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ブックマーク / reki.hatenablog.com (15)

  • 中世セルビア王国の勃興と野望 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    東方キリスト教世界の王を目指したバルカンの大国セルビア 旧ユーゴスラヴィア連邦は南スラブ系民族を中心とした連邦国家でしたが、その中心にあったのはベオグラードを都に構えるセルビア人でした。 セルビアは現在でも様々な民族・宗教・言語が入り混じるバルカン半島内において、経済力・政治力・文化力で頭一つ抜け出した存在ですが、故に周辺国との摩擦が絶えません。セルビア王国は中世でもバルカンの有力な国家で、一時はバルカンの半分を占領しビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを脅かすほどでした。しかしオスマン帝国に敗れ、併合されてしまいます。 歴史はセルビア人がバルカン半島にやってきた7世紀ごろから始まります。 1. セルビア国家形成の動き 初期セルビア国家の形成 セルビア人は南スラブ系民族に属し、モンテネグロ人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人と系統は同じです。南スラブ系民族は、7世紀ごろに遊牧民

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  • 無能な指揮官列伝 - 無能さが起こした悲劇的な戦い(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    無能な指揮官が率いる絶望的な戦い 日史の「無能な指揮官」 と言えば真っ先に名前が上がるのは牟田口廉也ではないでしょうか。インド攻略を目指した無謀なインパール作戦を主導し多くの将兵を死なせた人物として悪名高いです。 各国史にはそれぞれ「無能な指揮官」とされる人物がいて、何をもって「無能」とするかによっても異なるので万人が納得するのは不可能なのですが、 「注意深さ、プロ意識、軍事知識の決定的な欠如によって歴史的な大惨事・大敗北をもたらした」 という観点で、前後編で「世界史の無能な指揮官」をピックアップしてみます。 「この人がいない!やり直し!」事案が多数発生しそうな気がしますが、あらかじめご了承ください。 ※2019/2/19 22:30 「7. カルロ・ペルサーノ」の項目の情報に大きな誤りがありましたので、修正しました。 1. 大カエピオ ?-?(共和制ローマ) ハンニバル以来のローマの大

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  • トレビゾンド帝国の歴史 - 黒海にあったビザンツの亡命帝国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    家崩壊後も生き延びたビザンツ帝国の亡命政権 トレビゾンド帝国は現在のトルコ共和国の一都市トラブゾンに13世紀から15世紀にあった国。 ビザンツ帝国を追われたコムノネス王家が流れ着き、同じキリスト教国のジョージア(グルジア)の支援を受けて成立し、イスラム教国を含む周辺国と協調しながら約250年間も生きながらえました。家ビザンツ帝国はオスマントルコに1453年に滅ぼされますが、トレビゾンド帝国はその後も数年生きながらえました。 今回はかなりマイナーなビザンツ帝国の亡命政権トレビゾンド帝国の歴史のまとめです。 お話は同じキリスト教徒がビザンツ帝国を攻めた第4回十字軍から始まります。 1.  第4回十字軍によるビザンツ帝国の中断 グダグダな第4回十字軍 1187年、エルサレム王国はアイユーブ朝のサラディンに敗れ、エルサレムの街は約200年ぶりにイスラム教徒の手に奪還されました。 これを取り戻さ

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  • 実は存在しなかったと考えられる世界史の人物(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    創作の人物の疑いが強い世界史で登場する人物たち 子どもの頃にかつて歴史で学んだ人物が、大人になって実は存在しないことが分かってショックを受ける、ということがあります。 例えば、武蔵坊弁慶や紀伊国屋文左衛門、少しマイナーなところだと後醍醐天皇の孫・尹良親王や、那須与一の弟・那須宗久など、創作の可能性が高いと言われています。 聖徳太子も創作である説もあり、もし当だったら日歴史がひっくり返る大事件です。 日史だけでも数多くいるのですから、世界史にはとてつもなく大勢の「存在しなかった人物」がいます。今回は前後編でそんな人物たちをピックアップします。 1. 李自成のブレーン・李巌(りがん) 優しく強く、貧しい人たちの味方・李巌 一介の駅卒から身を起こした李自成は、大勢力を誇る盗賊団の首領になり、ライバルの軍閥や盗賊団を蹴散らし、とうとう明王朝を倒してしまいます。その後、北方からやってきた満洲

