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はやぶさに関するh2ondaのブックマーク (4)

  • 「はやぶさ」は浦島太郎!? 宇宙経由の輸出入大作戦 (1/5)

    ■前回までのあらすじ 「重病人」「満身創痍」「帆掛け舟」……タッチダウン後の通信途絶やイオンエンジンの寿命といった多くのトラブルは、「はやぶさ」にかなりのダメージを与えた。それでも、「はやぶさ」は還ってくる。 「今飛んでいる探査機が最優先」 前回のイオンエンジントラブルのように、クリティカルな場面を幾度も迎えた「はやぶさ」のミッション。たとえば緊急対策会議ということになれば、各チームの担当者や運用関係者は急遽呼び出しを受け、全力を尽くすことになる。 矢野 スーパーバイザーとして、1運用1日と考えると、この7年間でのべ180日くらい、絶対量で半年くらいは「はやぶさ」と通信している時間をおくったと思いです。あらためて考えると結構長い時間ですね。 安部 スーパーバイザークラスの人、姿勢系や軌道決定、電気推進担当者、そして学生当番さんに、アンテナを見るとかコマンド打つといった運用支援の方を含めて、

    「はやぶさ」は浦島太郎!? 宇宙経由の輸出入大作戦 (1/5)
  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年6月1日 「はやぶさ」の遺伝子 はやぶさ運用元学生当番・現スーバーバイザ 森本 睦子

    2010年6月1日 「はやぶさ」の遺伝子 はやぶさ運用元学生当番・現スーパーバイザ 森 睦子 1の論文と勇気を出して書いた1通のメールがきっかけで、私は今、ここJAXAの相模原キャンパスで深宇宙探査工学の研究と、はやぶさ運用の「スーパーバイザ(※1)」として現場の仕事の修行を積んでいます。全ては「はやぶさ」の遺伝子を継ぐ「はやぶさ後継機」と、さらにその先に広がる「太陽系往復探査時代」を私たちの世代で実現させるために。 「はやぶさ」が打ち上げられた2003年、私は博士課程の学生としてJAXAの相模原キャンパスに来ました。まもなく「学生当番」として「はやぶさ」運用に携わる事に志願しました。 修士まで関西の大学院で宇宙工学を専攻していたものの、実際に自分が惑星探査の現場に携われると思っていませんでした。当時電気推進の軌道設計の研究をしていた私は、ある日川口先生の「はやぶさ」(当時はMUSES

  • はやぶさ2計画は生きている - 松浦晋也のL/D

    宇宙開発とビジネスと民主主義(moderntimes) 宇宙開発と社会との関係を分析。 松浦晋也と鹿野 司の“読書ノート”(裳華房) 裳華房メールマガジンでの書評連載。 日経クロステック著者検索 松浦晋也 日経BPの媒体に書いた2003年以降に書いた技術的記事が読めます。全部ではありません。一部は同社のウェブ媒体リニューアルで消えたままになっています。 日経ビジネス電子版・著者ページ 2015年以降に日経ビジネス電子版に書いた記事は、ここから読むことができます。 介護生活敗戦記 2017年に連載した、認知症を発症した母80歳を自宅介護した記録です。現在連載は、NPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さんが受け継いでいます。ここから著書「母さん、ごめん。」が生まれました。 松浦晋也の「モビリティビジョン」 2008年から2011年にかけて「Wireless Wire」で行った乗り物に関する連

    はやぶさ2計画は生きている - 松浦晋也のL/D
  • 松浦晋也のL/D: はやぶさは生きていた

    宇宙開発とビジネスと民主主義(moderntimes) 宇宙開発と社会との関係を分析。 松浦晋也と鹿野 司の“読書ノート”(裳華房) 裳華房メールマガジンでの書評連載。 日経クロステック著者検索 松浦晋也 日経BPの媒体に書いた2003年以降に書いた技術的記事が読めます。全部ではありません。一部は同社のウェブ媒体リニューアルで消えたままになっています。 日経ビジネス電子版・著者ページ 2015年以降に日経ビジネス電子版に書いた記事は、ここから読むことができます。 介護生活敗戦記 2017年に連載した、認知症を発症した母80歳を自宅介護した記録です。現在連載は、NPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さんが受け継いでいます。ここから著書「母さん、ごめん。」が生まれました。 松浦晋也の「モビリティビジョン」 2008年から2011年にかけて「Wireless Wire」で行った乗り物に関する連

    松浦晋也のL/D: はやぶさは生きていた
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