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生活綴方に関するh0z8のブックマーク (3)

  • 名誉館長のつぶや記102 綴方教室 - 下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館

    h0z8
    h0z8 2021/02/16
    “国分一太郎(1912-85)という山形県生まれの教育者、児童文学者が、北日本国語教育連盟を結成、さらに日本綴方の会によって全国展開しました。”
  • 生活綴方運動の旗手・教育者国分一太郎のホームページ 

    ◎『生活綴方運動の旗手・教育者国分一太郎のホームページ』へ ようこそ! ◆ 2011年7月23日(土)、24日(日)、多くの方々の参加のもと、記念碑の除幕、生誕100年の集い、記念文集の発行、第7回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会の実施等、「国分一太郎生誕100年記念」の事業を無事終了することができました。詳細は、メニューの 「生誕100年記念事業」にまとめてあります。 ◆ これによって、国分一太郎の生誕100年を記念する事業の成功のため   に役立つ「場」とする、というホームページの第一の役割が終了しました。 ◆ これからは、もう一つの目標、教育者 国分一太郎の生涯を 長い、長い叙事詩のように映し出していくこと、国分一太郎の思想を語り継いでいく仕事に邁進してまいりたいと考えます。そのため、これまで『国分一太郎生誕100年記念ホームページ』としていた当ホームページの名称を『生活綴方運

  • 山田ときさんを偲ぶー5   「子どもと生きようとして➁」 - ツルピカ田中定幸先生

    教育・作文教育・綴り方教育について。 神奈川県作文の会 綴方理論研究会 国分一太郎「教育」と「文学」研究会 山田ときさんを偲ぶー5 ー 子どもと生きようとして ー➁ そのころ(注―昭和11年頃・野村芳兵衛を中心に『生活学校』を創刊〈10年〉)、いわゆる生活綴方運動は、その絶頂に達し、国分先生は東北地方の先生たちとの連絡に大わらわだった。また、全国的なつながりも密接になり、よく文集や手紙が学校に 送られてきた。『綴方生活』『生活学校』『工程』などの雑誌も、つぎつぎと送られてきた。わかい人たちの教室交流もさかんだった。だから、私も、そういうものを見せてももらうことが 多くなり、師範学校などでは、習わなかった教育の考え方に、少しずつ目をひらかれていった。 しかし、山形県というところは、とてもめんどうなところだし、今は亡くなった村山俊太 郎先生なども、意見の発表を封じられていたので、国分先生たちは

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