企画書は1行 スポンサード リンク ・企画書は1行 一枚企画書を超えて、企画書は渾身の一行に賭けよ、と説いた本。 (文字通り一行の企画書を書けという意味ではない。) コンサルタントの仕事をしていると、分厚くビジュアルな企画書を書くのが仕事だと思い込んでしまう時期がある。コンサルを専門とする会社では、特に若手はたくさん書かないと企画書として認めてもらえない雰囲気もある。それで何十ページや何百ページの豪華版を作ってしまうわけだが、最終決定者が企画にGOサインを出す判断は、やはり企画書の長さではなくて、渾身の一行の精度なのである。 有名な経営者、プロデューサたちの企画立案の心構えと、彼らの代表作の一行が読める。 「一生屋台を引くことはできない」という覚悟の一行メッセージで、投資家から出資を引き出し、お好み焼きチェーンを創業した成功者。「彼女の部屋で遅めのランチ。パスタを食べながらグビグビ」でヒッ
ええええっとかなり驚き、メモを書いておかねばという気になった。 玄倉川さんのところを見たら、この記事が。 http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/bde59eab9547e7b23a811723ab47e4c5 立花隆氏が、私が前にも、いい加減この人に書いてもらう必要はないんじゃないの、わざわざ、と書いたことがあったその日経の欄で、 さて、昭和天皇の明々白々なA級戦犯合祀に対する不快感表明によって、一言でいうなら、靖国問題は、決着がついたといっていいと思う。 こんなことを書いていた。 この一週間ぐらい、ぱらぱらとニュースは見ていたがじっくり「なりゆき」を見ていなくて、頭の中にあった情報は、昭和の天皇陛下がクラスAの戦犯が合祀されている靖国には行かないといったとかなんとかいう話。咄嗟に思ったのは、それって前から言われてないか?というもの。メモなんかあってもな
最近、昭和天皇のメモが見つかっただのなんだのとニュースがかますびしい。先の陛下がなんでもA級戦犯が合祀されたことでご不快に思い参拝しなくなったとかそういう内容のメモだとか。 よくわからない。捏造だ!とかいう人もいる。メモなんで走り書きっぽいし、どうとでも取れる。 それより、陛下の公人としての振る舞いと私人としての感情と一緒くたにしてしまおうってのはどうなんだろう? カトリックの教皇は近代に「不可謬」などといわれるようになった。「教皇に誤謬なし」つまり教皇は過ちを、間違いを、言わない。教皇が発することをカトリック教徒は信じ、また守らねばならない。 でもこの場合の「教皇」とは「教皇」という肩書きによって為される公的な文書に於いてのことであって、教皇職についているただのおっさん(例えばラッツインガー)が「俺にんじん嫌いだ。あれは悪魔の食い物だ」などといってもそれは別に関係ない。「にんじんは滋養が
日本経済新聞(日経)が、”スクープ”したとする、「昭和天皇のお言葉」。 メモの内容と出所に加え、一騒ぎしたあとは、急激に静かになったのも不自然だと感じていたが、 やはりこういう展開になってきた。 (youmenipip さんのブログへのリンク) 都合の悪いところを切り取って、無理矢理昭和天皇のお言葉として仕立て上げたのではないかという疑惑が、 確信に近いところまで深まったと言える。 もとより、左翼が牛耳るメディアは、文章の一部を取り上げたり、場合によっては語尾を否定と肯定を逆にして、情報を操作して反日工作を続けてきたことは、いまさらいうまでもないが、 こともあろうに昭和天皇のお言葉を騙って世論操作したことが証明されれば、もはや救いがたいレベルに来たといわざるを得ないし、 彼らがことあるごとに繰り返す「報道の自由」「言論の自由」は、「犯罪の自由」と同義となろう。 これについては、絶対に幕引き
