目が合うのを避けるようにうつむき、あるいは一点を見据えて、きりっとした表情で足早に通り過ぎていく。その姿は、周囲の雑音を遮断しているかのようだった。 快進撃で脚光を浴びた昨シーズンの終わりの頃、ふとこんなことを口にしていた。 「あまり表に出るのが好きじゃないんです。実を言うとカメラが苦手なんです。向けられると逃げたくなるような根暗な性格なんです。撮るのは好きなんで
2002年9月27日、新宿区歌舞伎町の風林会館1階にある喫茶店“パリジェンヌ”で、住吉会系幸平一家の幹部2人が、男数人に拳銃で襲撃されるという事件が起きた。被害者は幸平一家の幹部、X(34)とY(36)。時刻は19時前、人が繰り出し始めた夜の街、歌舞伎町は一時騒然となった。 「パリジェンヌ事件」と呼ばれるこの事件は、世間一般にはあまり有名ではないが、警察関係者には広く知られている。警視庁に外国人犯罪や暴力団組織を本格的に取り締まる「組織犯罪対策部」が設置されるきっかけとなったからだ。事件の概要や当時の歌舞伎町について、当時の警察関係者に話を聞くことができた。 カラオケが原因で中国人マフィアグループといさかいに その日、店の奥まった席でXとYは、中国人マフィアらを待っていた。2人は、正面入り口の自動ドアが開く度に鋭い視線を向け、相当に緊張していたらしい。当時のパリジェンヌは古びた純喫茶風の作
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