1920年4月2日生まれ[1]。北海道根室市出身[1]。1943年に東京帝国大学法学部法律学科、1949年に東京大学法学部政治学科を卒業[2]。 1951年に札幌地検検事となり、その後東京地方検察庁・法務省刑事局・福岡高等検察庁で検事職に従事した[1][2]。この間に法務総合研究所教授・国連アジア極東犯罪防止研修所教授も務めた[2]。ハーバード大学に留学して刑事学を専攻し、1953年に卒業[2]。 1966年、弁護士に転ずる。1970年頃、自動車業界にて欠陥車問題が発覚し安倍は、松田文雄らと『日本自動車ユーザーユニオン』を結成。松田は専務理事、安倍は顧問弁護士として活動し、機関紙『ジャック』を発行し自動車各社の欠陥を指摘し消費者運動の先頭に立った。その中でホンダ・N360の構造的欠陥を指摘し、本田宗一郎を未必の故意による殺人罪で告訴する。しかし1971年11月2日、本田技研工業に対して損害