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ブックマーク / michikaifu.hatenablog.com (12)

  • 金持ちをたくさん働かせる仕組み - michikaifu’s diary

    「分配」志向の民主党政権になって、「格差是正」に期待が高まっていると思うのだが、メディアの論調がしばしば「義賊」待望になっているのは気に入らない。「義賊」とは、鼠小僧とかロビンフッドみたいに、金持ちから奪って貧乏人に分けるという考え方である。わかりやすいのだが、それを政治でやっちゃうと、金持ちはますます自分の富を隠し、世の中のために流通しなくなるし、また「成功しよう」という個人のインセンティブを奪って、昔のソ連になってしまう。 それよりも、お金持ちのお金を、普通の人にはできないリスキーな投資に向けさせたり、優位な地位にある人から先に雇用流動化の荒波をかぶるようにする、などといった、「金持ちをなるべくたくさん働かせる」仕組みを志向すべき、と思う。 そんなことを考えたのは、最近早稲田の社会人ビジネススクールの方々と話をする機会があり、「どうしてスタンフォードMBAの方々は皆起業志向なんですか?

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  • 「おサイフケータイ」が世界に広がらなかった理由 - michikaifu’s diary

    こんな記事を読んだり、日から来た友人たちと議論した中で感じたこと。 日で電子マネーの普及が進んだ理由 - Innovation Design 同じインドで生まれたのに、ヒンズー教はインドの外には広がらなかったのに対し、仏教は世界三大宗教のひとつとなったのはなぜか。ユダヤ教とキリスト教の違い、といってもよい。それは、ヒンズー教やユダヤ教が、当該民族の特性や置かれた環境に深く依存していたのに対し、仏教やキリスト教は、そうした「コンテクスト」から離れた、より広い人類全体に適用できる、普遍的要素が大きかったからだと思う。 同じように、iPhone教(もしくはアップル教)なら世界に広がるのに、おサイフケータイ教が広がらないのは、日市場という「コンテクスト」に依存する部分が大きすぎるからだと思うのだ。 「電子マネー」およびその前触れである「非接触型カード」の「コンテクスト」については、上のエント

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  • 日本のネットも、そんなに捨てたもんじゃないと思う - michikaifu’s diary

    前々回のエントリーには、賛成反対含め、多くのコメント・ブクマコメント・トラバをいただき、ありがとうございました。 梅田さんの元インタビューにしろ私のエントリーにしろ、人間がやっていることだから、完全無欠ではありえないし、批判しようと思えばいくらでも突っ込みどころがあり、それを批判する声が出ることは承知の上。その意味では、対象が何であるにしろ、批判することは簡単だ。 それを踏まえた上で、敢えて「賛成」の意を表明するというのは、勇気がいる。自分でもブログを書いていて、何かをほめるエントリーを書くことは、批判エントリーを書くよりも勇気がいる。しかも、この一連の流れのように、すでに批判の声がネットに満ちて「空気」ができあがってしまっているとき、そうでない意見を書き込むのはやりづらくなってしまいがちだ。 にもかかわらず、空気に流されるのではなく、ちゃんと対抗する意見が表明されている。正反対のブクマコ

    日本のネットも、そんなに捨てたもんじゃないと思う - michikaifu’s diary
  • 梅田氏と「アテネの学堂」 - michikaifu’s diary

    梅田さんの発言記事がネットで盛り上がっている模様。 日のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia NEWS Web、はてな将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編) (1/3) - ITmedia NEWS 404 Blog Not Found:梅田望夫は「残念」なただ一つの理由 (他はこのDan Kogaiの中にリンクがいっぱいあるので参照) 渡辺千賀といい、あーあ、言っちゃった、何か心境の変化でもあったのかな、などと思いつつ。 叩かれるのは覚悟の上で言ったんだろうけれど、少なくとも私の見える範囲で彼の発言を叩いている内容を見る限り、梅田さんのフラストレーションは当たってるなぁ・・・と思ってしまう。以下は私の解釈ではあるが。 梅田さんが「好き」であって、日でもその登場を期待したネットの世界とは、「バーチャル・アテネの学堂」だったんじゃないかと思う。

    梅田氏と「アテネの学堂」 - michikaifu’s diary
  • 「シリコンバレーから将棋を観る」オープンソース翻訳プロジェクトについて - michikaifu’s diary

