結局blogなんて、クソの役にも立たなかったわけだ。(はてな匿名ダイアリー) ↑のエントリについて、もう少し語ってみます。 癒されるのは実は受刑者の方なのだ。(活字中毒R。(2006/10/13)) ↑のエントリの中で、田口ランディさんが書かれた、こんな文章を紹介しています。 米国では受刑者が学校を講演して歩いて、ドラッグや暴力の恐ろしさを体験を元に語るプロジェクトがあるという。当初それは青少年の非行防止のために企画された。 ところが不思議な結果が出た。癒されるのは実は受刑者の方なのだ。若者に語った受刑者はみな非常に高い割合で更正していく。子供たちの魂は語る者を癒す力を持っているらしい。たぶん彼らは「罪」を犯したという過去に囚われず、純粋に目の前にいる「人間」に共鳴するんだろう。 結局のところ、川田さんは亡くなられてしまったので、「命を救えなかった」という点では彼女のブログは「無力」だった
発狂小町という読売新聞が経営する「発言小町」という主に主婦や独身女性のコミュニティの悩み事相談コミュニティで繰り広げられる質問をおもしろく、読みやすくまとめるサイトがあります。僕もたまに発狂小町を読んで、発言小町というネットコミュニティから見たらあまりにも特殊なコミュニティの中で繰り広げられる群像劇を楽しんでいました。その発狂小町が読売新聞からの要請で閉鎖するそうです。 http://d.hatena.ne.jp/komachimania/20080530/p4 さっそくはてなブックマークでもいろいろな反応が巻き起こっています。 [B! 著作権] 発狂小町跡地 最初、この話を聞いた時はこのまままとめサイトを続けてもらった方が読売新聞にとっても良かったんじゃないかなーっと思ったのですが、ちょっと考えるうちに、この読売新聞側の判断は発言小町というコミュニティに自分のコミュニティが外部からおもし
会議 | ■無知・無関心であることが中立という考え/「どっちもどっち」という罠 - ARTIFACT@ハテナ系関連のエントリを興味深く延々と読んでいて、最終的にはこの文章にたどり着きました。自称中立論者はほとんどがゴミでしょう。http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080107/p1あえてここでは「自称中立論者ってどんな奴?」て定義しません。その点でもめたら話が進まないので。各自の想像する「自称中立論者」を思い浮かべながらお読みください。◆本来は中立こそが一番困難な道問題とされているように、中立ってなにもしないことじゃないよね?無知・無関心、事なかれ主義とはむしろ正反対の立場だよね?私は中立というのは、二項間で争いが生じている場合に、「どちらの立場でもない別の道」を指し示し、実践することだと思ってます。最悪両方から攻撃される危険があるし、その場合敵対
サンフランシスコ発--Googleは、こと検索クオリティに関しては複数の顔を持っているようだ。 Googleは、ABスプリットと呼ばれる手法を使って、同社のメイン検索ウェブサイト(簡素な検索ボックスと検索結果の両方について)どのような変更を加えるべきか検討している。Googleの検索プロダクトおよびユーザーエクスペリエンス担当バイスプレジデントであるMarissa Mayer氏は米国時間5月29日、サンフランシスコで開催されているGoogle I/Oカンファレンスで講演した。その中で同氏は、上記の手法について、Googleはユーザーに対し、デザインの異なる複数のページを表示し、その反応を測っていると説明した。 Mayer氏によると、例えばGoogleは、ユーザーに対して表示する検索結果を何件にすべきかを探りたかったという。通常は、10件か20件、25件か30件といったところだろう。この点に
まあ、仮に問題とかしてしまう。 「窓が開いてますね」というのは、どういう意味があるか? 「窓が開いている」という認識表明以上の意味はないとしてもいいけど。 日本語の場合。 「窓が開いている」と「窓が開いてます」は同じではない。というか、そういう対比のスタイルに置かれるというか、いちおう純粋にはラングではなく、ソーシャルというかプラグマティックスの問題でもあるのだけど、ラング的な部分が食い込んでいる。 簡単に言うと、「窓が開いてます」は不可避に会話、対人関係の文脈に組み込まれ、「窓が開いている」はそうした文脈に自由であるというより、対人関係の別の含みが出る。 そして、それらに、「ね」「よ」「な」とかいろいろな、対人関係的なニュアンスを付加する辞が存在し、それらは結局、対人関係での機能をもつ。 で。 「窓が開いてますね」は、他者に対して、「締めろよ」であったり、「寒いじゃないか、場所を変えろよ
