これ、もうホント純然たる政策の失敗なんですよね。独法化以降文科省が何をしてきたかというと、「大学が毎年自動的に貰えて、必要に応じて様々な使い方ができるお金」を、「沢山書類を書いて競争しなければ貰えず、用途にも様々な制限がついているお金」に置き換えてきた。
![アニ on Twitter: "これ、もうホント純然たる政策の失敗なんですよね。独法化以降文科省が何をしてきたかというと、「大学が毎年自動的に貰えて、必要に応じて様々な使い方ができるお金」を、「沢山書類を書いて競争しなければ貰えず、用途にも様々な制限がついているお金」に置き換えてきた。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/926eefc420ecac78d26baf687aefffe144e4b6b4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1468526867372122112%2FEkRiwIit.jpg)
連合の神津里季生(こうづりきお)会長は5日午前、東京都内で開いた中央委員会で、立憲民主党、希望の党、民進党など野党5党の国会議員による政策論議の土台となる「連合フォーラム」を来年早々にも立ち上げる意向を表明した。衆院選を経て分裂した野党勢力の再結集を図る狙いがある。 神津氏は「支援する議員一人ひとりに重きを置き、政党の枠組みに縛られないフォーラムを設立し、政策の実現を目指す」と説明。先の衆院選で連合が推薦した立憲、希望、民進、社民、自由各党の衆院議員99人のほか、民進の参院議員46人の参加を念頭に置く。中央委員会には立憲の枝野幸男代表、希望の玉木雄一郎代表、民進の増子輝彦幹事長らが出席した。 野党連携が進まない現状を踏まえ、連合はフォーラムに野党議員を集めて労働政策の実現などを目指しつつ、2019年の参院選に向けて連携や再編を模索する考えだ。「すぐに野党再編はできなくても、そこにつなげる時
別にモリカケをどうでも良いと思うのは勝手だし、税金の使い方に無頓着でも個人の勝手だと思うけど、納税者は基本的に私財を国家に喜捨している訳ではないのだから、野党なり市民なりに追及をやめさせようとするのはやめて頂きたい。興味も関心もないなら消極的な無関心を貫いて欲しい。
日経新聞が連日、日本の科学力失速の元凶は国立大と言わんばかりの論陣を張っています。2004年の国立大学法人化以降、論文数の世界シェア急降下を問題視ですが、法人化そのものに疑問を持たないから不思議です。世界2大科学誌のひとつ英ネイチャー誌が3月特集で「日本の科学力は失速」と明確に打ち出し、諸外国が研究開発への支出を大幅に増やす間に日本政府は大学補助金を削減したと指摘したのも耳に入らないようです。 4日付の《組織管理改革に遅れ 国立大の研究力低下》に掲載されたグラフで、まさに危機的状況を映しています。記事は日本総合研究所調査部の河村小百合・上席主任研究員が寄稿した形になっています。 《国立大学関係者からは低迷の要因を国の運営費交付金抑制に求める声がしばしば聞かれるが、本当にそうなのか》《国から国立大学法人への支出の推移をみると、確かに運営費交付金は法人化以降ほぼ1兆2千億円程度で横ばいとなって
著者:ロバート・O. パクストン翻訳:剣持 久木,渡辺 和行出版社:柏書房装丁:単行本(423ページ)発売日:2004-06-00 ISBN-10:476012571X ISBN-13:978-4760125715 内容紹介: ナチへの自発的な協力、ヴィシー独自の国民革命、戦後の第四共和政との連続性を鮮やかに立証。対独レジスタンスの輝かしい神話を崩し、従来のヴィシー像にコペルニクス的転回をもたらした記念碑的研究。 歴史の闇、ナチ利用の「革命」浮き彫りに本書はフランス現代史の分野で戦後最も重要な一冊であり、レジスタンス神話によるヴィシー政権の性格づけを一気にくつがえしたことで「パクストン革命」とも呼ばれる名著であるが、日本の読者にとってその衝撃力を理解するのは難しい。フランスの戦前戦後の歴史が頭に入っていないからだ。そこで一つ、パラレル・ワールドSFにならって、日本の歴史に「イフ」をかけて、
<ざっくり言うと> ネット上に出回っている教育勅語の「国民道徳協会訳」は原文とは似ても似つかない内容に改変されている。明治政府が公式に作った英訳が存在し、それを読むことで、明治政府が教育勅語をどう解釈し、どう運用したかがわかる。それによれば全ての「徳」は天皇の良い臣民になるためであり、国民は全て皇室と国家に尽くし、緊急事態にはその身を国家に捧げ、皇室の繁栄を助けろとはっきり書いてある。教育勅語は徹頭徹尾「日本=天皇」「国民は全て天皇のため」「国民は天皇の為に命も投げ出せ」ということが書かれていることがわかり、ネットで出回っている「教育勅語はいいことが書いてある」説は間違いだと断言できる。 前々回、世間に出回っている「国民道徳協会」とやらの教育勅語現代語訳が、意図的に内容を改竄した、原文とは似ても似つかない卑怯な偽物だということを紹介しました。 (※「国民道徳協会」などと名乗っているから、ま
「私は」。と、この原稿を書き始めてみた。どうにも違和感がある。読者も戸惑うかもしれない。新聞記事には、書き手の気配を消すという原則がある。客観報道と呼ばれる ▼神奈川新聞記者の石橋学(がく)さん(46)は、在日コリアンが多い川崎市の桜本(さくらもと)地区でヘイトスピーチの取材を続ける。ここ数年、コラムなどで「私は」と書くようになった ▼ヘイトデモの当日にはこう書いた。「私は抗議のカウンターに一人でも多くの人が参加するよう呼びかける。少数者の尊厳を踏みにじるヘイトスピーチを言下に否定、非難し、正義とは何かを示すために、である」 ▼客観報道、両論併記でヘイトスピーチは止まったか。記者は書いただけで満足していないか。そもそも、何のために書くのか。「私は差別をなくすというゴールに向かって書く。地域の一人一人を守るのが地方紙の役割だから」と話す ▼そのために、前例を超えて伝え方を模索している。偏って
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