    少し前に、「ほめろと言っている海部自身が、こきおろしてばかりいるではないか」というご批判をいただき、確かにそうだな、と思って、これからなるべくほめる話を書こうと思う。といっても、「日のことをほめる」場合は、英語のブログに書く場合が多いので、今日は英語ブログで書いた件をご紹介。 http://hogacentral.blogs.com/japan_tech_blog/2009/05/opensouce-style-translation-project-shogi-book.html NBC News - Breaking News & Top Stories - Latest World, US & Local News | NBC News 梅田さん、プロジェクト人ブログと、英訳たたき台サイトは下記のとおり。 「シリコンバレーから将棋を観る」英訳版「敲(たた)かれ台」がウェブ上に一

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  • strikes back 3 多様性を確保するという「投資」 - michikaifu’s diary

    さて、このインタビューでも強調したことが、「多様性」の重要性である。の中でも、結論となった部分である。なんで重要か、という話はを読んでいただくこととして(笑)、多様性を確保することはそれなりにコストがかかるのだが、それはいわば将来に対する社会的な「投資」である、という考え方について述べたい。 このブログにたびたび書いているように、我が家の子供達は、二人ながら学習困難の問題を抱える。「単に怠けて勉強ができない」のではなく「どんなに頑張ってもできない部分があり、そのために勉強ができない」ということを強調するために、ここまではことさら「学習障害」という言い方をしてきたが、最近は上の子は種々のセラピーや対策のおかげでだいぶついていけるようになり、「障害」というのはちょっと違和感があるようになってきたので「困難」としておく。 これに加え、私の周囲にはなぜか、「学習困難」の子供をもつ家庭が多い。デ

    strikes back 3 多様性を確保するという「投資」 - michikaifu’s diary
    h_i
    h_i 2008/12/28
    ”「人と違う特性をもった人を、そのままで生かす」という「多様性の確保」という社会的な意味”
  • チアペットの寂しいクリスマス - michikaifu’s diary

    クリスマス前だというのに、今年はなんとなくクリスマス気分が盛り上がらない。 まず、車でラジオを聴かなくなった。それで、この時期「イヤ」というほど流れまくる、陳腐なクリスマスソングに載せた商品のCMを聴かない。去年までは、車の中の定番はiPodだったが、出かけるときにバッグに入れ忘れることも多く、そういうときにはなんとなく自動的にカーラジオがついていたが、今年はBlackberryにポッドキャストや音楽を入れることにしてから、忘れることはほぼなくなり、従ってラジオをますます聴かなくなった。 それから、一日のうちで唯一見るテレビ、朝のニュースのときに、いつもの陳腐なクリスマスソングのCMが全然流れない。去年までは、サンタが自分のプレゼント工場で溶接機もってベンツを作ってるイヤミなCMとか、赤い目玉がやたらと飛びまくって、畑においといたらさぞ鳥よけになるだろうと思われるTarget(量販店)のC

    チアペットの寂しいクリスマス - michikaifu’s diary
    h_i
    h_i 2008/12/25
    「クリスマスソングはなく、公園でボランティアをするワカモノをフィーチャーしたシビックのCMだった」
  • アメリカ全国大不況、ではない - michikaifu’s diary

    トシはとりたくないもんで、最近モノゴトを素直に受け取れないことが多い。今日も、「AT&Tが12000人削減」というニュースを見て、「コイツら、自動車会社に便乗して、組合にいろいろ飲ませるために、『ホラ、大不況なんだから、今削減しないと。それから、次の組合協定では年金とか削らないと、自動車会社になっちゃうからねー』というメッセージを出すために、今やってるにちげーねー」とか思っちゃう。 トヨタとかパナソニックとかが「利益が大幅減」とかいうのを見ても、「でもさー、いきなりそんなか?『ウチも苦しいんです』って言っとかないと、いろいろ不都合があるから、費用を前倒しにするとか、なんかやってるんじゃないのぉ?」とか思っちゃう。 というのも、最近雑誌などから、「シリコンバレーの景気について記事書いてください」(=あっちもこっちもレイオフで、失業者があふれてたいへんだー、と書いて欲しい?)と頼まれたり、人か

    アメリカ全国大不況、ではない - michikaifu’s diary
    h_i
    h_i 2008/12/25
     「アメリカの経済は経済圏ごとの独立性が比較的高いので、全米いっせいにニューヨークの風邪がうつるわけじゃない」
  • ねじれ人生との折り合い - michikaifu’s diary