Faviki http://faviki.com/ Faviki(読みは「ファビキ」でいいのかな?)は、セマンティックなタグづけが可能なソーシャルブックマークだ。 これはかなり有望なサービスだと思う。 今朝、ReadWriteWebの「Semantic Tagging with Faviki」という記事を読んでこのサービスを知り、さっそく登録してみた。 Favikiのmojixページ http://faviki.com/?s=333 Favikiは基本的にはソーシャルブックマークであり、はてなブックマークやdel.icio.usなどと似ている。しかし大きく異なるのは、タグがWikipediaの項目名と連動しており、「セマンティック」になっている点だ。 Favikiで使えるタグは、「Wikipediaで項目名になっているものだけ」だ。「あとで読む」とか「これはひどい」といった自由なタグはつけ
よりたくさんのこと、より詳しいことを伝えようとすると、饒舌になりがちだ。 言葉を綴る自分は、あれも言いたい、これも伝えたい、これを伝えるためにはこちらもで前提として伝えておかなければならない、そうすると関連してこれも言うと分かりやすくなる、と思いつつ、どんどんと言葉の量が増えてゆく。 しかし、言葉の量を増やせば伝えられる内容が増えるというものではなく、結局そのうちのごく一部しか相手には伝わらない。前提だけが伝わっていたり、主題ではなく関連内容だけが伝わっていたりすることも往々にしてある。 それでよく言われることには、推敲して短文にしろ、という。 たしかに全体の内容としては分かりやすくなる。本当に伝えたいことだけを言葉にするから、伝えることに関わらない無駄な言葉は減るし、そのぶん言葉の量に比して伝わる内容の割合は大きくなる。 しかし、だからといって、長い文章よりも伝えられる内容の量が多くなる
昨年秋のIPAフォーラム2007に引き続き、学生討論目当てでIPAX 2008に行ってきた。 「IT産業が国際的な飛躍をめざすために、学生への期待 〜ITプロフェッショナル技術者の重要性と学生に魅力を感じさせるIT産業とは〜」 IT人材育成セッション1 人材育成対談─学生と経営者との討論会─「IT産業が国際的な飛躍をめざすために、学生への期待 〜ITプロフェッショナル技術者の重要性と学生に魅力を感じさせるIT産業とは〜」 @IT:「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論 IT Pro:「IT技術者はやりがいがある仕事か」---学生とIT産業のトップが公開対談 IT Pro:学生とIT業界トップの公開対談で胸を衝かれたこと---IT産業を呪縛する“変われない日本”(2008/6/1追記) 前回のIPAフォーラム2007での感想は以下のとおり。 情報はいろいろ収集でき
語弊はあるけど。コミュニケーションの問題と見えるものでも、本当は別の問題がある、という論議も分かるけど。私がコミュニケーションを領域とする広告屋なんて仕事をしているから言うわけじゃなくてね、ここ最近の個人的な出来事から、ああコミュニケーションが悪かったんだな、なんて思わせられる感じがあって、これ書いています。 例えば、医師とのコミュニケーション。私の母親の具合が悪くなって、医師と話したわけですよね。かなり状態が悪かったんです。こっちとしては必死だから、今の状況を一生懸命話すわけですよね。で、その今の状況は、とりあえず解決。しばらく経つと、また次の問題が発生して、こちらとしては不安になるわけですよね。あれだけ話したのに、という思いも当然あります。 で、どうしようもなくなって、大阪にいる私の妹が医師に電話で話したんですね。それこそ、専門家たる医師にまかせなきゃ、という考えも当然あるし、こっちは
雑談, メモ追記:同じ話に関連してもう一つブログ記事を書きました。IPA討論会の現場が@ITの記事と全然違っている - 矢野勉のはてな日記 ついったー経由で教えてもらったので報告かつ個人用メモのためにブログに書いておきます。 「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論 − @IT この記事で一躍有名になって「無理です」というのが流行っている「泥のように働け」の語源ですが、本文中にあるように伊藤忠商事の取締役会長 丹羽宇一郎氏の言葉ですね。 で、その言葉が下記リンク先に載っています。まず入社して十年間は泥のように働いてもらう。はい上がる気力や苦しい時に周囲を思いやる気持ちを育てるには、どん底に突き落とすしかない。入社4年までに全員を海外に研修に出す。海外の若者がどれだけハングリーに働いているかを見てきてほしい。まず入社して十年間は泥のように働いてもらう――丹羽宇一郎さ
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