世の中には、議論することそのものが、無意味でむなしい問題がある。それはたとえば、人には自殺をする権利があるのか、また、人を殺すのはなぜわるいのか、などであり、わたしはこうした議論を真剣におこなっている者を見るたびに、憂鬱な気持ちになるのだった。いやだなあ、とおもう。問いそのものがむなしい。こういった問いを発することが、なにやら重要で、真摯である、とでもいいたげな態度がいやなのだ。なぜ、かかるつまらない問いを、まじめに引き受けるのだろう。「そんな、ばかな質問に、誰が答えてやるものか。このくされ鮹」と一喝した後、飄然とうどんを食えばいいのにとおもっていた。 春日武彦著、「17歳という病」(文春新書)には、実に納得させられた。上記の疑問が、一気に溶解したためである。なんか、すっきりしたよ。やはりこれは、質問そのものが、くだらないのである。そういった疑問を持つこと自体、不遜で、幼稚なのだ。春日がい
2006年07月24日11:38 まじめにやらないと「炎上」する カテゴリインターネット kinkiboy Comment(2)Trackback(0) 昨年はSONYのブログが自作自演であったことが発覚し炎上し閉鎖してしまいましたが、Social Networking.jpで、今度はブログではなくMIXIでドコモが開設したコミュニティが炎上しやはり閉鎖に追い込まれたというJinビジネスニュース-ドコモPR用「SNS」 10日で「炎上」 を紹介していました。ドコモの新サービス「プッシュトーク」について理解してもらうためのコミュニティであったはずが、一方的でコメント書き込みなどができず、コミュニティの管理人への批判が相次ぎ、閉鎖せざるをえなくなったようです。 マーケティングサイドから見ると、いずれのケースも、世の中はWeb2.0時代だからやってみようという、なにか中途半端な取り組み姿勢を感じ
人間のコミュニケーションにおけるメッセージには、メタ・メッセージによって自己言及してしまうものが多く含まれ、その中にはパラドックスをつくりだしてしまうような表現も存在する。人が権力関係の中でパラドキシカルな状況定義を余儀なくされるとき、状況の正確な対象化能力を失って、適切な反応ができなくなる場合がる。このような状態をダブル・バインドと呼ぶ。(G.ベイトソン:1956年) 1 メタ・メッセージ ベイトソンは、ある時、動物園で数匹のかわうそが遊んでいるのに注目した。かわうそが互いに示す噛みつく身振りは、攻撃行動におけるそれと殆ど区別がつかない。にもかかわらず、本当の攻撃と混同して、相手を傷つけてしまうほど噛むような事は怒らない。 一つ目のレベルのメッセージ:相手を「噛んでやる!」 二つ目のレベルのメッセージ:「これは遊びだよ」 ←メタ・メッセージ ↑ このようにコミュニケーションとい
「ダブルバインド」でGoogleすると上から2番目に登場する記事になって5年余り。「せっかく読んだのに意味不明だった」という感想を目にすることが増えました。これは個人的な備忘録であって、言葉の説明を意図した記事ではなかったのですが、状況を鑑みて全面改訂しました。(2011-05-27) 1.「ダブルバインド」とは何か ダブル‐バインド【double bind】の意味とは - Yahoo!辞書 「ダブルバインド」を逐語訳すれば「二重の拘束」となります。他人の言葉を単純に解釈してその通りにしたら、その真の意図に反してしまい、逆に怒られる。その後も真の意図が明確に言語化されることはなく、怒られた人は「一体どうすればいいの?」と途方に暮れてしまう。これがダブルバインドの状況です。 事例 例えば、あなたは未経験の部署に転属になった社員だとしましょう。「わからないことがあったら何でも質問してください」
詩織2015年度号 「ab-normal」 「Buddy」 「Fly to the moon」 「ある夏の出来事」 「いつもどおり」 「カエル」 「ステレオタイプ」 「つながり」 「ぼくのなつやすみ、わたしのなつやすみ」 「悪夢」 「家族」 「私を連れていって」 「先輩」 「平行世界2013年」 「未来からの贈り物」 「夢の国(仮)」 「向日葵」 「憧れの人」 「夢の大冒険」