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  • 【西洋史】下層階級から国王になった人物列伝 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    あまり数がないヨーロッパ史の「太閤様」 日史の成り上がり者と言えば豊臣秀吉をすぐに連想します。 彼の出自には諸説あって、農民足軽の出身であったとも、その下の身分であったとも言われています。 日史と同じく、中国史や中東史でも最下層身分出身の王は登場しますが、ヨーロッパでは最下層身分出身の王はあまりいない印象です。 階級社会が昔から明確なヨーロッパでは社会階級の流動は起こりづらく、ある程度は流動はありましたが、一代で王になるような人物は登場しづらい社会でした。 そんなヨーロッパ史における「成り上がり者」をピックアップしてみます。 1. セルウィウス・トゥッリウス(王制ローマ)?-紀元前535年 奴隷の身分からローマの王へ 伝説的な建国者ロムルスを初代の王とする王政ローマは、ローマ市民以外の者や、移住してきたエトルリア人など外部の者を王に据えたり、征服した町の貴族をローマ貴族として認めたり、

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  • 歴史に名が残る超有名シェフ(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Lynn Gilbert 料理歴史にその名を刻んだ有名な料理人たち 料理歴史というのは体系化するのが当に難しいと思います。 常に進化し続けているので、いつ・どこで・誰が・何をして・どうなったかの記録などほとんど残っちゃいない。 そこいらのおばさんやおっちゃんが考えたレシピが普及することなどザラなので、誰が発案者かといった問いは意味をなさないことが多いです。 そもそもカリスマ・シェフという存在自体が現代に生まれたものなので、料理人の名前を後世に残すということ自体ほとんどなされていないのですが、それでも歴史に名前が残っているシェフが存在します。 1. アントナン・カレーム 1784-1833(フランス) フランス料理の基礎を築いた男 アントナン・カレームは現在のフランス料理の基礎を発明した「フランス料理の父」です。 1783〜84年に貧しい労働者の家に生まれたカレームは

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  • 【WW2】ハンガリーが枢軸国側で参戦した経緯 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    大ハンガリーの領土回復への夢と絶望 第二次世界大戦の枢軸国の主要参戦国は、日ドイツ、イタリアばかりがクローズアップされますが、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、クロアチア、タイなども枢軸国側に立って参戦しています。 ハンガリーも枢軸国の一員になった国で、ソ連とアメリカに宣戦布告し主に東部戦線でドイツ軍と共に戦いました。 ハンガリーも他の枢軸国側と同じく親独・親伊一辺倒だったわけではなく、ハト派や保守派が何とか国を中立に維持させようと努力しますが、結局強力なドイツの外圧と国内急進派によって国を牛耳られていきました。 今回はハンガリーが枢軸国の一員になって破滅的な戦争に向かっていった経緯をまとめていきます。 話はオーストリア=ハンガリー帝国時代に遡ります。 1. 帝国の支配層としてのマジャール人 1-1. 自治を求める戦い ハンガリーの支配的民族であるマジャール人は、オスマン帝国の支配

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  • 【ファッション】なぜ囚人の服は縞模様なのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Patrick Denker 忌み嫌われた「縞模様」の歴史 囚人といえば、なぜか上下縞模様の服を思い浮かべます。 最近だと、漫画「プリズンスクール」の男子生徒たちもそうだし、アニメ「ウサビッチ」のキャラもそうだし、ゲーム「ストリートファイター」シリーズに出てくるコーディーもそう。 なんで囚人は縞模様の服がステレオタイプになっているんでしょうか。 単純に、脱獄された時にそれと分かりやすいという実利的な面もあるでしょうが、歴史を紐解いてみれば、そもそも西洋で「縞模様」が忌み嫌われ、ある種「不吉」や「排斥」のシンボルだったのが根にあるようなのです。 1. 聖書の記述と「愚か者」たち 「 レビ記」第19章19節にこうあります。 二種の糸の交ぜ織りの衣服を身につけてはならない 曖昧な書き方で、素材が同じなら色が違ってもいいのか、二種の「色の」糸の交ぜ織りなのかよく分かりません。こ

