佐藤亜紀『小説のストラテジー』を詠む。 深層の「意味」の誘惑を拒み、あくまでも表層にとどまり溺死せよ、とのテーゼは、とっても正統派(24頁)。 何だか、蓮實重彦に近い気がする。 オスカー・ワイルドは、批評家の意見が一致しない時、作家は自分自身と一致している、と言いました (25頁) 著者曰く、もし書き手が「表現としての可能性を汲み尽くそう」という本能に忠実なら、受け手の解釈も価値判断も多様化して当然、と。 実は、審美的判断の不一致は、むしろ「美」の条件そのものだと言うわけだ。 判断の食い違いから、作品を評価することの面白さがある。 この著者の考えは実に全うと言わざるを得ない。 そう意味で言うなら、審美的判断っていうのは、"民主主義的"と言えるのかもしれない(詳細は次回を参照)。 著者曰く、ドストエフスキー作品は間違いなくメロドラマであり、彼は、金と権力とセックスの三つ(メロドラマの必須アイ