タグ

ブックマーク / mubou.seesaa.net (23)

  • もはや「リセットボタン感覚」という言葉をお説教に使える時代は終わった: 不倒城

    人生にリセットボタンはねえんだ!!」 「最近のゲーム機にもリセットボタンねえよ!!」 「えっ。じゃあ人生にセーブ&ロード機能はねえんだ!!!」 「最近のソーシャルゲームにもそんな機能ねえよ!!!」 「えっ。えっ。じゃ、じゃあ人生に課金システムは」 「あるよね」 「うん、あるね」 私の長男(8歳)は、「リセットボタン」という機能を知らない。 以下、既出議論かもしれないが、気にせず話を進めることにする。 ゲームに対してあまり興味や親和性をお持ちでない中高齢の方が、「リセットボタン感覚」「リセット感覚」という言葉を若者批判・ゲーマー批判の種として用いることは、今でもそれほど珍しくはない。Web上ではあまり見なくなってきているが、一時期のゲーム脳議論なんかでは頻繁に引き合いに出される内容であったし、「人生にリセットボタンはない」というお説教を、私はつい最近、この耳で直接聞いた。 しかるに、みなさ

  • 正直なところ、今の時代ってゲーム好きには天国に近いと思うんだ: 不倒城

    STG、格ゲーなども含めて、面白い新作ゲームが出続けている ・ダウンロード販売の一般化やSteamなどの存在により、ゲームの入手性が大幅に上がっており、プラットフォームも多様化している ・バーチャルコンソールやセガ3d復刻アーカイブスなどを始め、過去の名作を今の実機でプレイする環境が整っており、ラインナップも増え続けている ・ループゲームやライトなゲーム、シンプルなゲームを遊ぼうと思えば、スマホアプリでも面白いゲームがごろごろ転がっている ・通信環境が整っており、通信対戦も既に現実的な遊び方として実現している ・通信環境が整っている関係で、ゲームタイトルによっては追加のアップデートが行われてバグが改善すること、コンテンツが拡充することまである ・ゲームの社会的立ち位置も、まだまだ低い面もあるとはいえ、昔よりは遥かに高い こんだけ材料がそろっているとなると、これやっぱり冗談抜きでゲーマー天

  • 人生はロマサガ3というよりはスーパーモンキー大冒険に近い: 不倒城

    ・水・料がなくなるとすぐ死ぬ ・一応複数の仲間がいるのだが、実際に戦力になる、というか戦っているのはごくごく少数 ・ヒントなどという生易しいものはどこにもない ・ダメージを回復させる為にはうものいながらじっくり時間をかけて休むしかない ・魔法などという便利なものは存在しない ・戦闘に勝ったからといって都合の良いパラメーター的な成長が得られる訳ではなく、結局物をいうのは戦闘の習熟度 ・徒歩旅は基的に時間がかかるものである ・死んでも周囲の反応は割とあっさりしたものである ・セーブ & コンティニュー的なことは実は不可能ではないのだが、手順はやたらわかりにくく複雑であり、かつノーヒント ・こっそり隠した内容のものでもいつかはバレる 参照:人生はロマンシングサガのようだと思う

  • 黄金聖闘士とボジョレ・ヌーボーの共通点について: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(770) 雑文(511) 書籍・漫画関連(55) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(334) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(38) FF3(6) Civ4(18)

  • 競泳水着、スクール水着など面積が大きい水着の日焼け跡が残った状態でビキニなどの面積が小さい水着を着ている状況について: 不倒城

    先に断っておくが、以下の話はタイトルで想像出来る以上にくだらない話なので、読めば読んだだけあなたの時間を無駄にすること請け合いである。忙しい人には下記の文章を読むことをお勧めしない。 タイトルで言っている状況とは、図示すると下記のような状態である。 私の絵心についての質問は絶対に受け付けない。繰り返す。絶対にだ。 上記のような状態をなんと呼ぶのか、Googleで色々ぐぐってみたのだが正直よく分からなかった。 以下、文圧縮の為に、上記の状況を仮に状況αと呼称することにする。 状況αは、しんざき配点ではなかなかポイントが高い状況だと思われ、世間的にも決して認知度が低い状況ではないと考えられるのだが、まだ固有名詞が付与される程の市民権は得ていないようだ。 状況αのポイントの高さには、恐らく大きく分けて二つの要因があると考えられる。 1.エロい 2.シチュエーション的に妄想惹起力に優れている 1

