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ブックマーク / sivad.hatenablog.com (6)

  • 赤の女王とお茶を - 抽象化できない体験は語られない

    からなあ。 私達は、自らの人生ゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている 語られる人生や体験というものは必然的に抽象化できる範囲に留まっています。逆に、その範囲に留まる人生はメタ化もゲーム化も容易となる。 そして、その人がどういうインターフェイス、メディア上で人生や生活を送るかによって、その体験がメタ化しやすいかどうかも決まってくるわけです。 言葉で描かれる人生は言葉で描くことのできる範囲を超えることはない。 システムで描かれる体験はシステムで描くことのできる範囲を超えることはない。 抽象化というのは切り捨てるということ。 つまり情報というものは常に何かを切り捨てて成立しているということであり、それを踏まえておけばその取り扱い方もなんとなく分かってくるような気がします。 思うに、人生を面白くする一つの方法は、「抽象化できない体験」をすることです。 科学には再現性が必要だけど、人生

    赤の女王とお茶を - 抽象化できない体験は語られない
  • マネジメント、トリアージとドラッカー - 赤の女王とお茶を

    ケーキ 「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か 別に誰を批判というわけではなく、これらを読んでふと思いついたことですが。 fuku33さんのエントリにhokusyuさんがナチズムを持ち出してきて、確かにいきなりの飛躍のように思えるのですが、考えてみるとそもそもfuku33さんの教えておられる経営学、創始者はかのピーター・ドラッカー。 そしてドラッカーのキャリアはナチズムへの批判と分析から始まっていたりするのです。 ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり 作者: P・F・ドラッカー,上田惇生出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2007/11/16メディア: 単行購入: 2人 クリック: 58回この商品を含むブログ (30件) を見るナチズムを体験したドラッカーはアメリカへ渡ってこの書を出版し、二度とあのような事態を引き起こさないための組織・社会運営の方法について考え始めます。

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  • 科学・技術は日本の生命線…のはずだけど - 赤の女王とお茶を

    京大の山中伸弥教授かっこよす - おこじょの日記 いやぁ素晴らしい成果ですね。停滞気味の日生命科学に久しぶりの花火が上がった気分。 応用へのめどがついたという意味でも画期的ですが、幹細胞研究に胚を使わなくて済むということは特に欧米人にとっては大きな「倫理的枷」が外れたわけで、ここから実用に向けて真の研究的「仁義なき戦い」が始まると見ていいでしょう。 それから日の厚生省の気の変わりやすさ。長期研究を短い期間に押し込めたり、十分な資金を与えずに放置したり。問題は、事務官の長が3年ごとに変わることだ。新しい人が来るたびに、科学研究に足跡を残そうと新しい予算を立ち上げるが、科学的な根拠はなく思い付きだけで、すでにある研究プロジェクト(どんなに成功していても)から予算を奪ってしまう。基的に、3年でプロジェクトが完成できなければ、あきらめろということだ。 で、記事にあるような山中先生の嘆きも実に

    科学・技術は日本の生命線…のはずだけど - 赤の女王とお茶を
    hatayasan
    hatayasan 2007/11/22
    「非主流派を枯れさせてしまわないこと。」
  • 私達は一人一人「中国語の部屋」に生きている - 赤の女王とお茶を

    中国語の部屋」というのは哲学者ジョン・サールが提起した思考実験。「意識」を議論する時によく出てきます。 ごく簡単に説明すると、 ある箱に、中国語を全く知らない人が入っている。 外の(中国語を解する)誰かがその箱の中に中国語の会話や質問の書いたカードを差し入れる。 中の人はカードに書いていることは全く分からないが、箱の中には例えば 「$¢£%#」と書いてきたら「☆★○◇▼」と返せ のような「受け答えマニュアル」が用意されていて、何か分からないがとにかくその通りに書いて外に返す。 すると、中の人は意味も内容も全く理解していないに関わらず、外の人は「箱」と完全な対話をしていることになる。 またこの話は人工知能の文脈で語られることも多いようです。完璧なデータベースを備えた人工知能との「会話」は当の「会話」なのか?といった感じでしょうか。 では、私達人間はこの「箱」から当に解放されているのでし

    私達は一人一人「中国語の部屋」に生きている - 赤の女王とお茶を
    hatayasan
    hatayasan 2007/11/19
    「「感情を共有できる」という感覚」向こうもそのように感じているかもしれないし、機械的に返しているだけなのかもしれない。
  • 赤の女王とお茶を - 心の中の差別を禁じる法はない

    他人の職業にわざわざ貴賎をつける愚かな人々。 日国憲法第14条には すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 とあり、日国および日社会は国民を「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において」差別的に扱ってはならないことが明白です。 ただし、これは個人が個人に対して差別心を持ってはならないというところまでは保証しません。 むしろそこまで踏み込んでしまうと逆に「思想の自由」に抵触する恐れがあります。 ですから心の中で差別したい人は自由にすればいいと思うのですが、それに社会的な理由付けをして表現するとなると、話は大分変わってきます。 大体、個人において「差別」したいならば話は簡単、「私は〜が嫌いだ」で十分なのです。そこにウダウダ社会的な理屈を付ける必要はない。社会

    赤の女王とお茶を - 心の中の差別を禁じる法はない
    hatayasan
    hatayasan 2007/03/18
    「嫌い」に後ろめたい自己正当化の感情を付け加えたものが「差別」じゃないかなあと思ったり
  • 赤の女王とお茶を - 障害者と優生学/20世紀のアメリカと21世紀の日本

    「"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか?」 「知的障害者とは共存できない、隔離せよ」 知的障害者が合法的に犯罪が許されるか否かより、まず考えておくべきこと。 言うべきことはいろいろと言われていると思いますので、少しだけ歴史のおさらいをば。 産業構造の変化 それに伴う格差の拡大 労働条件の悪化と低賃金化 移民の流入 20世紀初頭、アメリカの姿です。 そして1907年、権力が障害者を「去勢」する、世界初の「断種法」がインディアナで制定。 次々に他州も追従、最終的に37の州が「断種法」を取り入れ、10万人以上の人たちが「断種」されました。 優生思想自体はイギリスにおいて、かのダーウィンの従兄弟、ゴルトンによって生み出されました。しかし、その頃は飽くまで思想に過ぎなかった。 よくも悪くも思想を具現化する国は、やはりアメリカだったのです。 ちなみに現在でも生命科学のメッカとして知られ、D

    赤の女王とお茶を - 障害者と優生学/20世紀のアメリカと21世紀の日本
    hatayasan
    hatayasan 2007/02/20
    優生思想について。「仮に起こるとしたら、「なんとなく」、「自然に」、「そういう空気で」、「結果的に」。」
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