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  • 中世イタリア商人の「為替で簡単に儲ける方法」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    中世の「金儲けの悪知恵」とは 「楽していっぱい儲けたい」のは人類の永遠の夢であります。 世界史はそんな詐欺師が掃いて捨てるほどいるし、今でも「秒速で数億稼ぐ」とかうそぶくペテン師がもてはやされてしまうのですが、そういう強欲な連中はたいていそれ相応の十字架を背負うものです。一瞬で破産したり、不正取引で逮捕されたり、ライバルとの抗争の挙句殺されたり。 人自身はまったく発達しないわけですが、そのような「強欲さ」がテクノロジーやシステムを発達させてきたことは事実で、 日のテーマである「為替取引」もそんな中世ヨーロッパ商人の「楽していっぱい儲けたい」思いから発展したものであります。 1. 「利子を取ることは神に対する罪」 1-1. 商業技術の発達 近代資主義を支える様々な商業技術、例えば銀行や保険、簿記、会社などはルネサンス期の北イタリアで誕生しました。 互いにライバルだったフィレンツェ、ベネツ

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  • 【恋愛】世界史に残るドラマすぎる6つのラブロマンス - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    愛は歴史を変える 歴史に登場する人物を語る上で、男女関係を語らないわけにはいきません。 結婚恋愛を機に行動や考えが変わったり、スキャンダルが国家を揺るがすほどの大事件につながったり、結果的に歴史を大きく動かす要因の1つになってきました。 日史は源頼朝&北条政子とか、浅井長政&お市、坂龍馬&お龍とかパッと思いつきますが、それでは世界史はどんなカップルがあるでしょう。 今回は第2弾になります。前回紹介したカップルは以下の通り。 ユスティニアヌス1世&テオドラ(ビザンチン) ペリクルス&アスパシア(古代ギリシア) バージ・ラーオ&マスタニ(インド) ウラジミル・レーニン&イネッサ・アルマンド(ロシア) コルテス&マリンチェ(アステカ) フェルディナント&イサベラ(スペイン) 第1弾はこちらよりご覧ください。 1. ヴィクトリア女王&アルバート公(イギリス) 大英帝国のトップに君臨した「理想

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  • 【論争】マケドニア人という民族は存在するのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    周辺国の下心が見え隠れする国際論争 マケドニア共和国はバルカン半島の南にある、旧ユーゴスラビア構成国。 周辺をギリシャ・アルバニア・ブルガリア・コソヴォに挟まれた内陸の国です。 様々な民族や宗教が入り乱れたバルカン半島において、 マケドニアは大国に翻弄されたまことに複雑怪奇な歩みをしており、それがゆえ未だに周辺国との摩擦が絶えません。 それが「そもそもマケドニア人は存在するのか」「マケドニアという名称は誰のものか」といった、超スーパーそもそも論。 それゆえ、なかなか第三者が深く立ち入ることができない問題でもあります。 論争その1. マケドニア人という民族は存在するのか マケドニア「うん、ぼくたちマケドニア人だよ」 ブルガリア「いやいや、そもそもオメーら、昔はブルガリア人だったじゃねーか」 ギリシャ「ちょっと待って。そもそもマケドニア人とはギリシャ人のことを指すんだよ。勝手に俺たちの名前を名