    競泳水着、スクール水着など面積が大きい水着の日焼け跡が残った状態でビキニなどの面積が小さい水着を着ている状況について: 不倒城
  • テレビ朝日様がなんか面白いことを始めようとしているようです: 不倒城

    いやーこれはテレビ朝日様の為にも宣伝に協力しないとなー。 テレビ朝日:みんながカメラマン 「自分が撮ったスクープ映像をテレビ朝日に送って、テレビに流してもらおう!これで君もジャーナリストだね!やったね!まあ無償だけどね!」みたいなコンセプトなんだと思います。 スクープのアウトソースを図るって報道局としてどうなの、という話もないではないですが、まあそれは今までも、youtubeの動画をパクってそのまま流しているだけの番組とか色々あった訳ですし、今更のことと考えて問題ないだろうとは思います。 ただ、 投稿者は、サイトに投稿データを投稿するにあたり、規約の全文をお読みいただき、規約に同意いただく必要があります。と謳っている割に、絶妙な感じでデフォルト非表示になっている規約については色々と興味深いです。 テレビ朝日様の説明の手間を省くために、重要そうなところを幾つか確認してみましょう。 4.

  • 何故みんな、今回の美味しんぼが面白かったか面白くなかったかの話をしないのか: 不倒城

    漫画なんだから、まず「面白いか面白くないか」で評価されるべきだと思うんですよ。 いやまあ、勿論私の観測範囲から漏れている可能性は否定しませんけど、Webやら新聞やらテレビやら、果ては原作者さんに至るまで、書いてある内容の是是非非のことばかりで、誰も「今回面白かった?つまんなかった?」という話をしません。何故なんですか。漫画で一番重要なのは「面白いかどうか」だろうが!!作者の個人的な意見なんて超どうでもいいんだよ!!! という前提を敷いた上で、以下は私の意見なんですが。すいません全然面白くなかったです。 といっても、この「面白くなかった」というのは、特に今回の美味しんぼが、という訳ではなく、ここ10年くらいの美味しんぼに共通の問題点であり、これについては特段新しい視点ではないと思います。 現在の美味しんぼの面白くなさの理由は単純です。漫画として面白くなる筈の要素が片っ端から(作者さん自身に)

  • ストライキが起きた時、ユーザーが労働者を批判するのは筋が違う。けど、「批判してはいけない」ということではない。: 不倒城

    相模鉄道と相鉄バスのストライキについての話である。 幾つかの意見を観測して、ちょっと当たり前のことを確認しておきたくなった。 一つ目に、こちらのTogetterがある。 相鉄ストライキ決行でユーザーから悲鳴が上がる 相鉄ストを受けて、相鉄ユーザーが悲鳴を挙げている構図をピックアップした内容である。 次に、下の匿名ダイアリーがある。同様の意見はTwitterなどで複数見かけたのだが、比喩が極端で分かり易かったので。 「ストは労働者に認められた権利だから!」と言うのは別に間違ってはいないと思うけど、 一言で論旨をまとめると、「ストは権利だとかお題目は立派だけど、自分が困っても同じこと言えんの?」ということになると思う。お前サバンナでも同じこと言えんの理論である。 まず、上のTogetterでは、当然のことながらストを批判するツイートが大半である。 ただし、ストを批判するツイートの中でも、二つの

  • 安易な「気付き」には身構えた方がいいよなあ、という話: 不倒城

    「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 「間髪をいれず」が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛

  • クッキークリッカーが性に合わなかったことで何かに気付いた: 不倒城

    以下の話は、一言で言うと古い世代のゲーマーの愚痴であって、それ程建設的な話ではない。先に断らせて頂いておく。 Twitterでえらい話題になっていたので、ちょっとクッキークリッカーを遊んでみた。一応7億CPSくらいまでは出したし、ババアポカリプスも起こった。 クッキーを焼くだけのブラウザゲー「クッキークリッカー」が大流行 クッキーババアがネット上のアイドルcookieclicker で、端的に言うと性に合わなかった。一応頑張って一通り遊んだが、最後まで「これおもしれーー!!」状態にならなかった。 いや、うん、分かるのだ。ハマる人がいるのは分かる。 「育成」「集積」「収集」という要素を、極めてシャープな形で実現したゲームであることは分かる。インターフェースは直観的で、手探りで出来ることが分かる構造であり、クッキーが降り積もっていくことによる「溜まる」楽しさがあり、色々な遊び要素、隠し要素

