戦後の靖国神社をめぐる運動と思想を追跡した労作。靖国神社は1879年に東京招魂社を改称したもので、軍部が管理運営の主導権をもった特別な神社だったが、戦後はGHQの神道指令によって大きく改変され、軍部もなくなったので普通の宗教法人になった。しかし改変のきっかけがGHQの命令によるとしても、靖国神社の内部からも「慰霊」を主とし、平和主義と合致する道が模索され、1951年には社会党・総評が靖国神社境内で平和大会を開催したこともあるという。わたしは、以前、靖国神社の博物館(遊就館)に行って、外の世界とは完全に切り離された世界観が支配している異様な世界と感じたが、それが靖国神社の一貫した姿だったわけではないと知った。 赤澤の説明によれば、戦後の靖国神社には「殉国」と「慰霊」のせめぎ合いがあったが、1960年頃を境に「殉国」の理念が「慰霊」を圧倒するようになる。靖国神社への合祀は、国家に殉じた者とい