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  • なぜ西アフリカ諸国は奴隷貿易に加担したか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    奴隷貿易という究極の焼畑産業 今回はダークなテーマ「奴隷貿易」についてです。 奴隷貿易自体は古代から世界中のあらゆる地域で存在しましたが、それを主産業に据え、強力に推進したのは15世紀以降の西アフリカ諸王国でした。 彼らは近隣の王国に攻め入っては住民を引っ捕らえ、イギリスやスペイン、フランスに売却して武器などを買い取り、それを元にさらに奴隷獲得戦争に邁進していました。 売られた奴隷たちは南北アメリカ大陸に搬送され、プランテーション農園で働かされました。 西アフリカ諸王国は自分の肉を切ってうような行為を繰り返して栄えた挙げ句、結局列強に国を滅ぼされています。 彼らはなぜそのような、「究極の焼畑産業」に没頭したのでしょうか。 1. アフリカの伝統的な奴隷貿易 時代や地域によって異なる奴隷の概念 「奴隷のようにこき使われる」といった表現があるように、我々が「奴隷」という言葉を聞くと、 自分の意

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  • 【事件】無人島で男女が集団サバイバル生活をした結果 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    無人島に流れついた男女… あなたの乗っていた航空機が無人島に墜落。乗客の半分は死亡しますが、あなたは偶然助かったとします。 どういうわけか救助は来なく、しばらくの間生き残った人同士で無人島で生活しなくてはいけない。 さあ、どうする。 日々の暮らしに必要な道具が一式ないのはもちろん、社会統制のためのルールや法律もない。 もちろん、生き残った人たちと協力して生きていかねばならないけど、 ここには集団を縛る行動規範がないから、料や縄張り、異性を巡った争いが起きてしまう。 人類が未踏の地にたどり着くたびに、このような困難は繰り返されてきたはずです。 今回は、実際に無人島に複数男女がたどり着き、その後どのようになったのかを2例紹介します。 英領ピトケアン島 ピトケアン島は、南東太平洋にある絶海の孤島。 現在もイギリスの委任統治領で、人口わずか50人。 最寄りの有人島まで400キロ、政庁があるニュー

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  • 面白くて繰り返し読める歴史関連本10冊 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    繰り返し読める10冊を挙げてみます このブログを運営するにあたってというのもあるんですが、ぼくはだいたい年間で100冊くらいを読みます。 高校生のころからかなり真面目にを読み始めたのですが、印象に残ったり、大きく考え方や行動に影響を与えたり、繰り返し読めるというのは限られています。 今回は、これまで読んできた中で、特に面白くて繰り返し読める歴史関連10冊を紹介したいと思います。 1. アーロン収容所 会田雄次 アーロン収容所 (中公文庫) posted with カエレバ 会田 雄次 中央公論社 1973-11-10 Amazonで購入 楽天市場で購入 第二次世界大戦後、現在のミャンマーで英軍の捕虜になった筆者の、捕虜中の生活が中心に語られた伝記。 日軍捕虜の実情を知る上での貴重な証言であると同時に、 イギリス人、インド人、ミャンマー人、ネパール・グルカ兵、そして日人の行動様

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  • 【日本の半独立国】会社統治領・大東諸島 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by 衛兵隊衛士 日にかつてあった「会社統治領」 沖縄県の東に浮かぶ大東諸島。 北大東島と南大東島、沖大東島から成り、人口は2,000人ほど。 主力産業はサトウキビ農業と近海漁業。 日列島はもちろん沖縄島とも離れた孤島で、島に行くには那覇から飛行機をチャーターするか、週1〜2便の定期船に乗り13時間かけて行くかしかありません。 ※訂正 上記情報が古かったようです。現在は琉球エアーコミューターによる飛行機の定期便が、那覇~北大東/南大東を結んでいます。 のどかなこの島は、かつて主権は大日帝国にあるものの、行政はすべて会社が行うという「会社統治領」の島でした。 島を統治する「玉置商会」 島を支配したのは、玉置半右衛門が創業した「玉置商会」。 半右衛門はアホウドリの羽毛の販売で巨万の富を築きましたが、乱獲のためアホウドリが絶滅すると、1900年に23人の八丈島からの移民を引き

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