小学校 教師 しおちゃんマンによる 学校現場からのリアルなメッセージブログ。 教師と子どもたちに 笑顔を取り戻そう! ザ・教室blog サイト内検索: 【重要】ザ・教室blog お引っ越し2008:11:19:18:52:24 キレそうになった時に2008:11:19:00:12:20 もっと語り合わないと2008:11:18:00:06:04 かっこ悪い方がいい2008:11:17:00:16:47 ふれあい祭り2008:11:16:00:03:08 ふれあい祭り前日準備2008:11:15:00:59:28 家庭科調理実習2008:11:14:05:58:25 卒業アルバム作成に向けて2008:11:13:00:00:51 待ってくれていたこと2008:11:12:00:00:42 浦安生活指導研究協議会学習会2008:11:11:05:09:41 明日から復帰します!!2008:11
学校へ無理難題をふっかける親が増えていると、教員は考えている。 「嫌いな親がいるので子供のクラスを替えてほしいと言われた」「下校時にパトロールするよう要求されたが、親は何もしないので、協力を要望すると『働いているからできません』と回答が来た」 大阪大学の小野田正利教授(50)が、関西の小中高校と養護学校、幼稚園の教員を対象にしたアンケート「保護者対応の現状」。質問した合計888校(園)のうち、校長や教頭ら507人からの回答を読んだ小野田さんは、教員たちが記した親の力の低下ぶりにため息をついた。 親からの無理難題が「増えている」との回答は80%に達した。担任と話し合おうとせず、いきなり校長や教育委員会へ直談判する親の増加を挙げる教員も多く、親への対応に「難しさを感じている」という回答が90%あった。 なぜ無理難題は増えているのか。再び、教員が記したアンケートから。 「親に社会人としての能力が
はてブではなぜか産経の記事だけが盛り上がっているが、昨年の朝日の記事のほうがずっと詳しいのでそちらを読まれたし。 わがママに先生困った 保護者の「無理難題」(asahi.com) はてブからたどれる言及ブログでは「嘆かわしい」「教師より親のレベルの方が低いんじゃないのか」「この国の将来が心配だ」等々、知ったような口をきいてる方々が多数いらっしゃる。あはははは。みんなはあちゅうテンプレ、好きだなあ。今度は「絶対保護者改革」ですよね、やっぱ。 例のテンプレレベルな憂国談義で盛り上がりたい向きはともかく、この問題については、昨年8月の読売新聞の記事がちゃんと解決策まで提案しているので、そちらを見るべし。逆に言うと、問題だけ投げ出して何の分析も解決へのヒントも提示してない産経は、ただの無責任なセンセーショナリズムと言われてもしょうがないんじゃないかと思う。それに見事釣られるはてなダイアラーおよびは
なんとなく放心状態。 中田英寿の穴は、腹立たしいほどデカい。 エースが自分探しの旅に出かけ、キャプテンが自分隠しの旅に出ている国のサッカーは、今後10年、停滞せざるを得ないだろう。 辞書を引いていて、"hide and seek" が「かくれんぼ」であることを知る。 なるほど。 ヒデの自分探しは、かくれんぼの一種なのかもしれない。 一人かくれんぼ? あるいは「いないないばあ」(←peek-a-boo)だろうか? 彼がこの10年続けてきたサッカーが、一人鬼ごっこだった、とそういうことなのか? 引退の決意について、監督やチームメート、友人、家族が、直前にその情報を知らされたと言っているのに対して、広告代理店やインタビュー記事を掲載する雑誌の編集者は、「半年前から知っていた」と言っている。 順序はこれで良かったのか? これが、キミの優先順位なのか? ってことは、「引退」は彼にとってサッカー界のマ
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