    いわゆる自分の経歴については、このブログでも「パラダイス鎖国」のでも、それ自体を目的としてはほとんど書いていない。では、私が過去に観察してきた風景を書いているけれど、私自身のことは意識的に避けた。「そんなもん、読むほうもつまんないだろう」というのと、「自分をさらけ出すのがちょっと怖くて逃げていた」のと、両方の理由がある。 まーでも、日では学年の区切りでもあり、新しく社会に出る方などもおられる中、少々の参考になるかもしれないので、自分の経歴やキャリアについていささか言い訳をしてみることにした。 八重洲ブックセンターでの対談の中で、「エンジニアになっておけばよかった」と言った件をまず、補足しておこう。対談の中では、「女でエンジニアというのはまずかろう」という思いがあって避けた、ということを話した。それで一橋大学に行ったのでは、結局思いっきり「まずい」のだけれど、まーなんか、自分の中ではそ

    ねじれ人生との折り合い - michikaifu’s diary
    h_i
    h_i 2008/12/25
     「はるか遠くの青い鳥を求めるよりも、自分の中の在庫を点検して、使えるものは徹底的に使うほうがいい」
  • 50歳あたりが分水嶺、という実感 - michikaifu’s diary

    こちらのエントリーは、なかなか私が最近感じている実感と合っているな、と思った。 現在のネットにおけるコアユーザーは、非常に微妙な時期にいるのではないかと思う話 - 空気を読まない中杜カズサ Eurotechnology Japanなるサイトによると、東京であったNew Context Conferenceで、あの夏野さんが「Old Japan vs. New Japan」という話をしたそうだ。それで、Old Japanを50歳以上と定義しているが、これも私の実感と合っている。 http://www.eurotechnology.com/index.shtml 私は今48歳だが、確かにこのあたりが分水嶺だな、という感じ。JTPAに集う「けものみち系ギーク」たちはほとんどみんな、私より年下。仕事で会う日の業界の方々でも、同年代から下とその上ではだいぶ感じが違う。*1単に年齢によってcomfo

    50歳あたりが分水嶺、という実感 - michikaifu’s diary
    h_i
    h_i 2008/12/25
     「デジタル・ネイティブ第一世代」「ウチの子供は、おむつが取れるより前に、パソコンの前でおまるに座ってゲームをしていた」
  • コミュニケーションの3分割モデル - michikaifu’s diary

    IT Mediaの小寺さんの記事を読んでいたら、「ブログに書く」というボタンに(今更?)気がついたので、(制約が多くて最近アタマにくることが多い)はてなでもスクリーンショット貼れるかいな、と実験してみたら、できた。よかった。 小寺信良の現象試考:「一億総クリエイター」という勘違いに至る道のり (1/3) - ITmedia +D LifeStyle via kwout この記事、とても共感できる。私は「通信屋」としての立場から、別の角度から似たようなことを考えていて、そのサワリは「パラダイス鎖国」のの中でも書いた。「コミュニケーションの3分割モデル」、とでも言っておこう。 小寺さんは「娯楽」という枠で考えておられるが、私は「コミュニケーション」という枠で考え、(1)大昔、手紙と写しかなかった時代には、個対個の「通信」と「メディア」は未分割だった、(2)印刷術から放送までの時代、初期投資

    コミュニケーションの3分割モデル - michikaifu’s diary
    h_i
    h_i 2008/12/25
     「クリエーターとなる人と、最後まで受身の人の比率からいえば、どこまでいっても前者のほうが圧倒的に少なく」
  • 勉強しか取り柄がなかった私から。「逃げよ。」 - michikaifu’s diary

    Pollyannaさんのこのブログエントリー、私もすごく共感した。 http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1 私も、小さい頃から勉強以外に取り柄がなかった。いじめられもしたし、そこまでいかなくても、仲間に入れてもらえないことは年中だった。容姿もダメ、歌や楽器や絵もヘタ、体が大きい割りには気が弱いのでスポーツもそこそこ、鈍くさくていわゆる「ストリート・スマート」でもなかった。勉強が好きだったかどうかすら覚えていないけれど、勉強しか取り柄がないと早くから意識していた。その上、前にも書いたように、ねじれた思い込みから「理系は苦手」と自分で勝手に信じていた。 「勉強」というコトバの定義など、どうでもよい。肌感覚として、当にそうなのだ。勉強ができることの何が悪い、とずいぶん思った。 その後、幾年も経て、今なら思う。「逃げよ」と。そこが居づらいなら、自分

    勉強しか取り柄がなかった私から。「逃げよ。」 - michikaifu’s diary
    h_i
    h_i 2008/12/25
     胸きゅんとしながら読んだ。 ’「勉強」というコトバの定義など、どうでもよい。肌感覚として、本当にそうなのだ。勉強ができることの何が悪い、とずいぶん思った。’
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