2015-11-05 新ローマ皇帝物語(16) ~サルマタイとアラン②~ ローマを語る サルマタイやアランが、カスピ海からロシア平原にかけた北方領域でも暮らせた単純な理由は、衣食の要となる家畜を飼い馴らす遊牧を生業としていたからでしょう。更に、大量の幌付き馬車を持ち、これが家の代わりとなり雨・露・雪・風の厳しさによる健康被害を極力防ぐことが出来ていた。 ●遊牧騎馬民族達は、"移動性"生活環境を開発し得たことで、大国家圏確立を可能にします。遊牧可能な範囲全てが「国家圏」と成り得る。 都市を築き、家族が暮らす邸宅を持ち、地域特性の職業を持ち、という定住農耕を生業とする者達では考えられない"怖さ"を、遊牧騎馬民族国家は持っていた。今回は、その怪説です。 定住国家と移動性国家の決定的な差は、守らねばならない本拠地を持っているかいないか。其処よりもっと良い放牧地があれば移動する。固定都市化に拘らない
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