  • 少年誌・青年誌の料理漫画には「最初から強い主人公」が多いような気がした: 不倒城

    承前:エリア88に見る、少年漫画的「さすが」というカタルシス または「最初から強い主人公」のお話 少年漫画や青年漫画において、「主人公が少しずつ強くなっていく」のか、「主人公が最初から強い」のかという問題は、お話の構造の根源にかかわる、結構大きな問題だと思うのだが。 最近ジャンプで連載されている「戟のソーマ」を読んでいて、「そういえば」とふと思いついたのだが、料理漫画って「主人公が最初から料理の腕最強」というものがかなり多いような気がする。 私がざっくり考えた感じ、「主人公のレベル」という点から考えた料理漫画って多分3パターンあって、 A.主人公の料理の腕自体も最強、ないし極めて高いし、それ以外の要素も基的にハイレベルで「成長」は描写されない B.主人公の料理の腕自体は最強、ないし極めて高いが、店での地位とか経験とか、他の要素には不足があり徐々に成長していく C.主人公の料理の腕は大し

  • とある人から、「インタビュアーの姿勢」に関して色々と教えてもらったことについて: 不倒城

    昔話をします。 多分十年くらい前、私がまだとある出版社に時々お世話になっていた頃のことです。 一般的なのかどうかはよく分かりませんが、その出版社には明確な職位としての「編集者」という仕事はなく、大体の人が、編集者もするしライティングもするし取材して記事起こしもするし、というマルチタスクな人達でした。 その配分も人によって色々で、複数の作者さんをマネジメントしつつ原稿を書いてもらう仕事の分量が多い人もいれば、取材に行って、その内容を自分でテキストに起こす仕事が一番多い人もいて、当時また出版社のことを「編集者さんがたくさん仕事していて、作家さんや漫画家さんに原稿をもらってる」という程度にしかイメージしていなかった私には、結構カルチャーショックな世界でした。 別にこれが一般的な出版社の業態だなどとは全く思っていません。なにせ小さい会社だったので、明確な分業がなされないまま属人的に色んな仕事が回っ

  • 漫画や小説における「日常との線引き」と「親がいないという設定」について: 不倒城

    いつだったか、「ライトノベルの主人公に親がいない設定ばっかなのは何で?」というような話題を目にした。 検索したらいくつかそれらしいページが出てきたが、どうもよくある話題のようで、逆にどれがソースだったか思い出せない。 先に断っておくが、私はラノベについて大して詳しくないので、実際に親がいない設定の作品が多いのかどうか、正直よく分からない。聞いている範囲では多そうな気もするが、統計でも取らないと確言は出来ないだろう。 ただ、ラノベに限らず、たとえば一昔前の少年漫画なんかでは、主人公の両親、ないし片親がいない、または殆ど作品中で描写されない、というのはよくある設定だったように思う。最近のジャンプなんかは若干傾向が違うかも知れないが、それは一旦置く。 で、単純に、「ライトノベルの主人公に親がいない設定ばっかなのは何で?」という疑問だけについて、私が最初に思った理由は、「読者の日常との線引きをする

  • 「被ダメ脱衣」を考えた人は天才だと思うんだ: 不倒城

    タイトルを見て、脊髄反射で「お前は一体何を言っているんだ」という熱い思いで胸が一杯になった方も多かろうと思う。同感である。同感であるが、まあ聞いていただきたい。 ゲームにおける脱衣には二種類ある。つまり、「ご褒美としての脱衣」と「慰めとしての脱衣」である。獲得する脱衣と与えられる脱衣、あるいは達成することによって得られる脱衣と失敗することによって得られる脱衣、と言い換えてもよい。 前者は、要するに「勝つ・条件を達成すると脱衣シーンが見られる」という方向での脱衣。一部のパソコンゲームにルーツを持ち、脱衣麻雀を中核とした超強力な定番ジャンルを形作った、圧倒的な王道脱衣である。おそらく、ゲーセンでも最も集金力が高い力の一つだったのではないだろうか。 それに対する後者、「自分がダメージを受ける/敗北することによっても脱衣を見ることが出来る」というのが素晴らしい発明だったと私は思うのである。 被ダメ

