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歴史とドイツに関するharuna3colorsのブックマーク (3)

  • 日独150年 - レーヌスのさざめき

    レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史読書などシュミ語りします。 先日、新聞に、来年は日独交流150年だと載っていた。 「1860 オイレンブルク伯爵率いるプロイセンの東方アジサ遠征団が江戸沖に来航」 「1861 日とプロイセンが修好通商条約を結ぶ。その後、ドイツ北部連邦諸国との間にも同様の条約が結ばれた」 当時まだドイツの統一は実現されてなかったのだなぁ、日の「維新」よりも遅かったのだなぁという感慨もある。 来年1月にはその記念切手が出る。いまのところまだデザインはHPに載ってはいない。  「ドイツ年」のはいま一つだった! 今回はもっとぱっとしたものにしてほしいものだ。プロイセンがいち早く来たのなら、ベルリンは欠かせまい。 ところで、オイレンブルク伯爵というのは、日で初めてクリスマスツリーを飾った人ではなかったろうか。『クリスマス どうや

    日独150年 - レーヌスのさざめき
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    haruna3colors 2010/11/04
    1月24日は日普修好通商条約締結の日。来年こそ忘れまいぞ! #hbd
  • ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア

    以上の文章も嘘や出鱈目である可能性が高いです。以下の文章だって嘘や出鱈目である可能性が高いんです。 ……と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……ルーデルの逸話は全て事実である。なんてこった! かつてのルーデル[編集] 少年篇[編集] ルーデルが8歳の時のある晩、両親は彼に留守番を押し付けて近所のお祭りに行ってしまった。当然ながら憤慨したルーデルを宥めるため、母親は土産話をはじめた。中でもルーデル少年が物凄いいついて来る話が、パラシュート降下する男のショーだった。あまりにもしつこく聞いてくるので、母親はルーデル少年に落下傘の玩具を作ってくれた。ルーデル少年は、それで毎日のように遊んでいたが、ついには自ら蝙蝠傘を持って二階からダイヴしてしまった!怪我は無かったが、怒られたのは言うまでも無い。 そしてルーデル少年はこれを境に「飛行機の操縦士になろう!」と決意。空を

    ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア
    haruna3colors
    haruna3colors 2010/09/25
    「アンサイクロペディアに嘘を言わせなかった男」
  • ハンス=ウルリッヒ・ルーデル - Wikipedia

    ハンス=ウルリッヒ・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel, 1916年7月2日 – 1982年12月18日[5])は、第二次世界大戦中のドイツ空軍の軍人(航空機操縦員、幕僚将校)。 ヨーロッパ東部戦線(独ソ戦)において、ソ連戦車500両以上と800台以上の車両を撃破する戦果を挙げた。しかもこれは確認できた戦果であり、実際には無断で出撃したり部下に戦果を譲ることがあったとされるため、正確な数は不明である。また、少なくとも9機を空中戦で撃墜しているためエース・パイロットの一人にも数えられる。これらの戦功から、騎士鉄十字章の最高位の「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」を授けられた。なお、この勲章の受章者はルーデルただ一人である。 フェルディナント・シェルナー陸軍元帥からは「一人で一個師団の価値がある」と評された[6]。ルーデル自身はナチ党員ではなかったが、戦後においてヨーゼフ・メン

    ハンス=ウルリッヒ・ルーデル - Wikipedia
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    haruna3colors 2010/09/25
    アンサイクロペディアと読み比べるべし。ほぼ一緒!
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