  • ゲームにおいて、「上を目指す」という欲求から逃げている、という話: 不倒城

    ちょっと、自己分析の為の一人語りをします。あまり面白い話ではないかも知れません。 自慢話から始まります。 昔、あるゲームで、気で「全国一」を目指したことがありました。1990年代の半ば頃、ほんの数か月くらいのことでした。 そのゲームの名前は「ダライアス外伝」です。 ぼちぼち受験勉強も始めなくてはいけないという時期に、「ダラ外の合間に人生をやっている」という生活を送っておりまして、よくまあ人生を踏み外さなかったものだと思います(ある意味踏み外したかも知れませんが)。 とにかくあの時期は、ダラ外以外のことは一切脳内になく、ありとあらゆるリソースをダライアス外伝に突っ込み、就寝の為に目を閉じたら瞼の裏で復活砲台稼ぎが始まり、それ程レベルが高くなかった為てきとーに乗り切れた高校の授業中には、教科書の問題の代わりにボスのパーツ破壊パターンを構築していた訳です。今でいう廃人に該当するかと思います。

  • 「作者の思想の為に描かれた創作」があんまり好きではない: 不倒城

    夕飯時、奥様とした会話。 私「ゲド戦記、3巻までで映画化すれば良かったのにねー。1巻だけとか2巻だけとか」 奥様「2巻どんなのだっけ?」 私「テナーが出てくる話」 奥様「あー」 私「ゲド戦記も3巻まではすっごい面白かったんだけどなー。4巻以降は、どうも、作者の思想の為に書かれた話って感じで」 奥様「んー、けど、作者の意図を考えながら読み進めるのも楽しいと思うけどなあ」 なるほど、これは好みの問題かも知れない。 以前も書いたが、私は、ゲド戦記の4巻と5巻があまり好きではない。3巻までは、有色人種差別というテーマこそあれ、作者の思想がそれほど前面に出てきているという印象はなかったのだが、4巻以降、ゲド戦記は余りに「フェミニズムを表現する為のお話」になってしまったように思うからだ。端的に言って、私はゲド戦記1巻から3巻は「ゲドの生涯を綴る為の話」であるのに対し、4巻、5巻は「フェミニズムを主張す

  • 「クソゲー」をけなすんなら、自分で遊んで、自分の言葉でけなすべきだよね、と思った: 不倒城

    この記事を読んだ。 で、その後、Twitter辺りで「クソゲー談義」に華が咲いているのを見て、ちょっと思ったこと。 先に何点か前提を敷いておく。 ・上記記事から読み取れる範囲では、神ゲー・クソゲーの評価基準、定義の明示もなければ、調査方法もさっぱりわからない ・その為、そもそも実際にアンケート的なものが行われたかどうかが怪しい ・そこから考えると、上記の記事自体はそもそも真面目に突っ込むに値する記事ではないような気がする ・あるゲームがクソゲーであるかどうか、というのは遊んだ個人の主観であり、ケチをつけるべきことではない ・同様、上記で挙げられているみうらじゅん氏の見解にも何の文句もない 上を前提として。 上記の記事、及びクソゲー談義について、 「ちゃんと遊んでないけどなんかクソゲーって聞いたからクソゲー」 という気配を感じとって、それがなんか気にわないのでブログに書いてみたくなった。

  • ウーロンは何故「ギャル」ではなく「ギャルのパンティ」を選択したのか?: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(770) 雑文(511) 書籍・漫画関連(55) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(334) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(39) FF3(6) Civ4(18)

  • レトロゲーム万里を往く その115 「ゲーメスト」が俺に教えてくれたこと: 不倒城

    ・「ゲームを攻略する」「ゲームが上手くなる」というのはどういうことなのか、ということ ・ゲームには、ただ遊んで、クリアする以外にも色んな楽しみ方があるんだ、ということ ・世の中にはスコアラーという連中がおり、そしてそこは決して別世界ではなく、頑張れば自分でも入っていける世界なんだ、ということ ・銀勲章の得点は非情にもランダムであるということ ・ガレッガの連射ボタンは致死性の罠以外の何物でもないということ ・誤植の原因は手書き文字を写植の人が見た通りに植字しなくてはいけないからだ、ということ ・ダッシュから羅砕刃と烈空破の二択をかければカブキ団十郎は理論上最強である筈だ、ということ ・100円一枚握ってゲーセンに駆け込むだけでも、そこには無限の楽しみ方があるんだ、ということ ・大人は軽々しく「もう一度同じミスをしたら小鉄のコスプレして謝る」とか言うべきではない、ということ 昔話から始めさせて

  • 「今日、幼稚園で何があった?」という質問が息子に嫌がられていた理由: 不倒城

    長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。 子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。 我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。 息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。 ん、色々? 私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。 実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは